異次元 異なる世界

異なる世界の事物を説明する時、非常に説明はわかりにくくなる。例えば、長さの単位しか知らない空間の人に、「重い物」を説こうとすると、「それは長いのではない、長くないというのでもない。短いのではなく、短くないというのでもない」

という風にしか説けない。論理的思考(自我)の人に無我を説こうとする般若心経の文言が典型だ。

同じような表現が大神様のご説法にもよく見られる。

「人生行路は山あり川あり、嵐も吹けば雨も降る。ここえ来る者でも、神行せるいうのにかわいそうにと思うてから顔を見るのもかわいそうな者がおる。それを上がってきたら天国に行けるんよ。地位でも名誉でも金でも財産でも行かれん。行かれるんでもなきゃ、行かれんのでもない。教えられた神教を行じんにゃ行かれんよ。」

人間には2種類の状態がある。

Aモード。人間の本能に根ざす欲望、それが発達した利己心、利己心を肯定する社会常識、知識、これを信じる人間の状態がAモード。神などいないし、死後の世界などない、ただの迷信、人間の理性が全てで、科学万能。人間のやりたいようにするのが正しいと信じて行動するとAモードは深まる。

本心が「自分や家族が大事でかわいい。いざとなれば他人はどうでもいい。」と思っているとAモード。

現代人は99.99% Aモードだが、きっかけがあればBモードに変化できる人もいる。

Bモード。人間は単なる動物の一種ではない。人間には霊性があり、神様の導きを受けいれている状態が「人間」である。こう信じて、神様の導きを受け入れるモード。ぎりぎりの状況で公共のために自己犠牲できる。ただ利己心は裏でくすぶっているだけで根絶できないのが普通。究極の選択を迫られた時、名誉欲、自己保存本能、我が子可愛さの本能など煩悩・潜在意識による行動をしてしまいAモードに戻ってしまう人も多い。

大神様のご説法の一部

「行けないものは行けとは言わない。やれないものはやれとは言わない。

知らず知らずに役座が50年にわたって己の踏んだその道を、我なんじらを証人にせん、今立派な証人つきで説いてる役座の口なれば

ついておいでりゃ案内しますよ天国に

神のみ国はいずこじゃろ、探していたのじゃわからぬが、

神のみ国が恋しけりゃ、神のみ胆に合うように

魂磨いて上がってゆきさえゆりゃ、肉体持ったそのままで

嬉しゅうて楽しゅうて面白うてならない境地で住める世界があるものを

何をぶらぶらしておるか、さあさおいでよ天国に

神のみ国はよそじゃない 神教実行する人の 己己の心に生まれて胆で育ってゆかなけりゃ

地位じゃ行けない、名誉じゃ行けない、金も財産も通用せん

神のみ国へ通用するものは人の真心だけなのよ

真心さえありゃ胆と祈りを足してやり連れて行くのが役座の腕よ

行くも行かぬも己己の胆任せ、行じてゆくのも神教よ、落ちていくのも神教よ

見せしめ戒め治める世の中の業さらし なって消えゆく世バカがおらなきゃ 神のみ国がわからない

類は類をもって集まる神のみ国になったなら、一番大事は何事か

己の心の掃除ができなけりゃ、一生かかっても行ける世界じゃありません

何が何でも心の掃除をしておくれ 布団の中に寝ていても、己の心の掃除はできるのに

蛆の世界をみたように、賽銭びつの前に居座って

家内安全 家業繁盛 死んでも命があるように 祈れど叫べど天の神様知らぬ顔

天の神様恋しけりゃ 神のみ胆に合うように

布団の中に寝ていても、心の掃除をやっておくれ」

1.役座とは大神様のこと。

「天が下、神芝居が始まっちょる。あっちの幕では喜劇あり、こっちの幕には悲劇あり、こっちの幕では名妙法連結経。その神芝居の女役座の座長というて胆で威張る神様が、釈迦とキリストとわしと宇宙絶対なる神が、天が下3人しか使うた覚えがないというて胆で威張っちょる」

