釈迦の成道

お釈迦様が悟りを開かれたことを、成道といい、それまでの修行の過程、成道直前の儀式、成道直後に起こったことなどは、各種経典に分散して記録が残っているようだ。一番信頼できるのは、河口慧海「釈迦一代記」の降魔と成道の章であろう。

太子菩薩(シタルダ太子:釈迦の名前)は、六年間のネーランジャナ河の林での苦行を終え、河を渡り、前正覚山の洞窟に座られた。すると洞窟の主の主神が驚いて言った。「ここは正覚を成ぜられる所ではありません。この西南河を渡り、その西岸に金剛宝座があり、そこが諸仏の成道地です。そちらに行ってください。」

太子が菩提樹の下の金剛宝座に着かれ、草をしこうと考えられた時、そこに刈り取った吉祥草を背負った者が現れた。太子が言われた。

草刈人よ、すみやかに 我に與え吉祥草

今日こそ我にこの草は 大なる用をなすと知れ

5温や病や死などと 共に住する大魔王を

降伏なして上妙の 寂滅菩提を成就せん

草刈りの人は大喜びで青く美しい吉祥草一抱えを差し上げ、太子はそれを葉先は内部に向け、厚薄なく丸く坐座を作られた。(密教儀式)その上に結跏趺坐して、東方に向かい明確な観念に住して自ら誓われた。

たとい我が身はこの坐座に 朽ち果つるとも骨肉の

破るるとても生命の 終わらんとても一切の

苦患を破る最勝の 無上菩提を成ぜずば

この座を起じ動くまじ この座を起じ動くまじ

太子35歳の4月8日午後のことであった。太子は自ら観じられ、この世界を支配する欲の王である最大権力者は、第6天、他化自在天の主、大魔王である。彼を征服しなければ、全ての欲界を制御することは出来ぬ。精神的安楽世界を立てるには、まず彼を降伏する必要がある。

そこで太子は眉間の白毫相から、征服悪魔の大光明を放って3千大世界中の悪魔の国土を照らしました。(大神様が修業中に、眉間から放った光により旧道場の天井についた焦げ跡が残っている)その大光明は至るところ大光音を発して

「釈迦の太子は今に成佛して、魔王の国土を征服するであろう。故に汝等魔王行いて戦え」

と言いました。魔王は千億万の魔軍を率いて、太子に刀剣の雨を降らし、菩提道場から動かそうとしましたが、太子は心に金剛不壊の鎧をつけていて、何度攻撃されても、平常心のままであった。太子は、魔軍の彼らの口中に火事を起こして退散させた。しかし暫くするとなんの苦痛もなかったので、再度総攻撃力。刀剣の雨を降らしましたが、その刀剣が太子近くに来ると、皆花や花輪になってしまい、菩提樹を飾ってしまった。

魔王は太子の威神力を見て、嫉妬憤怒に燃え言った。

「あなたは何故菩提道場に座っているのか」

太子「無上菩提を成ずるため」

「私はあなたを、この世の大王にしてあげます。」

(キリストにも同様の記事:マタイによる福音書 4.8−4.9

次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。)

太子「魔王よ、我は3大無量劫において、幾千万億無量の供養を行い、一切衆生のために無量の道徳を修めた。それらを無上菩提に回向したから、まさに佛陀となるのだ」

「そんなに久しい間、道徳を修めたという証人は何処にある」

と大声で笑うと、太子は大慈悲心を出されて、右手を広げて大地を指し(触地印:降魔印)

我が証人はこの大地である

この大地こそ一切の 生ある者の住家にて

動も不動も平等に 乗せて親疎の区別せず

これこそ我が身の証人なれ 我は偽りあらぬかし

さて地の神よここに来て 我言証せよ地の神よ

と仰せられて右手を大地に触れたもうや否や、大地は振動して大地の女神教妃は

美しく着飾り大音響をさせて、現れ 太子に礼拝した。

菩薩様 菩薩様の言われたことは、皆真実です

魔王は何も言えず怒っていると、太子が再び大地に触れると

魔王らを殺せ

という恐ろしい声が出たので、彼らは逃げようとしたが、動くことができなかった。

太子に許しを求め、やっと逃げることができた。

しかし魔王は諦めず、太子を堕落させようと企んだ。

魔王の娘麗美、愛欲、無比の3美人を送り、太子を誘惑しようと秘術を尽くさせたが、

太子はあらゆる誘惑にも心を乱さず

「外の姿は菩薩に似て、内の心は夜叉の如く」

と仰せられると、3美女は白髪皺面憔悴弓腰の老婆になり、恐ろしきまでに醜き姿となり恐れ驚き第6天(欲界)に逃げ帰った。

太子菩薩はすべての魔群を降伏し、すべての暗黒を照破して後、7日間は全く安静に三昧に入られた。7日を過ぎた4月15日の朝、明星の出たときに、4諦12因縁の観法成就して、その瞬間大悟し、智慧により、天魔と共に死魔煩悩5陰魔をも根本的に降伏し新たに無上円満の菩提を実証して佛陀となられました。その時にお釈迦様が発せられたご言葉に

「ああ、奇なるかな、奇なるかな、一切衆生は悉く皆佛性を有することを、されば一切衆生は皆これ我が子である」

以下省略

天台宗の始祖である天台智者は、この4月15日からの7日間に佛陀は華厳経の前半部分を説いたと推定し、この7日間を華厳時と名付けた。河口慧海「在家仏教」天台判経中、華厳時、鹿苑時の無根拠の章参照。これを確かなる佛伝について見ると、4分律には、佛は思惟不動で解脱三昧に遊んで自ら遊楽す。チベット伝には、この7日間に佛は3千大世界に遠く遊行した。、、、

