詳細な記録

お祈りで奇跡的に助かったという話は天照皇大神宮教には満ち溢れている。詳細な記録が残されている例。
Aさんは一家揃っての神行であったが、Aさんはそれ程深くは信じていなかった。そのため病気になり激痛に苦しめられると、医者に頼った。昭和28年3月7日夜10時過ぎ寝床に入ってまもなく猛烈な痛みに目が覚め7転8倒に苦しみ始めた。これが悪性の盲腸とは気づかず、3日目の朝全身に震いが起こり、たまりかねて医者を呼んだ。盲腸との診断で6本の注射と鎮痛剤を飲んだ。しかし腹部は腫れ始め激痛は増すばかり。4日目朝再度医者を呼ぶと内科医は手がつけられないと、山口県医科大学の外科医を呼んでくれた。入念な診察の上、すでに手遅れ、盲腸破裂で腹膜炎、即刻入院手術しないと命が危ういと診断した。宇部医大に紹介手続きをしてくれ、早速開腹手術を受けた。右腹部を切開した時医師は驚き、内部の腐敗した膿を取った。盲腸の手術が一応終わり、左腹の手術に移ろうとした時、一人の医師が危険だと言って制止し、協議の末手術は延期された。彼らの話を聞いた時、私は自分の溶体が憂うべき状態であることを知った。ベッドに寝かされリンゲルの注射を受けた後、主治医が結果を報告にきた。盲腸の手術は手遅れで、化膿した膿が腹部と背中にまで廻っており、後2回の切開手術が必要、相当の重体であるが、医者として出来る限りの手を尽くしますという。その後定期的な診察とオーレオマイシンの注射を6時間おきに受けたが激痛は増すばかり。翌12日には1段と酷くなり唸り声を上げて、悶えるうち、夜半になりひっきりなしの嘔吐が起きた。黄色い膿のような液を洗面器一杯吐いた。その度ごとに傷口は猛烈に痛み、例えようもない激痛の前にわたしは生きる望みを失った。死がこの病苦を解放してくれる唯一のみちと思い早く死ぬことを願った。喉の渇きは酷く一杯の水を飲んで死のうと思ったが、それも許されず、13日午前10時半頃、間断無く続く激痛の最中、不思議な事が起こった。
今までモルヒネを注射してもきかず注射で止まらないと医者が言っていた激痛が次第に去り始め、午後には小康状態となり、意識もはっきりしてきた。午後4時母が病室に来て、田布施にお参りした一部始終を話した。大神様は「あれが治ったら、わしが首をやる。切っては縫い縫いしていくうちに衰弱して死ぬる」と申され、しかし神の大慈悲を賜りお祈りしてくださった後に「3日したら快方に向かうから退院させよ。そして2週間を過ぎたら本部に参らせるように」とまことに有り難い神言を賜った。その時刻がちょうど10時半で、その時から痛みが止まり、気分がよくなった。聞き終わった時、私の心に過去の深い反省が悔恨の情となって沸き起こった。私は今想像も及ばない、大神様の偉大な神力を身をもって体験させて頂いた。現代医学でさえ私の激痛は止められなかった。大神様の偉大な神力は表現し難い病苦を一瞬のうちに解放してくださった。この時私は肚から神を信じることができた。当時切開したままで2本のゴム管がささった重体を問題にせず、何もかも大神様の言われるままに、おまかせする決心をした。其の夜は1週間ぶりに眠ることができた。翌14日医師は診察に来て驚いた。今あの主治医の顔が印象に残っている。「これは一体どうしたことだろう、何が効いたのだろう」前日奇跡の起こるまで化膿し大きく脹れ上がった腹膜はわずか一日の間に平常になり、腹部の反応は良好な結果となり無痛状態になっていたためだ。ようやくして医師は「これで病気は峠を超えました。以前なら君は死んでいるが、現代は医学が進歩し、優秀な新薬があるのと、それに君の体の抵抗力が稀に見る程強かったので、どうにかなったのでしょう。普通の人ならこんな事はない。君は元気が良い、、、」大神様の神力によって生じた奇跡を知らない主治医はそういった。その後3日間医師は経過は良好であると言い、私は病院で不思議な日を送った。後にわかったのだが、大神様は「神が退院させる為に、状態が良くなったのがわかろう」と言われた。実に不思議。16日大神様の言われた3日目なので母と叔父が退院させようとすると受付られず、主治医が君の母上が言われた事は本当かと尋ねてから、私の退院の意志を確認した。「今退院しては死ぬ」と説得し、さらに3回に渡り計7名医師が退院しては治らないと説得。最後に外科部長は精神医を連れてきて「君が信仰に生きようという事は偉い。しかし信仰で君の場合、絶対治らない。重体の君に退院を命じる人は誰であれ精神異常者だ。どうか考え直してくれ。もし君の病気が治らないとしても、医学の力で死をすこしでも先延ばすことができる。信仰ではそれが不可能」と長い時間温情にあふれる説得をした。
「神様の言われる通リにして死ぬのは本望ですから退院したい」と言い張ると医師は死ぬ責任は持てないと諦めた。17日医師の猛烈な反対と人々のあざ笑いの中、大神様を信じて強引に退院。家に帰った夜から再び激痛が起こった。これからが本当の私の行が始まった。過去に犯した罪の懺悔をしなければ、自分の苦しみは治らないと反省とお祈りを通し続けた。最初の内は腸が動く苦しみがあったが、次第になくなり、傷口に差し込まれていたゴム管は自然に抜け落ち痛みが消えた。ザクロの様になった傷口から流れる膿をガーゼで拭いお祈りだけで解決した。5月1日本部道場にお参りした。前日まで寝たきりで歩けるか心配でしたが、行く肚が出来た時、不思議に神が力を授けていただいた。本部までたどりついた。その後の回復は不思議な程急速で、蒼白で骨と皮になっていたのが、6月末には一人前になった。大神様は私を連れて、死ぬと断言した医者に私を見せた。「不思議だ、君は運が良い」と何回もいい、大神様は「医学が絶対ではない。病気は霊界のかげろう」と説かれた。