2.天国=神の国=神教実行する人の心に生まれて胆で育つ、物質世界とは別物

3.神教実行=心の掃除=魂磨き

心の掃除をすれば、真人間になり、真心が輝く。すると神の声が聞こえるようになり、心が天国に住む、つまり神の国に住む。人間が神の国を作るのではなく、心が直っていくと、神の国に住めるようになり、さらに直っていくと、ますます明瞭な神の国が見えてくる。

人間は生まれ成長する過程でAモードになる。Aモードの時、論理的思考でいくら考えても、大神様のご説法はわからないだろし、聞く耳ももたない。儲かる投資法、美味しい料理、よく釣れる漁港などの話なら熱心に聞くが、大神様ご説法になんのメリットもないと感じ聞く気にならない。Bモードの状態なら、集中して聞き極めて明瞭にわかるだろう。AモードからBモードになるように、神様は22年間にわたり何度もご指導し、心の目を覚ませとお説きくださった。

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高橋是清随想録 昭和2年の金融恐慌を懐う(4)

感激に満つ議場

かくて銀行休業の非常手段は予期以上の好結果を収め得た。先ず第一の難関を通過し得たたけである。次に第2の難関を通過しなければならぬ。それは臨時議会だ。当時政府の与党たる政友会は160名で、憲政会と政友本党の合同による新党倶楽部は232名の多数であって、なかなか楽観は許されなかったのである。しかし私は盡忠報國の至誠の前には敵わないと信じていた。臨時議会は5月3日を以て召集され同8日まで開かれたのであるが、4日は開院式で議事が開かれたのは5日以後4日間に過ぎない。しかもその4日間は殆ど全部が衆議院の委員会に費やされ、最終日たる8日午後4時30分にやっと委員会を通過したという有様だ。この4日間の応酬で私は随分疲れが出た。

上塚秘書官が兎も角一応医者に診てもったがよかろうと勧めたけれども、医者に診て貰えば静養しろというに定まっている。しかし議場で死ぬとしても静養してはをられない身分であるから、医者に診てもらう必要はないと云ってとうとう頑張り通した。

議案がやっと衆議院本会議を通過して、貴族院に廻附されたのは最終日の午後6時頃であった。午後12時に会期満了となるのであるから、貴族院の審議時間は僅か6時間に過ぎない。それで会期を延長するのが寧ろ当然であったかも知れぬが、私は一日も早く財界救済法案を決定して、人心の安定を図らねばならぬと考えたので赤誠を披瀝して貴族院の諒解を求めた次第であるが、午後7時半頃から委員会が開かれ、9時半になっても尚ほ質問が続出して、いつ果つべしとも見当がつかない。困ったことだとイライラしていると阪谷男(阪谷芳郎男爵)が俄に謹厳な態度で起立し「私は本案に対して絶対の賛意を表するものである」と賛成演説を為した。

イヤこの時は實に嬉しかった。それでも10時20分頃委員会を通過し、本会議で可決確定したのが11時半頃。それから慣例によって貴衆両院の幹部室にお礼廻りを済し、自宅に引上げたのは午前1時半頃であった。實にこの日の貴族院ほど緊張した、そして感激に満ちた光景は、私の経験中稀に見た所で、私は非常に満足であった。帰途自動車の中から皓々たる月を眺めた時には實に何ともいえない、のびのびした安らかな気持ちだったことを覚えている。かくて第二の難関を切り抜けたわけである。

第三の難関

第二の難関も無事切り抜けたが、併しまだ第三の難関が残っていた。それはモラトリアムの結果如何である。

戦争の場合とか天災地変の際に當って、銀行預金ばかりでなく、一般支払いの延期をなすことは往々その例を見るところで、近くは世界大戦争当時の欧州諸国、関東大震災当時の我国においても被害地方にこれを実施したのであるが、併しながら単に銀行の取付けがあるということのために、私法上の一般債務の支払いを延期する法令を発布したことは、ただに我国においてのみならず世界においてもその例を見ないところである。

