本部道場余録 天声第70号(紀元14年10月号)

 9月4日の昼、大神様には、事務所に見えられ「今夜は大事な説法があるから、皆んな道場に出て聞くように肚が言うから、本部にいる者は皆出て聞くように、田布施の者も来て聞くように伝えよ。テープの用意もしておけ」とおっしゃいました。その夜の御説法(巻頭に掲載)は、大神様が仰せられた通り、大事な御説法で、筆者にとっても、「生涯忘れることの出来ない程、感銘をお受けしたものでありました。とかくゆるみ勝ちな自分の心に五寸釘を打ち込まれるような御説法で、私自身も魂の底からゆり起こされたのでありました。

 御説法は、ハワイから来られた同志数名に対するものではなく、同志全てに対するお叱りであり、愛のムチであったのであります。あの烈火の如き大神様のお怒りも、私達の目を覚まさせて頂くためのものであり、私達の心がゆるんでおればこそ、と深く反省懺悔させて頂きました。

 特に感じましたことは、気がゆるんで自分の本性が出て、自分が地獄行きの道を選ぶことは自業自得のみで終わらず、それが他の同士の心を腐らし、大変な国破りとなって大きな罪を作ることであります。

 またここまで神の国を建設された大神様の峻烈なる御行をしみじみと仰がして頂くと共に、別国神の国建設の志を持つ私達同志の行の厳しさを再び強く感じさせて頂き、それだけに、必ずやり抜かして頂きますと、心の底から勇猛心が湧いて来るのでありました。ここに於いて共々に注意したいことは、私達同志お互いは、ある同志が懺悔の種をまいた場合、自らの反省懺悔の材料にこそすれ、その事によってその人を叩き落とすような追打ちを絶対にかけてはならないことであります。既に一生懸命反省懺悔をされておるのに、その人の後ろ指を指すようなことは、同志としてなすべきでないことは、多言を要しないところであります。

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 9月9日、本部道場に珍しいお客さんが見えました。世界的に有名な英国のケンブリッジ大学で日本語を教えておられるミス・カーメン・ブラッカー教授が、大内支部の高津文子さんのご案内で本部を訪れられました。同教授は、昨夏、東京で開かれた世界宗教者会議に、はるばる英国を代表されて出席、その際本部教団の英文パンフレットを見られたのが最初の後縁で、今年の夏休みを利用して、はるばる日本の宗教研究を志して訪日され、たまたま東京の宿をとられたお家が、同女史の古くからのお友達で、高津さんのご親戚にあたっていたので、高津さんがご案内され、来訪の段取りとなったわけであります。

  同女史は日本語の達人で、源氏物語などの古文も教えておられる由、大神様のあの早口の御説法も、聞き取られることは始めての日本人以上で、それだけに御教をよく理解され、本部で1泊された後、大神様との再会を約されて、別れを惜しみつつ帰って行かれました。

 又「役者揃えて幕を開けた神芝居」との神言を思わして頂きました。(中山)

 

本部道場余録 天声第69号(紀元14年9月号)

 8月5、6、7日の3日間、本部において第2回少年少女修錬会が開催されました。参加された少年少女600名を越え、お世話に集まられた教職にある同志30名、修錬会としてはかつてみない多人数のものであり、付添の同志も多く、本部は人で溢れる盛況で、如実に本部施設の手狭であることを感じさせられたのでした。この春よりこの夏のご記念日や修錬会にそなえ諸施設の拡充を大童でやって来たのでありますが、なお手狭を感ずる状態で嬉しい悲鳴を上げたのでした。集会場に入り切れないので、修錬会は裏山の松林の中で行われました。中学2、3年生の男子はテントの下で眠り、かつ全員布団を用いず、持参の毛布、シーツにくるまって寝たのでした。この春洋裁学校の卒業式の時、大神様が神の国は中味が出来たら、殻は後から出来るとの神言がありましたが、今回もこのことを感じさせられました。しかし日毎に増え行く同志のことを思う時、新道場が建設される日が待たれるのであります。連日の暑さにもめげず、第2日目の午後は、新道場の敷地見学に引き続き、田布施の街中を行進、駅前で神歌の大合唱をし、最終日は台風5合の余波を受けて雨風の中で忙しい日程を頑張り通し、一つの事故もなく、落伍者もなく立派に成果を挙げられた少年少女の皆さんをみて、さすがに同志のお子さんだと感嘆すると共に、神のご加護あってこそと思わして頂きました。

 その間大神様には、子供の身に思いを馳せられ、ご自身も布団をとられずにお休みになり夜中に、再々子供のためにお祈り下さっとのことであります。 

 なお6日の晩は夜中に降雨もあり、大神様にはテントの周りを傘をさされて巡視されておったとのことであります。何時もながらこの大神様の大きな御慈悲に深く感謝すると共に、自らの行の反省をさして頂く次第であります。

 8月22日は、岩城山の下刈りのご奉仕日でありました。参加者概数450余、去る2月8日、植林を終了した岩城山も、その後藪が生い茂り、下刈りも大変だと、誰しも心配しておったのでしたが、今日1日でどうしても完了さして頂こうと、4時半に起床して本部を5時半に出発、近隣の同志は、駅から三輪で直接山に馳せつけ、脇目もふらずに頑張られた結果、さしもの広い山も見る見るうちに刈り拡げられ、11時の昼休みまでにその八割を刈り終わり、午後はゆうゆうと完全に刈り終わり、おまけに少々の伐木、木出しもした程でした。下刈りをしてもらった苗木は、如何にも嬉しそうに風にそよぎ、来年の下刈りまでの成長を約束しておるようでありました。久方ぶりに岩城山の御奉仕に参加された同志は、魚が水を得たように、生き生きと顔を輝かしておられ、共々に神の国の弥栄をたたえさして頂いたのでした。(中山)