その後も内部の腐敗した毒素を出すために膿は出続けたが、大神様の予言された9月末に完全に止まり、さしもの病も全快した。盲腸だけでなく、胃、心臓、脚気等の持病も大神様の神力で全快した。
今も私はこの奇跡を忘れられません。試練は神への導きと、私もこの大きな体験で始めて目を覚ますことができた。大神様が全知全能であらせられ、その神力は想像すら超えて偉大であることを認識した。神行が理論や観念でなく体験で分かることが味わえた。この度の試練は、私の腐り果てた心の転換を図る良い転機になった。今までの煩悩虚無絶望の自意識は吹き払われ、暗く寂しい私の性格は明るい朗らかな気持ちに変わった。真の教育は真の宗教、真の宗教から流れ出る教育でないとだめという神言を本当に悟った。医者がどうすることもできず、悲惨な生涯が終わろうとした時、大神様に救っていただいた私は、感謝で一杯で、今後は神の国のために、裸一貫やらせていただくことを、大神様にお誓いし、少しでも大神様のみ心に添いたてまつように行じさせていただく覚悟である。
(注)天声151号子供欄に小2の子供も同じような体験を書いている。同種のことは参照
2014−12−24 世の末 
2013−11−28 絶体絶命
2011−12−13 神行と病気と寿命の関係
なおこの記事を持ちまして,このブログは当分休止します。ブログ開始(2009−3−30)から「2011−11−07驚異の教祖、北村サヨ」を書いたのが何と偶然2年222日目,数字の不思議を感じます。

天声創刊号

天声は毎月発行の天照皇大神宮教の月刊誌である。発行開始は昭和29年1月(紀元9年1月)であり、大神様の第2回海外ご巡教(紀元9年2月11日ー紀元11年2月13日)の直前である。1号から19号は大阪の瀬野直道氏が編集・発行人になっている。発行所は産興本社である。3号以降は本部編集部ができて編集に加わったようだ。20号以降は編集・発行人は北村義人氏(若神様)、発行所は天照皇大神宮教になっている。102号以降は教団機関誌と明記されている。
創刊のことばは
「ああ美わしの神の国 神のみ国は開け行く 神のみ国が開け行きや 悪魔の世界は消えて行く 早くお目々をさましやんせ お目々さませば神の国々」これは前大戦の惨害によって、全世界が混乱の極に達し、敗戦の祖国も虚脱狂乱の巷と化し去った日、極東は大日本国山口県田布施の片田舎の人々の心耳を打った、天来の福音であり、天遣の神歌であったのであります。斯くして天照皇大神宮教が人類救済、神の国建設の神意を以って、我が国土に生まれましてから早くも8年、今や、宇宙絶対の神の前には、人類悉く神の子にして、白人も黒人も、挙って来り信ず可き大法門は開かれ、人々は各々在家の生業に励み、魂を磨きつつ、神人合正の大易行道を教祖自ら、陣頭に立たれて宣教せられているのであります。
しかし世界は尚混沌として、末世の対立と冷戦を続け、人類は地上の平和を希求しつつも尚利己と我欲に迷って居ります。即ち神の国は互助相和の一つの世界である可きにもかかわらず、強国は、原子爆弾の研究と保留に狂奔して自らの利益守らざるを得ず、一歩誤れば人類滅亡の第3次世界大戦に突進せんとしつつある現状なのであります。
何たる無知!何たる邪悪でありましょう!
この時に当たり、新年の初頭、本誌「天声」の創刊号を世におくり得ましたことを神に感謝いたしますと共に、本誌が、神教弘布の平和原子爆弾ともなって、広く愛読せられんことを切願して止みません。
皆様!神は地上の経綸を人類に負託せられているのであります。老若男女を問わず、それぞれの立場に於いて神の使徒となり、人類救済、神の国建設の偉業に邁進しようではありませんか。謹んで皆様の御清福と本誌の発展を祈念し、創刊のことばとします。
最後のページは50であり、本部だよりと編集後記が出ている。
本部だより:「この道は盆も正月もない」大神様のみ教えにある通り、一刻の懈怠も許されない、毎日が人間磨きの場なのである。現職そのままで神に行く道に励む同志の方々は、いよいよ近まった大神様の渡米を前に、一日も早く神の国完成へと拍車をかけ修練にいそしんでおります。大神様の渡米準備のいろいろな仕事、計画も同志の方々の行ずる心によって進捗し、お留守中は決してご心配をおかけしない、一本立ちの神役者たるべく、ここのところ大神様の御渡米を中心として道場本部の一切が運転されているといってよいでしょう。その動きの中で注目されるのは数々の出版でございます。
生書英訳本:大神様の御渡米の際持参され彼地においてみ教えを弘められる一助にもと先年出版された生書がみごとな英訳本となって出版されます。この英訳にあたっては同志の方々のご苦心はもとより、ニコルス駐米神戸文化交換課長の献身的なお力添えがあったことは銘記さるべきでありましょう。2月5日発行予定であります。
アルバム:永らくお待たせしました写真集はいよいよ12月甘日発行の運びとなりました。(略)
天聲:何とすばらしい題名ではないでしょうか。これは新しく発行される雑誌に大神様自らさっと名づけられた題なのです。創刊号にふさわしい内容を盛って新しい同志に”み教え”の何たるかを具体的に、平易にお知らせする役割を持つものです。