即ちこの支払猶予令の要領は、昭和二年4月22日以前に発生し同日より同年5月12日までの間において、支払いを要すべく私法上の金銭債務としての債務者については21日間その支払いを延期するというのであって、5月12日に支払い延期の期限は満了するのであるが、もしこの時に各種の債務、殊にコールに対する取付けが行われたならば、我財界は再び結滞を生じ、折角安定しかかったものが又復混乱に陥る危険がある。

そこで期限満了後の処理については十分の注意を払い、対策を考慮していたが、幸いにしてコールに関しては期限満了前に談合が整ったので、5月12日が到来しても財界にショックを與えず、何等の破綻も見ないで、無事に第三の難関を通過し得た。かくの如くにして、さしもに混乱を極めた財界もここに初めて安定の緒に着き、閉店中の「台湾銀行」各支店も一斉に蓋を開けることとなったので、私は6月2日にお暇を願って野に下った次第である。(大蔵大臣辞任)

この事件の教訓

以上、私が難局に當たった経験の一つを話したが、国民があの財界大混乱当時を時々思い出すことも、決して無駄ではないと思う。事業家も、銀行家も、当時の轍を踏まぬよう十分戒心して貰いたい。

今日は国家非常事態といわれ、殊に財政、外交に関し困難な問題が多いが、歴史を見ると30年戦争の後にも、ナポレオン戦争の後にも、また最近の世界大戦争の後にも、大戦乱の後には何時も各国の政治家が平和維持の方策を苦心考究するの例であるが、従来彼等西洋人の為し来たところは、専ら勢力の均衡を主とし、武備を柱としての和平工作であったから、それがために却って再び戦争を誘発した。武備を柱とした平和は一時的のものであって、決して永久的のものではないということは、過去の経験によりて明白である。永久の平和は各国民が互いに信頼するということによりてのみ求め得られると思う。

例えば一家の生活を見てもその通りで、一家和合ということは、一家族が互いに信頼するということから起る。信頼があってこそ、出来ることだ。また経済界においても工業、銀行、商業など各種當業者の間に信頼があり、資本家と労働者の間にも、同様信頼があってこそ、繁栄を見ることが出来るのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高橋是清随想録 昭和2年の金融恐慌を懐う(3)

死を賭す苦悶幾日

全国銀行二日間の休業、モラトリアムの緊急勅令、臨時議会召集この三大事を疾風迅雷的に断行したが、私はその結果に対して確心を有していたけれども、しかしこれは非常な大仕事であった。というのは、先ず全国銀行二日間の休業であるが、これは22日23日と休業し、24日は日曜日であったから結局3日間の休業となったわけで、大小となく総ての銀行をたとへ3日とはいえ、全国という広い範囲において全然休業せしめたということは、世界の歴史にも恐らく稀有のことであろう。しかも3日間の休業後、25日に至っては再び店が開かれた場合に、21日の如き取付け騒ぎが再現しないかどうか、これは神様以外に断言しうるものはない。

もし25日に至って、21日と同じような恐慌状態を繰り返すならば、内閣は成立後5日にしてその責を負わなければならぬ。即ちこのサイコロの動き如何によって財界の安否も内閣の運命も定まるのだ。そこで私はこの3日間にあらゆる努力を盡くして対応の策を講じた。

先ず日本銀行に交渉して、従来取引を許していた銀行以外の銀行に対しても資金の融通をなさしめ、担保物の評価に関して寛大の方針を取るようにした。

そして24日は休日にも関わらず非常貸出を続け、また正金銀行の方でもその海外支店に命じて、預金者や債権者の取付けに応ずべき十分なる資金を準備せしめた。その結果内地の各銀行はいうに及ばず、海外における支店も悉く再開の準備を整えた次第である。銀行の準備が出来たということが知れ渡れば、取り付け騒ぎは自然に止むわけで、それに3日間の休業は却って人心を冷静に帰らしむる余裕を与え、不安気分が大いに減じたのは幸いであった。