一般にはあまり知られていないが、本ブログで度々言及してきたように、1945年8月12日午前ゼロ時、日本の敗戦、ポツダム宣言受諾の日に、山口県田布施町の農家の主婦北村サヨ様に、釈迦の成道と同じことが起きていた。その経緯、修行の過程、成道直前、成道直後、それ以降の活動などは、天照皇大神宮教の「生書」に詳しく書かれている。少し紹介すると

(昭和20年)8月8日のことである。

純白の新しい服を縫わせ、また新しい布団を一かさね作らせ、「11日の夜はそれを着て、神棚の前に一人で寝よ」と(肚に入った神様から)命ぜられる。10日の日には、例の下痢が始まって、「今度は娘腹を下して、天人の25歳になるのだ」と言われる。いよいよ11日の夜とはなった。

教祖は神に命ぜられた通りに、下着からすっかり新しい純白のものを着け、新しい布団を神棚の前に敷いてお祈りを済ませ、床につかれたのは、はや11時半であった。ほんの30分間、とろとろと寝られるとすぐ目が覚めた。すると肚の神が言われる。

「11日の夜中の鐘もろともに、今までとう病というたのも、口の番頭というたのも、指導神というたのも、元を正せば天照皇大神の一つのもの、天照皇大神の一人娘にして、世界が一目に見える眼鏡をやろう」

この時から教祖には宇宙一切のもの、幽界顕界ことごとくが見えだされたのである。下は8万10万地獄を通り越し無限地獄まで、海の中の魚類から、虫から、獣からその幽霊、あるいは娑婆の人間界から天上界まで、あらゆるものを見せ、一々それらに説明をつけられるのである。それから3日間というものは、世界が一目に見えておったが、神が見せてくれているのだからよいものの、いつもこんなに見えたら神経衰弱になるじゃろうがと思われると、(チベット伝、この7日間に佛は3千大世界に遠く遊行した。 の意味が解る)神が言われる「おサヨ、もおいいと言えや」と

そこで「もうよい」と答えられると、「おサヨ、これからは必要なものだけを見せてやろいのう。」と仰せられて、それ以後は大神様の目には、その都度必要に応じて、なんでもニュース映画のように見せられるようになった。11日の夜半から、宇宙絶対神は教祖大神様を、はっきりと一人娘として娶られたのである。

前年11月27日、教祖の肚に天降られた指導神、または皇大神と申上げる男神と、天照大神と申上げる女神と御二柱の神が、一体となられて、教祖のお肚を宮として、天降られたのである。

8月12日は天照皇大神宮教の「宇宙絶対神降臨記念日」であり、その日の大神様ご説法は多く残っている。

一例:思うてみりゃおもしろいじゃろうが。20年の8月8日に「わしの夏布団と敷布団こしらえてくれ」と言うて、こしらえさせて、「11日の晩にそれを敷いて一人が寝へ」て神様が言うて、その頃は偶像がある頃でから「神棚の前へ一人が寝へ」と言うけえ一人が寝て、たった30分ほど寝たらこの目がついた。タラタラタラタラ、ものが見え始めて、家の中におるというのに何もかもがみな見え始めた。「おサヨ、宇宙というのは、こうなっちょるんど」と言うて「これ、見えるのが好きか」と言うけえ「嫌い」とわしが言うたら、3日3晩ほど見させて、「それなら、これからは必要に応じて見さちゃろうのう」と言うた。

参考:赤垣武雄さんが紀元2年頃お参りし、大神様のご説法を聞いていると、目をつぶると、大男で白い着物を着て、大きな帯を結んだ(皇大神)が見え、目を開けると、大神様が見えた。二人は同じ目をしていた。

大神様がご説法する時、大神様は何が話されるのか、何が話されたかを詳しく知らなかった。皇大神が大神様の口を使って説法していたためである。その録音テープを大神様が後に聞き、こんなことを言っていたのか、と言われた記録もある。

釈迦にもキリストにも同じ記述はある。ヨハネ14.24あなたがたが聞いている言葉は、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです

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本来 霊界にいる神様が、生きている人間北村サヨ様の肚に入り、神様がサヨ様の口と心と体を借りて支配し、サヨ様固有のものは肚と真心だけになり、サヨ様に修行させて人間由来の悪を完全に捨てると、完全結合。神人合一の生きた神様、大神様が誕生された。釈迦・キリストも同じと言われた。外見上は目だけがサヨ様と神様が共通。生きている人間だけが持つ能力(他の霊を救う、変化させる能力)をフルに神様が使われ、乱れていた末法の霊界を再編成して正常化されたのだろう。スウェーデンボルグがいう救世主である。

(注)私は以前仏跡巡りで、苦行林、ブッダガヤのマハーボーディ寺院の金剛宝座、サルナート、ナーランダ、ルンビニカピバラストゥ、ラージギル、サラバスティ、クシナガラなどに行ったことがあり,そのツアーで一緒だった日本人が、仏教の知識があまりに乏しかったことに驚き、この宗教ブログを始めた。

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最近はコロナの影響でYoutubeに質の高い仏教紹介が多くされるようになった。例えば

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