後記:「天声」という題名を大神様にいただいて世の人のお役にたとうと大阪人が立ち上がっていよいよ第1号の発刊の段取りとなったことを読者諸兄と共に心から喜んでおります。4,50ページの小誌ながらいよいよ発行となるまでは大変で、手がけたものが世に出るということは何とも云えないそこにうれしさがあるものです。私達凡夫のすること故、大神様のみ心にはまだまだそいえないですが、今後とも全力でよりよいものを出版していく心算であり、「天声」と言う名にそむかず、神の国建設のお役に立ち得ることを願っております。最後に立派な原稿を寄せていただいた方々に心より感謝申し上げます。(一部省略まとめ)
(注)創刊号に蔵前警察署長のAさんが手記を寄せた。大神様を官舎に招き、ご説法をいただいた人で、日本開顕同盟主催の座談会(天声47号)に大神様のお供をされた有力な同志である。肚を作るとはどんなことか、無我の舞の本質とは、とか示唆に富む記事である。天声42,43号にも手記がある。最近では天声708号でご子息がご本部に参らて、Aさんのことを語られた記事がある。
真心は誠心と表記されている。49号からは真心の表記に変わった。実相の世界とは現象界と霊界とを一本化したもので神の世だと書かれている。大神様の出現でそれ以前の「霊界と現象界は相応の関係」から神の国では一体化したことを意識していたのだろう。これでうなずけることが多くある。
なお表紙はカラー画である。若林四郎氏の作画。5羽の鶴は宗教誌天声が地上の5大陸に神行する様念願して山口県の鶴を取材して描かれた。表紙の天聲の字は2号から大神様の直筆の書字である。産興本社は今は不明であるが、当時社長が弘津肇氏。紀元8年10月24日大神様は同社を訪問され弘津氏と面談、その後大阪中之島公会堂でご説法。この会場に弘津氏招待の大阪財界人多数出席。夜に堂島清交社倶楽部で産興本社主催の大阪の知名人の座談会にご出席された記録がある。大神様在米中、神教を米国知識階級に弘めるのに非常に貢献していたメイ博士(Dr. Leo Carlyle May)の要請により(博士の追加の神教研究論文の資料のために)日本同志に広汎なアンケートがなされた。その中に同志の体験した奇跡、神秘体験の項目もあり多数の体験談が集まった。その一部が天声に掲載されだしたのが18,19号である。この時が潮の変わり目だったようだ。

神教が個性になる

「神教が個性になるまで行じよ」という神言がある。これが良くわからなかったが、天声の子供欄の記事でヒントが得られた。大要は、
1.電車や車が急ブレーキをかけると乗客の体はのめる。これは慣性の法則である。これを惰性ともいう。我々の生活もひとつの運動のようなもので、知らず知らずの内に惰性で習慣ができ、癖となる。毎日酒を飲んでいれば飲酒癖になる。人に頼ってばかりいると、人に甘える癖ができる。
2.癖に気づき直そうと決心することを、肚を作るともいう。
3.この決心は1回だけでは癖は直らない。癖は何回も何回も出てくるので、その都度やめようと決心することが必要。
4.この決心が毎回できることを「神教が個性になる」という。こうして悪癖が直り、正しい行が自然にできて、真人間の道が目つんぶりでも歩けるようになる。
(注)理想的には、「神言が良心に染み込み、時に応じて自然に神言のままに行動できるようになる。」これが神教が個性になった状態である。ここからも毎日ご説法を聞いたり、読んだり、神教出版物を読んだりすることの重要性が出て来る。単に知るだけでなく、自分の心に適用する応用が大切。
スウェーデンボルグの解説するキリスト教にも繰り返し同じ事が書かれている。例えば「天界の秘儀2巻」P267には「真の良心は主により信仰の諸真理から形作られるものである。人間がこれを与えられた時は、彼はこれに反して行動することを恐れる」。これを神教に翻訳すると、「真の良心は大神様により、その神言から形成されるものである。これを与えられると人間はこの良心に反することを行わないように気をつけるようになる」。奉答歌に「大神様のみことばは人生行路の羅針盤」とこれが歌われている。
「肚を作る」の究極は「神様を信じることが深く、自分を含めすべてを、神様に委ねる。ここまで信じられること」と言う人もいる。職場での立場や利害、地域社会での評判を超えて神教の使命感で行動した人達の言葉である。
別の人は「どんな困難にも立ち向かい乗り越えようとする強い意志と勇気が肚だ。」と言う。中国医学では丹田というツボがある。ここを普通「肚」という。神歌の時手を置くように指導されている場所だ。これは丹を育てる場所(田)という意味だ。丹とは主意識(自分本来の神から分派した魂)らしい。この本来の自分を良く説明しているのが天声152号子供欄「我をとる」という記事だ。肚練とは道教の錬丹術からきたのかもしれない。肚を作るとはこの場合、「気をしっかり持つ」ということになる。璽光尊に大神様が注意された言葉だ。自分の邪念に誘惑されない強い正しい心を持つことだろう。「神の国はどこにある。神教実行する人のおのれの心に生まれて、肚で育つ。」
(注)神教に救われると、嬉しくて楽しくてならない世界に住める。霊界の天国を神様が作られていて、そこに人の魂が到達すると、自然に嬉しくて楽しくてならなくなる。そこでは人の自我利己が克服されていて、悪をなそうという欲求がなくなり、あらゆる善行に励み、人には自然に真心を尽くす。すると因果の理法により、良いこと、幸運が増え、悪運や悩みが来なくなる。すると次の日も、次の日も嬉しくて楽しくてならない、感謝の日々で暮らせるようになる。これを「神教が個性になった」という。これが幸福な運命を作る。