それでもまだ十分安心は出来なかったが、いよいよ25日の朝になって、上塚秘書官に命じて市中銀行を巡視せしめてみると、各銀行は何れも早朝から店を開いて綺麗に掃除し、カウンターの内に山の如く紙幣を積み重ねて、どれだけでも取付けに応ずる威勢を示しており、甚だ平穏だという報告があり、警視庁あたりの報告も同様で、先ず胸を撫で下ろした次第だ。当日東京市内では1,2の銀行に取付けがあっただけで、中には開店前にわざわざ数十万園の札束を運び込んで預け入れた人もあったということで、東京市中は全く平穏里に25日を終わった。

全国各地方からも頻々と電報が来たが、21日の陰惨な電報とは打って変わり、何れも平穏を報ずるものばかりであった。のみならず、21日に預金を引き出した連中は、その処置に困って一流銀行に持ち込むという有様で、一流銀行の預金者の殺到と変わったのである。

高橋是清随想録 昭和2年の金融恐慌を懐う(2)

日本銀行の恐慌対策

日本銀行はこの恐慌状態に応ずるため21日も非常貸出を続け、この日一日の貸出高は6億200万円に上り、貸出総額は16億6400万円、兌換券発行総額は23億2千万円で、前日に比して6億3900万円を増加した。

元来、日本銀行の貸出高は平常2億5千万円前後であって、一番多い時でも4億78千万円を超えない。少ない時は1億23千万円の所を上下していたのである。それが21日にはただ一日の間に6億円を突破し、総額16億6千万円、即ち平常の7倍以上に激増したのである。また兌換券の発行も平常は10億円内外であったが、21日には一日で発行した分だけでも6億3千万円で、総額は一躍して23億1千万円の巨額に達したのだ。実に空前の発行高である。

かように急激に増加したものだから、日本銀行では兌換券が不足となり、金庫の中に仕舞い込んであった破損札まで市中に出したがそれでも尚足らぬので、俄に5円10円札と200円札とを急造することになった。右の数字並びに事実が示す如く、昭和2年4月21日の財界は、前古未曾有の混乱状態に陥らんとしていたのである。

間髪入れずモラトリアムの断行

21日には午前10時から夜に入るまで、ぶっ通し閣議が続けられたが、午前11時頃だったと思う。私は各方面から集まる情報に基づいて、2つの緊急処置を取ることを決意し、午後の閣議にこれを諮って、各閣僚の同意を得た。それは、

(1)緊急勅令を以て21日間の支払猶予令、即ちモラトリアムを全国に布くこと。

(2)臨時議会を召集して、台湾金融機関の救済及び財界安定に関する法案に対し協賛を求むること

この2つであった。

ところが、モラトリアムの緊急勅令発布の手続きを踏むには、如何に急いでも22日一杯はかかる。発令は23日と見なければならぬ。そこでこの2日間応急処置を講じなければ危険だと考え、閣議決定と同時に私は三井の池田、三菱の串田両君を招き、モラトリアム実施の準備行為として、民間各銀行は22,23の両日自発的に休業して貰いたいと相談した。両君は

これを諒承して直ちに銀行団にその意を伝え、私の希望通りを実行することに決定した次第である。

そこで一刻も速やかに国民を安心させる為に声明書を発表することになった。即ち「政府は今朝来各方面の報告を徴し慎重考究の上、財界安定のため徹底的救済の方策を取ることに決定しその手続に着手せり」というものである。

右の応急処置は疾風迅雷的に決定し、間髪を入れるの余地もなくとり行ったわけだ。一方、東京銀行集会所及び手形交換所連合委員会は、21日午前11時半頃、臨時委員会を開いて金融動乱に対する応急対策について協議した結果、この場合、各市中銀行の連盟に困難なる事情あり、ただ日銀の徹底的援助を待つのみ、併しこれを行うとすれば日銀の損失を保障せざるばからず、それがためには議会の招集又は緊急勅令発布によるの外道なしと決定し、池田串田両君がこの決議文を携えて日銀の市来、土方正副総裁と共に、私を訪問して陳情せらるる所があったが、内閣ではその時すでに補償案を決定し、その法文を練っている所であった。