フランク・アウトローは面白いことを書いている。
自分の考えに気をつけよう  それは言葉になる。
自分の言葉に気をつけよう それは行動になる。
自分の行動に気をつけよう それは習慣になる。
自分の習慣に気をつけよう それは人格になる。
自分の人格に気をつけよう それは運命になる。  

野狐禅

宗教で常に問題とされてきたテーマがある。「よく修業して悟った人には災難や不幸は起きないのかどうか。また何をしても良いのかどうか?」という疑問である。答は、「因縁因果により災難は起きるが、悟った人はその災難が因縁因果の結果であると知っているので心を乱されることはない。また自分の口と心と行ないが未来の因果の因になるため、人間道を外れないように常に注意する。」
1.仏教の禅宗では「野狐禅」が典型である。
百丈懐海禅師が作話した。自分が説法していたとき、一人の老人が説法を聞いていた。 ある日老人は一人残った。百丈は不思議に思い、「一体、お前は誰か」と声をかけた。老人は「私は人間ではない。大昔カーシャバ仏の頃、この山に住んでいた。ある時、一人の修行者が私に質問をした。『大修行底の人は還えって因果に落つるや否や?』。私は、即座に、『因果に落ちず(不落因果)――因果の制約を受けない』と答えた。その答えの故にその途端、わたしは野狐の身に堕とされ五百生(五百回の生まれ変わり)して今日に至った。正しい見解を示し助けて下さい」と懇願した。
そこで、この老人が百丈に同じ質問を問う。「禅の修行が良くできた人でも、因果の法則を免れることはできないのか?」。
百丈は即座に「不眛因果」(因果の法則を知り、心をくらますことない)と答えた。
老人は百丈の言葉によって大悟し、礼拝して去った。その大悟にて野狐の身を脱することができたという。これを聞いた黄檗が問うた。「もし彼がこれでも悟らなかったなら、彼はどうなったでしょうか」
百丈は「ちょっと前に来い」と言い軽く黄檗の頭を叩き「胡人の髭が赤いとは聞いているが、更に赤い髭の胡人がいようとは」
2.孔子の「君子固窮」
 陳という国で食糧がなくなってしまった。弟子はみな病気のようになり、立ち上がることもできない。子路が怒って、先生に面と向かってこう言った。「君子でも食に窮するなんてことがあるんでしょうか」。先生はおっしゃった。「君子だってもちろん窮することはある。小人は窮すると混乱してしまうものだ」。
3.天照皇大神宮教 大神様ご説法
因果の道理は逃れらませぬ。因果の道理を逃れるために行の道に入ってはだめよ。過去現在未来3生因果が出てきても、恨みが感謝に肚から変わるようになったなら、あらゆる試練を感謝で受けて、肚から笑顔で送れるようになれるよな、肚ができたなら、山より太いししは出ん だれでもやれる行の道
行というても人間道を離れた行はない。
(注)野狐禅とは1.の如く百丈禅師が「聖人も凡人も因果は逃れられない。聖人は事に当って因果の理法、神の摂理を見る。自分は修業し悟ったから因果を超えたと自認するものは狐(悪の霊能者)である。」と教えたことにすぎない。しかし最後の黄檗との行為が後世誤解を生んだ。野狐禅の真意を解することのできない未熟者が勝手な解釈を弟子に教え、それが流派として禅の公案となっている。河口慧海如来禅の重要性と公案禅の弊害を説き、「正真仏教」P181-P193に公案禅の実情を書いた。一例は
問:如何なるか不落因果、不昧因果
答:不落因果コンコン 不昧因果ワンワン (不落も不昧も大して変わらないの義)
別の流派では
前に2,3歩出てコンコンと言ったり、後ろに退きワイワイというのが「正解」云々
現今の禅の室内の公案通過とはかくもくだらないものもあるようだ。現今、仏教では救われない。天照皇大神宮教でだけ救われる。と大神様が大宣言をされたが、仏教を学ぼうとしても、釈尊の教えが変質して伝わり、随所に落とし穴があり、とうてい仏にまで到達できない。これが良く分かる。神教の下で、現代の実生活において、職業・家庭など日常接する人と、日々の出来事を修業の場、糧として、自己の悪癖を自覚して直す、正しい名妙法連結経のお祈りをして、神に行く道を歩む。この教えのすばらしさがここでもわかる。
大神様は常に人間は死ぬまでが行で、それまで完成することはない、自分が悟ったと思ったら落ちている、まだだめ・まだだめで行じよと注意されつづけた。野狐禅の「自分は悟った」と思う増上慢こそ最大の誤りであるというご指摘である。「みおしえかるた」にも気を引き締めよという項目もある。
そ:卒業証書は死んだ時
ら:落第多い神の国
(注)「みおしえかるた」を作ったのは子供時代の川村(木戸)泰子さん、山口(藤井)久子さんである。

大神様のご訪問

大神様がご巡教などの時、同志の家にお泊りになることが良くあった。海外巡教でもホテルに泊まらず、神様と分かる人の家に泊まられ、そこでお祈りをして悪霊済度をされ、家の人に神教され、後進国ではホテル代以上の代金を与えられたりした。その資金がその後の活動費に生かされたのだろう。多くの人が大神様をお迎えした経験を書いている。その一例である。
紀元18年(昭和38年)の元旦大神様は歯科医のAさんに「2月25日には福岡へ歯の治療に行く。楽しみにしているよ」と仰せられた。Aさんは大喜びで福岡近辺の同志と共に準備を進めた。(大神様をお迎えするために風呂や便所などを特別に新しくした人は「このようなことをするな」と強くご注意されてきている。掃除以外の準備は最小に留めるのが神教のようだ。)博多駅でのお出迎えでは3番ホームが同志で埋まった。大神様は「同志がこんなに大勢出迎えてくれたのだからその真心に対して福岡で説法してやろう」と仰せられ、皆は大喜びした。歯科医宅に泊まられて、Aさんは感想を書いている。
大神様のご日常が即神教であるとは、良く聞かせていただいていますが、その規則正しいご生活、1分でも時間を無駄遣いしない点、人を救い国を救うのに時と場所を選ばない点、人に迷惑をかけられない点、何から何まで全く神様でなければの感を深くさせていただきました。
お食事は昨年8月よりの中気以来、玄米食にされていて、この玄米は田布施よりご持参、副食、調味料、野菜類、箸、スプーン、ふきん、食器洗剤にいたるまで、すべてご持参で、遂に私共は何もさせていただけなかった。お食事は実に質素で、私共はロースハムを用意していたのに、大神様は安いプレスハムを買われており、暗にもっと質素に生活するようにお示し下さったと感じた。2回、田布施のご本館に電話されましたが、電話料はいくらにだったか電話局に問い合わせるようご指示され、わずかですから結構ですと遠慮しても、迷惑をかけてはいけない、と言われ、局への問い合わせた料金までも含めて支払われた。徹底した「人に迷惑をかけない」という神教をお示しになった。
3月2日(土曜日)1200名定員の福岡国際映画劇場で公開説法された。九州地区同志の活躍であふれるばかりの盛況で、前座の同志のお話のあと約1時間自由自在に人間道をお説きになりお祈りで終わった。ご説法終了後Aさんの車まで大神様がこられると、某宗教団体の若い女性2名が来て、ご説法で分からなかった点を次々に質問すると、大神様は一つ一つ丁寧に答えられた。なおわからぬ点は支部に行って聞きなさいといわれ、Aさんに自宅である支部を教えてあげなさいと言われた。そこで毎週土曜日午後7時30分より磨きの会をしていることを教えた。大神様は「A,今晩は磨きの会をするんだろう」とおおせられた。Aさん達地元の同志は大神様はお疲れだし、公開説法の直後なので、本日の磨きの会は中止するつもりでいた。それを大変お叱りされた。「磨きの会は神様が決めたことなのよ。どんなことがあっても止めてはいけない。誰もこなければA一家とわしだけでもお祈りして、磨きの会を開こう。」とまで言われた。驚いて残っていた同志に伝え、その夜は80名も集まり大神様と膝突き合わせての共磨きであった。
大神様のお出ましになる磨きの会ですから、「集まった者は徳を積んだことになる」「集まった者全部がそれぞれに持った悪因縁がお祈りによって切れていく。そのように大切な磨きの会を中止すると、Aがその分の悪業を全部背負い、切れる筈の悪因縁も全部背負わねばならなくなる。さらに神様のみ心に反して磨きの会を中止することで大罰の種をまく所だったのよ。そこでキリスト教の女2人を使って、Aに肚の神様が罰の種をまかないように、よいようにして下さったのよ」「磨きの会では個人個人のお祈りでは済度されない霊も、磨きの会で皆の力強いお祈りでそれぞれ済度されることが多いのよ。大切なのよ。わしは説法中にもし死んでも本望なのよ。自分の体の方より、説法する機会を閉ざされる方が、どれほどつらいかわからないのよ」と教えられた。なお大神様に質問した2人の女性が、その後支部を尋ねてきたことはなかった。(以下略)
この日の磨きの会に出席して「人生が変わった」人もいた。以下Bさん(女性)の手記の抜粋である。
紀元12年私はA歯科で治療を受け、田布施の生き神様を教えられた。治療の都度神教を聞き、この宗教は普通でないと気づき、早速磨きの会に参加するようになった。私は当時28才で8ヶ月の次女のことで悩んでいた。頭も体も発育が遅れ、病院でも治療できないといわれていた。A支部長より本部参りを勧められ、無神論者の主人を説得して6才の長女も連れて3人で同志Cさんの案内でご本部参りをした。大神様を見て、この御方はまぎれもない生き神様と魂でわかった。思いがけず、道場の終わりに長女の頭を「いい子だね」といってなでてくださった。3日間同志宅に宿泊した。
帰って驚いたことに、私が10数年間通院して治らなかった慢性大腸炎が、それ以来きれいに治ってしまった。本当に不思議で神力の偉大さに驚いた。体の弱かった次女もやっと歩けるようになり、やがて小学校に上がる時が近づいた。自分の名前だけは読めないと不自由だろうと、四角い木に、あいうえおが書かれた物を買ってきて、Bさんの名字(仮に、富士山なら、ふ、じ、さ、ん)だけは教えましたが、すぐに忘れてどうしても覚えられなかった。私達は困り果て、親戚からランドセルなどのお祝いももらっていたが、入学を1年延期させようかと悩んでいた。
その頃A支部長から連絡で大神様ご出席の磨きの会を知らされ家族揃って出席した。大神様は「今夜は他でもない。お前たちがかるうている悪因縁を少しでも切ってやろうと思って呼んだのだぞ。」とおっしゃいました。私は吃驚するとともに嬉しくなりました。その夜帰宅し床につきましたが、何か勿体ない気がして胸がワクワクしてなかなか寝付かれなかった。朝方2時か3時頃からうとうとして朝になった。その朝も次女に名前を覚えさせようと、文字板を並べました。昨日までは何度やっても覚えれなかったのに、今朝は覚えました。そしてこの時、これまで一度も教えたことのなかった文字51字を全部言いました。私達はびっくり仰天しました。大神様はこの日以来次女に字が読めるようにして下さり、学校に行けるだけの頭にしてくださったのです。この時の有難さ、感謝は今も忘れられません。