その夜11時頃対策案が出来上がったので、私は総理官邸から直に倉富枢密院議長を訪問して、あす緊急勅令案が枢密院にご諮詢になる手筈であるが、就いては事態の急なるに鑑み、一刻も速やかに議事を終了し、財界の不安を一掃せられたいと述べ、一方、平沼副議長には前田法制局長官が行って諒解を求めたという事だった。

かくて私が自宅に帰って床についたのは午前2時過ぎで、翌22日には早朝5時に起き、8時には官邸に出勤したという有様。老齢で殊に病後ではあり、家人達は頗る心配したが、人間は精神が緊張している時には、割合に疲れぬものだ。そこで私の健康は大丈夫だったが、折悪しく総理大臣が俄に発熱して一週間ばかり引籠もることになったので、私は総理大臣の代理までしなければならぬことになり、午前9時に赤坂離宮に参内し、財界救済の緊急策としてモラトリアム施行のやむべからざる旨を上奏し御裁可を経た。

そこで直に枢密院にご諮詢となったが、枢密院側とはかねて打合せが出来ていたから、枢密院では早手回しに精査委員会を召集してご諮詢の廻ってくるのを待ち構えていたという有様で、午前10時半頃から委員会を開き、11時50分頃全会一致を以て可決した。

次いで午後2時半から宮中東溜の間で、天皇陛下親臨の下に本会議を開き「憲法第8条第1項による私法上の支払い延期及び手形の保存行為の期間延長に関する緊急勅令案」を付議し、満場一致可決確定した次第である。

 

 

 

 

 

高橋是清随想録 昭和2年の金融恐慌を懐う(1)

あの時のことを思い出すとき、実に感慨無量だ。昭和2年3月15日に「あかじ銀行」が休業し、その波動が八方に拡がって、毎日各地に銀行の休業、破綻が続出し、財界の不安は日増しに加わって行ったが、4月に入るとその第一日から鈴木商店(大手商社)の整理が傳えられ、株式市場株が一斉に崩落した。

(海外も不穏、中国・ロシアで重大事件が起こり)諸株はいよいよ低落する一方であった。

かくて4月8日に至り神戸の「65銀行」が休業し、鈴木商店の業態が危険を報じられ、神戸を中心として関西金融界の不安が著しく拡大し、コール市場は事実上閉鎖されるに至ったのである。鈴木商店の危険が傳えられ、「65銀行」が休業したということは、これと最も関係の深い「台湾銀行」に対する危惧の念を一層強からしめ、当時すでに緩慢なる取り付けを受けつつあったものが、ここに至っていよいよ急激なる取り付けを受けた。殊に同行に対して巨額のコールを貸し付けている銀行は、相前後して回収を始めたので「台湾銀行」は非常の窮地に陥り最早支払停止をなす外に方法がなくなって了った。

そこで時の若槻内閣は、日本銀行にして「台湾銀行」に対し、2億円の金を貸出させ、それがためにもし、日本銀行に欠損を生じた場合は、政府がそれを補償しようという案を立て緊急勅令をもってこれを発布しようと企て、4月14日議案を枢密院審査委員会に付議したが、同会は全員一致をもってこれを否決した。それでも政府は本会議においてあくまで本案の通過を図ったけれども、その努力は遂に水疱に帰し、内閣は責を負うて辞職した次第である。

そして「台湾銀行」救済の緊急勅令が不成立に終わると同時に、同銀行の内地及び海外支店は一斉に閉鎖のやむなきに至り、これが財界に非常のショックを與えて、18日に至ると日本銀行の貸出は空前の激増を示して8億8千万円に達し、それが前日の5億8千万円に比し、僅か一日にして2億9千万円を増加したのである。19日に至ると全国金融界の動揺は更に甚だしく、各地の銀行が相次いで休業するもの多く、対米為替も48ドル8分の3に低落し、財界の不安はいやが上にも加わり行くばかりであった。