「わしが祈ってやっても、その意味をよう知らん者がいる。わしが祈ってやったということは、生まれかわったことなのよ」という神言を最近天声452号で知りました。(以下略)

時を逃しては救われない

大神様は「時を逃しては救われない」としばしば同志をご指導された。神の救いの手は何時でも伸ばされるのではなく、救いの手が伸ばされた「時」を生かせば人間は救われるという意味である。広くは大神様出現という今がその「時」である。狭くは、大神様の「指示」という神声がかかった時である。この「声」を生かして救われた人の体験・この「声」を生かさず救われなかった人の体験は多数天声に書かれてきている。その典型が天声25号にもでている。当時の柳井支部長Bさんが書いた記事である。
紀元3年5月16日、大神様は天照皇大神宮教のニュース映画をご覧のため50名の同志を伴われて柳井においでになられた時のことである。柳井支部道場でご説法をされる時、参集した一般町民にもお説き下さることになり、支部道場前の広場でご説法された。皆が熱心に聞いている所に、喧嘩で有名な魚屋A(43歳)が「我々を蛆虫乞食と言っておるから因縁をつけてやる」と、血の垂れる大きな魚を片手にぶらさげて、人をかきわけ前に出、すごい剣幕で「交通妨害になるからやめろ」と大声で叫び説法の邪魔をした。始めのうちは大神様も気にかけられず平気で説法を続けられておりました。しかし、あまりにしつこく悪口を吐き妨害するので、遂に大神様は一喝され、Aに個人説法をされた。
「お前のように神の妨害すると今から6ヶ月もしたら大病し、その時までに悟り改心しなければ、あがきもがきしながら死んでいくぞ」
と仰せられ大声でお祈りを始められると、同志一同も合正してお祈りした。Aはうんともすんとも言わなくなり立ち往生した。ついで道場に戻りご説法をなさいます時にお笑いになりながら「先程の魚屋のおっさんもやはり我々の行の相手だよ。ああして悪に強い者は又善にも強いのだから、B 後で導いてやれよ。」とおっしゃられ、ご説法を終えられ帰られる時にも「Aという男をよく導いてやれ」とBに再度おっしゃられた。
Bさんは後日Aを訪ね、大神様の仰せになられた事を話にいった。Aは「あの時は不思議に身体が利かなかった」と言いながらも話を聞き入れなかった。その後6っヶ月たった11月ごろ、神言どおりAは中気になり寝込んだ。Bさんはご本部にお参りした時このことを報告すると「あれも悪人ではないからもう一度説いて聞かせてやれ」と仰せられた。Bさんが再度神教に導こうとしたが頑固に聞こうとせず、紀元4年11月13日死亡した。このことを大神様に申し上げると「とうとう死んだか。無限地獄に落ちている」と仰せになりました。
一度ならずも2度まで神は大慈悲で救われようとされたのに、Aは強情と自我によりそれ(懺悔の機会:人間の懺悔により神は罪を許される。神と知れば自分のやったことに反省は出た筈)を生かせなかった。自ら播いた罰の種とはいいながら哀れなことであった。
(別例)涼子という7歳の子供は病気が重く、母親におんぶされて駅に大神様のお見送りをした。大神様は5歳の時から7歳までの命と母親に言っていた。その日子供に「嘘つきをやめよ」と指導されたが子供は素直に聞けず、他の子も嘘をつくと口答えした。まもなく子供は死亡。大神様が注意されたのは死の瀬戸際まできている子に母親の思いに答えて生きるチャンスを与えるためだった。素直に聞いて嘘をつかないように実行していけば生きられた。「助かりたかったら上がっておいで」という神言があるが、神様が助けようとしても、人間がその神心に応じて努力しないと助からない。
(注)神は人間を救おうとされるが、人間が無知の故に「自ら望んで」地獄に入ってしまうことが多い。「自分のやりたいように行動し、やりたいように生きる。道徳や宗教など関係ない。自分の人生は自分ファーストにやりたいようにする。」この主張は悪魔の声である。自己愛とは悪魔(邪神)であり、自己実現という悪魔の報酬・一瞬の快楽は非常に大きい。これを刺激されて溺れない人間は稀だ。「地獄が好きか、天国が好きか。皆天国が好きちゅう。天国が好きでありながら、行ないは地獄のほうに落ちていく。」神は人間に「自由意志」を保証されている。大神様も「やっておくれよ.神国のために」と言われ、決して強制されないのは、この人間の自由意志を神が保証している証でもある。「自由」に自ら神に向かうことを期待されている。しかしこれを濫用して「勝手気まま・自己中心でやりたい放題」と勘違いしてしまうことが多い。
神の教えは「人に迷惑をかけない。自分を反省して悪癖をなおし、魂みがいて、心を清くして、神の声が聞こえる所にあがってこい。神と人とが共にいる神人合一の天使になれ。それで生きて天国、死後も天国に生きる不滅の生に入る。この人間の完成・真人間への立ち返りが、人間に生まれてきた目的と意味である。」「因縁因果がある。悪をすれば、必ずつけがまわって、今世、また来生、で苦しむ。死後も地獄で苦しむ。善をすれば必ず果がある」というようなもので自我を克服して、利他に生きる重要性を説く。これは神教でも、スウェーデンボルグの説明するキリスト教でも、真正仏教でも全く同じだ。「付いておいでりゃ案内しますよ天国に」という「神の約束」を大神様は常に説かれ続けられた。関連:2009−04−28 契約の石版
(注)懺悔した人の例1
Cさんは知り合いのDさんを伝道集会に誘った。当日大神様がご説法している場に、Dは酔っ払って現れ、大声を出して妨害した。大神様は「神の拳銃」を撃たれDは追い出された。驚いたCさんは翌日Dを訪ねると、しょげかえっており、何故あんなことをしてしまったか分からないと言っていた。大神様に謝りに行くよう勧めると、素直に大神様の家に謝りに行った。大神様はニコニコして迎え、お昼の食事まで出してもてなした。Dさんはその後熱心な同志になり、伝道にはげんだ。(天声310号P54)
「神の拳銃」:人差し指を立て、気合を練り拳銃のように相手を撃つ。大神様に撃たれると、衝撃を感じ脱力する。さらに「死に印」がつき、早いと2,3日、遅いと何ヶ月かして死ぬ。死因は様々である。「デスノート」の世界が現実に起きていたのは驚きである。中国にも似た「秘術」があるようだ。大神様は人類救済(世界絶対平和・地上神の国建設)の大聖業を一分一秒を惜しんで寝る時間も惜しんで大忙しでされていた。その邪魔をすることは誰であれ許されなかった。同志でも同じ物問い(誰に財産相続させるか)を5回も尋ねて大神様のお時間を空費させた人はその後すぐに亡くなった。大神様はその人が具合が悪くなった時「3日」と言われた。3日で治ると大神様は思われていたが、肚の神様は許されなかった。
しかし本人が気づき懺悔すれば常に神様は許された。神様は人の生殺を自由にされることを時々見せられたが、それらはすべて因果(良いことをすると、神様は助け、悪いことをすると罰を受ける)・因縁・寿命にもとづいていたようだ。
大神様の近くにいた人は書いている。「毎日のようにいろいろな人が入れ替わり立ち代わり種々雑多な用事で本部を訊ねてきます。その人々の対応だけでも大変なご行でありますが、大神様はどのようなお客様にも真心から神教を1分の時間も惜しまれて説き続けられます。お客様の多い日はお食事をなさる暇もなく、引き続き道場へお出ましのことさえおありになるとか、唯云神の国建設のため一人でも救ってやりたいと、み体をも顧みられずご精進されるみ姿こそ、私達同志の一時も忘れてはならないものであります。」
(注)懺悔した人の例2
Eさんは大神様に自分の体が悪いことを申し上げた。「罰があたったんじゃ。本部でもわしの悪口を言っていて、いよいよ行き詰って、今日か明日かというようなところまで行って泣いて懺悔に来たのがおる。」
軽い気持ちでちょっと言っただけです。なんとか救ってくださいと下さいと懇願すると、「絶対なる神の大聖業じゃから、懺悔が届いたらまだ生きて、今度は神に恩返しに神にご奉公できる。懺悔が届かなかったら、そのまましゃんと死になさい。わしを見もせん、会いもせん、何も知らんとわしの悪口を言うちょろうが。皆に迷うなと言いよる。お前のその口に迷うたのが一人おるよ。迷うて死んだのがおる。それが憑いちょる。人が聞いても知らんことは知らんで通さにゃだめで。わかったか。」と仰せられた。Eさんは「はい」と言い、その後元気になり救われた。
(注)天声25号から発行日時に紀元が使われている。24号までは昭和が使われている。その理由が25号P21に書かれている。紀元10年11月28日大神様はアメリカ巡教の最後にハワイを巡教中であられた。肚の神が世間との妥協の産物であった発行日時に昭和を使うのを止めるよう指示された。興味深い点は数字である。説法開始から10(年)と天声号数12x2=24(号)

自然に帰る

高齢化した日本には、全国至る所に過疎化した限界集落がある。限界集落が進むと廃村集落、消滅集落に至る。過疎化すると林・原野が広がり、わずかに残った田畑にイノシシや猿などが出没し農業をするのも困難になってくる。大神様の生誕地、柳井市日積大里はそこまでの過疎化は進んでいないようだが、お生まれになった家は2000年1月3日火事で全焼し、現在は竹や木の生い茂る林に変わりつつあるらしい。大神様の誕生が1900年1月1日だから100年と2日して火事になったことになる。
釈迦の生誕地ネパール・ルンビニは釈迦の約200年後に出たアショカ王により記念碑が建てられ戦後「ルンビニ釈尊生誕地聖域計画」が国連主導で行われ丹下健三がマスタープランをつくり、各国の寺院が整然と建てられてきた。キリストの生誕地はベツレヘムなのかガリラヤのナザレなのかも確定していないようだ。  
後世大神様の生誕地はどこかを熱心に「研究調査」する学者が現れるだろう。生書の始めに御生家の場所が書かれている。小学校は大里尋常高等小学校であった。現在は解体され、旧大里小学校跡地に「ふれあいどころ437」が作られた。住所は山口県柳井市日積4150番地1である。御生家はこの近辺と推定できる。大神様の子供時代遊ばれたという神社は大帯姫八幡宮柳井市日積4182番地2)だろう。この遊ばれた神社の裏手100M以内にご生家はあったらしい。GoogleMapで見るとそうかもしれないし、そうでないかもしれないが、天声74号P24の記述もあり雰囲気は感じられる。この推理が正しければご生家の住所は 柳井市日積3867になり、その地番で林の所、つまり道の分岐点の先で、神社の真後ろ東側40m付近になる??神社の奥で東、その神社は大帯姫の神社で大帯姫とは神功皇后八幡神の母なる大女神、となると、真に大神様が誕生するにふさわしい場所に思える。しかし登記情報を調べるとここではなさそうだ。(後日夢でこの場所に大神様の家を見た。あるいは登記情報の調べ方が悪かったのかもしれない。日積4182番地−1などの調査はしていない。)由宇など近隣の同志は正確な場所を知っている人もいるだろうが、高齢化を考えると、後10年もすればわからなくなるかもしれない。地元の人に「浴本家跡」で聞けば今なら町内会の名簿などで直ぐわかるだろうが、後になるとわからなくなろう。そうなると、大神様のご誕生の地は山の林の中に隠れる。後世熱心な同志が近辺でお祈りすれば、それが必要なら、神の啓示で教えられるのだろう。