この混乱の最中、4月19日午前11時に組閣の大命が田中男(田中義一男爵)に降下した次第である。田中男は大命を拝して宮中から退出するその足で直ぐに私を訪ね大蔵大臣として入閣してくれといった。

私は当時すでに74歳で、大正14年以来政界を引退し、閑雲野鶴の身であったけれども、当時の財界は非常なる危険に直面していたのみならず、同時に我国の海外における、財界信用も殆ど全く失墜し、外国の諸銀行が日本の銀行との取引を拒絶して来るような状態にあったので、私は遂に老齢でもあり、また当時は病後の衰弱がまだ回復していなかったけれども、この国家の不幸を座視するに忍びないという気になり3,40日という約束で就任を許諾した次第である。私の見込みでは3,40日で一通り財界の安定策を立つることが出来ると考えたからだ。

就任式の行われた4月20日の午後6時半は、式後直ちに総理大臣官邸で最初の閣議が開かれ、私が自宅に帰ったのは夜の9時頃であったが、私は自宅に帰ると直ぐに日本銀行総裁、同副総裁及び大蔵次官を招致し、既に数日前から緩慢なる取り付けを受けていた「15銀行」の救済問題について意見を徴した。それから日本銀行をして21日の午前3時まで非常貸し出しを敢行するよう交渉し、かくて各銀行の手元準備の充実に努めた。

ところが21日午前2時半、「15銀行」休業の報が一度伝わると、不安に怯えた預金者たちは21日の明けるのを待って怒涛のごとく各銀行に押し寄せ、東京、大阪、名古屋、京都、神戸等の大都市に於いては勿論、地方の各市町に至るまで、300人、500人、千人という多数の預金者が銀行の窓口に殺到して取付けを始め、ここに全国的の大恐慌を現出するに至ったのである。

(注)コール 銀行間の短期貸し借り

(注)詳しくは髙橋義夫「金融恐慌 蔵相 高橋是清の44日」

 

高橋是清随想録 「心」をとり逃がすな

妄念の雲に支配される

最近の世相を、いろいろの方面から見て、いろいろのことが云える。しかし、私は、どの方面に対しても、一口で云えば、まことに気の毒でもあり、また情けなくもある状態だと思っている。

何が情けなくもあり、また気の毒でもあるかと云えば、人間には、通常「心」とも云い、或は「真」とも云うが__名は何と呼ぼうとも、とにかく自然に備わっているものがある__それを現今の世の人々が、取り逃がしているからである。

昔から、よく恒心ということをいうが、この人間に自然に備わっいる「心」或は「真」なるものは、少しも増減することのない、また変化することのないものである。

人は、歳を取るに従い、またその環境によって、いろいろと智慧がついて来る。これは、目で見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、口で味わい、体で触れて、即ち五官によって認識するのであるが、その認識したものを支配する「心」或は「真」が、天から授けられているのである。

この「心」を、現今の人々が取り逃がしているために、五官の認識が、めいめいの体や意識を支配するようになっている。そして五官を通じての認識のみがはたらくのは、妄念であって、信念ではないのである。

私はよく、都会の塵をのがれて、葉山の別荘へゆくが、そこでは、真正面に、富士の山を望むことが出来る。しかし、富士は、何時までも同じということがない。

雲が一面に垂れ込めたり、或は雨が降ったり雪が降ったりする時には、富士は見えない。また見えている時でも、雲の動きによって、その姿は、始終かわって見える。

併し乍ら、一旦雲がすっかり晴れわたり、空が澄み渡ってみると、それまで雲の変化によって、いろいろの形をしていたものは、すべてなくなり、本来の富士の八面れいりょうたる姿が、現れて来る。