(注)大神様が日積村でご説法された時、実家には一切立ち寄られなかった。釈尊も実家の国王にはなかなか会おうとされなかった。その理由は、父王は釈迦を神・仏と見れず、我が子としてしか見ないため、知らずに大きな罪を作ってしまう、このことを釈尊は知られているが故に、会わなかった。時期が来て、父王が釈迦に礼拝できるようになって、初めて会われた。大神様の野中に立った一本主義の1つの側面であろう。
(注)大神様が生まれた時からの神様であったことを明かされている説法。
わしは50年に亘って、我汝らを証人にせん、自分の踏んだ道を証人つきでわしはこうして説いてしゃべっちょるんで。それでわしの所の近所の人が「どっからどこまでが神様か、どっからどこまでが北村さんかわからだったが、今思うてみたら昔から神様じゃったちゅうのがわかる」と言うた。わしは世の先端先端を行ってから、人のために、人のために、人のことじゃったら手腹切って、人の縁の下の力持ちがいよいよ好きじゃった。19年の3月6日に、平井憲龍ちゅう法人が人のを拝うでわしのおみくじが出たちゅうて。
「北村さんちゅう人は不思議な人じゃ。自分はあんたのようなのは見たことがない。あんたは人のために手腹切っちゃ、手腹切っちゃ心配して、縁の下の力持ちばっかししてこられたが、あらゆる因縁をかるうちょってじゃから、そのためにかえって人に悪感持たれたが、その因縁切ったらそれに花咲かして実を結ばしちゃる。この世から天地一切の神仏がお下がりになって、この世から生き神になるちゅうおみくじが出た。」
「わしはそんとな者になろうと思うて行をしやせん」
「それにゃ5年かかる。それとも3年か、2年か7年かかかるか、あんたの行次第じゃ」
それから3年目にわしはこんとうになったんで。(御行の始まり:昭和17年8月12日、神の降臨昭和20年8月12日)
(注)50年にわたって(識らずに)踏んできた道は、人間道であって、真人間の道であった。つまり子供時代のサヨ様は子供の人間道を示されており、嫁のサヨ様の事跡は嫁の人間道を教えられた事跡であったことになる。この観点から大神様になられる以前のサヨ様の逸話や思い出を積極的に掘り出し後世に(天声に投稿することで)証言を残そうと努力された同志もいた。釈迦の伝記のお経も同じような意味で説かれている。例えばサヨ様はひとり子義人氏の赤子時代おしめを一度も汚さないように便所に連れていかれた。こんな子育てができる「人間」がいるだろうか。大神様のご説法にも子供時代、娘時代、嫁時代のお話がしばしば出て来るが、これは神教だから教えられているのであって、凡人が自分の半生を語るのとは根本的に全く違うことに我々は注意しないといけないだろう。
この50年に亘るというご説法は紀元7年(大神様52才)でも紀元22年(大神様67才)でも変わっていないようだ。現実世界で言えば、50年に亘る、51年に亘る、。。。、65年に亘るとか変化する筈。霊界での数字表現と考えると、50は天的天使になるから、50年に亘る道とは、真人間の道という意味になるだろう。ご説法のフレーズで紀元元年でも22年でもその期間全く変化しないものは非常に多い。これは霊界相応の言語表現であるからで、仏教の真正経典、キリスト教旧約聖書新約聖書と同じ特質(神から出た言葉)であると考えられる。霊界相応を徹底して解説したのがスウェーデンボルグであり、仏教では密教であり、大日経である。これを6魂不清浄の人間が悪用すると魔法になるため、秘密の教えとされてきた。現代人は霊界を信じなくなってきたので、秘密を解いて開示したのがスウェーデンボルグである。霊界を完全に否定する人間は宗教の入り口にも入ることができない。このため大神様は狐、狸、生霊、犬神憑き、不成仏、幽霊などをご説法・ご指導で話され、霊界に目覚めよとご指導された。初期の同志には外霊という明確な霊体験もさせられた。世界巡教では「神とは何ですか」と質問した人に「神がわからんような者はここにこんでもよい」と答えられた。
海外ご巡教の時、霊界相応の質問もでている。例えば「大神様が説かれる時、左手で形を作り、右指で指し示すのは何故ですか」これは神教の本質をついたGoodQuestionであったとのみ巡教だよりには書かれている。また「2と6の日が道場休みなのは何故ですか」これは数字の霊的意味を聞いている。
(注)ご行をされた八幡神社田布施町大波野:八幡八幡宮(別表記:八和田八幡宮)である。この近くに余田があり平井憲龍:稲荷神社があったが、今は林になっているらしい。柳井市余田1541がGoogle mapで見るとその候補地の一つであろう。なお田布施町の寺社関係の所在地などは田布施町史P1126ーP1189に詳しく書かれている。