人間の「心」とも云い、或は「真」とも云うも、つまりは、この富士のようなものである。それを取り逃がし、五官の働きのみによって意識するのは、恰も富士と自分との間を遮る雲によって、富士の真の姿を、見逃しているのと同じである。

私は世の人々が、この妄念の雲によって支配されていると考えるので、気の毒にも感じ、情けなくも思うのである。人は「心」を取り逃がしてはならない。

(注)神教では、同じ趣旨の話がよく出てくる。

人間の肉体を維持するために感覚器官があり、その五官ベースの欲望を人間は自分の心と思ってしまう。これは眠ると停止する意識であり、自我であり、神様を忘れての盲目的な家族愛も自我の一種である。人間が作った思想・理論も、それを絶対視すると自我になる。般若心経も言う。「受想行識、自然的な心」これらはすべて実体のない物、つまり自我であり、それを野放しにすると「真の人生」を見誤る。

人間にはもっと本質の魂がある。魂には目も耳もある。神を見れる心の目、神の声を聴ける良心である。死後も不死で輪廻する。神言を実行し、良心が育ち、正しいお祈りをし、反省懺悔で自分を直し、人間道に立ち返れば、心の掃除をすると、神様が内なる魂を磨いてくれる。逆に良心を麻痺させて悪事に溺れると悪霊のおもちゃになって魂が腐る。

自分の周囲の人に真心で尽くせるようになれば、相手も自分に親切になる。周りの人が自分に和気あいあいで接してくれる。これを地上天国という。

自分の過去世を含めた今までの因縁(この一部が潜在意識)に由来する、善霊は助けるが、悪霊は邪魔をして、人間道に立ち返るのを妨害する。名妙法連結経お祈りだけが、この因縁を切る力がある。云々、云々、云々、、、

 

 

高橋是清随想録 私の見た不思議な夢

わしは夢を見た__。

昨年(昭和6年)3月1日の夜であったが、身は、いつか岩屋の洞窟の前に立っていた。奥の方があかるくて、そこには、一人の御僧が端厳な形で、禅定に入っている。

はてな

すると耳元に、あれは蓮恵上人だと云うささやきがあった。

蓮恵上人さまというのは、まだ聞いたことがない名前だがと思っていると、これはいかに何処からともなく、大蛇が現れ出て、巨きな口を開いて、パクリと、此の上人を呑んでしまった。

大蛇はやがて、千年の秘密をたたえているような大きな池の中へ、そのままどぶりと身を沈めた。わしは、どうなることだろうと、其の池の面をじっと見つめていると、やがて此の大蛇が又頭をもちあげた。

そして大きな口を開くと、今度はそこから雪のように真白な雲が、すーーッと吐き出された。層々又層々、雲はつずいて吐き出されたが、よく見ると、其の雲の中から、燃えるような真紅の法衣をまとった御僧が現れ出た。

「あッ!」

さっき呑まれた蓮恵上人だ。

ニッコリと笑いかけて、白雲の中に御姿を没して了った。

わしは、そこで目がさめた。

今迄、夢は見ても、こんなにハッキリと覚えているものはない。

どうも不思議だと思うて、蓮恵上人のはなしを、他に訪ねてみるが、そんな名僧知識は居らないと言うことである。しかし歴史上の人物でないとしても、これには、何等かの啓示があるに相違ない、どういう次第であろうかと、実は自ら工夫し、自ら省察して居たが、此頃になって、ようやく説得できるようになった。

洞窟に端座して居られた上人は、吾々人間が、修養に志して居る姿である。しかしじゃ、吾々が只心を練り神を養うというてもいかん。大苦難、大難事に出会わねばいかん。大蛇は、この苦難、苦患のルツボである。これに一旦のまれて、これに鍛冶されて、さてそれから後に本当の、人間が出来上る。云うて見るならば「艱難汝を玉にす」という諺がある。それに当てはまる。わしがまだそんな風に考えていた心持が、寓話の形をとって、夢の中に現れたものであろうと、こう信じておる。