 

 

本部道場余録 天声第68号(紀元14年8月号)

 第10回の御説法開始記念日、7月22日は夏らしい良い天気ーー長蛇の列となって次から次にお参りして来る同志は、その様子を変えたご本部の姿に眼を丸くして腹の底から開けゆく神の国をお祝い申し上げ、この14年間の夜を日についでの大神様の御苦労に深い感謝を捧げようと思ったことでしょう。 

 本部道場前の藁葺き屋根の納屋は18日に解かれ、お庭は広々として清々しい感じがするようになり、道場の縁の外には鉄骨が組まれた被いと付座が立派に出来、昨年掘られた井戸端をめぐって、千人分をまかなう手狭まながら立派な炊事場が建てられており、新装の本部も集まる同志も、全てが混然一体となって今日の佳き日をたたえるように見えるのでした。大神様は終始ご機嫌うるわしく、お昼のお祈りの前、御自ら無我の舞をされながら力強い御説法をなされるのでした。御説法に感激を深くして同志一同は暑熱を忘れて無我の歌、無我の舞に、大神様への感謝の誠を捧げました。

 

 夏の修練会をひかえ、それまで何とか給食施設をはじめ宿舎の収容力を増すため、御本館の裏側3軒目の民家を買い入れられて、それを大改造して宿泊出来るよう急遽改造される等、本部近隣の支部の同志や、大工、左官職などの同志多数の夜遅くまでの突貫工事で、18日の夕方、やっと本部の受入態勢が出来たのであります。ご本部に参らして頂いて行ずる者は、大神様、若神様の並々ならぬ御心尽くしに感謝申し上げるのは勿論、これらの仕事にあたられた同志の真心に対しても心から感謝さして頂きましょう。

 

 支部長会議の席上、本部での行について、いろいろ協議された時、若神様から諸施設がだんだん完備して来るにしたがって、まだまだ不便であった往時に比して感謝の念が薄らいで来る傾向があるとすれば、これは大変な問題で、この際お互い同志一人一人が猛反省すべきであるとのご発言があったのであります。昔はリックサックに一杯宿替えする程の荷物を持ってお参りして来、お風呂にしても、小さい五右衛門風呂に入れ代わり立ち代わり入らして頂いた当時のことを思えば、現在の本部での行がいかに便利になったかを考えさせられます。恐ろしいことは、馴れるるということであります。神恩に馴れることなく、感謝を忘れずに行じさせて頂きましょう。

  

 現在本部には、ハワイ州地方支部長平井武義氏をはじめ、日本語学校の校長である児玉剛明氏、ヒロ支部長田中盛治氏、その他河本敏男氏などハワイからだけでも30名からの同志が滞在して行をしておられます。まるでハワイの磨きの会が本部に移ったようだと、意気天をつく元気で行じておられます。いよいよ世界への架橋のハワイと本部の距離が短くなった感がいたします。

 

本部道場余録 天声第67号(紀元14年7月号)

 6月のある日のことであります。ふと御説法にお出ましの大神様のみ顔を拝すと、下顎がまるで無くなられた様に見えますので、驚いて、目を見張って気付かせて頂くと、下の入歯をお入れにならないで御説法に出ておられたのでした。お聞きすれば『あまり歯茎が痛いので、歯を入れずに出たが、唾が飛んでやはり喋りにくい。重い入歯を外しておると、とても気持ちが良いが、説法に出る時、又入れなゃならんと思うと涙が出るような思いがすることがある』とぽつりとおもらしになるのでした。その神言は私の胸に5寸釘を打たれた如くいつまでも、うずきを感じさしております。

 365日、この十有余年間、人の何百倍、何千倍、何万倍か、お口を使ってお話しになることにより、早くから総入歯の下顎の歯茎が次第にすり減って、現在では、2センチ余りにも見える台を入歯につけられて、益々重くなっている入れ歯なるが故にまたそれだけ、残り少なくなられている歯茎に応えるのでございましょう。

 最近は又上顎の歯茎もお痛みになるのを、血を絞り出しては、無理に御説法を続けられている状態であります。唯唯大神様に『もう御説法はおやめくださいませ、私達が立派に一人立して、共々にやらして頂きます』とお願い出来るまで、行じていない自分自身が腑甲斐なく、申訳なく思わして頂くのみであります。今年も早や半年経ってしまいました。光陰矢の如しとやら、また悔いを千歳に残さぬよう、行じさせて頂きましょう。

 大神様には、農繁期の最中、6月18日の夜行で大阪にご出張、読売テレビの要請で『蟻の町のマリア』で一躍有名になった作家、松居桃楼氏とのご対談を19日に済まされ、夜は夜で大阪繊維会館で溢れる同志に御説法の後、その日の夜行列車に乗られ御帰場になったのでした。あくまで先頭に立たれ身をもって御垂範される大神様にただただ頭の下がる思いであります。(中山) 

支 部 だ よ り ニューヨーク

 昨年夏、小出天声編集係を失ったニューヨーク支部は、にわかに吹き込んだ風にランプの灯火を取られた時のように、すっかり鳴りを潜めてしまいました。遅れ馳せながらその時の様子や、その後の支部についてご報告させて頂きます。

 思えば昨年5月18日午後1時半に行われた小出氏の告別式は誠に印象的な催しでありました。まずそれはニューヨーク支部での最初の同志告別式でもあり、おそらく火葬場の役員達にも初めてで、大変珍しかったと見えて、彼らは隠れるようにして、しかも珍しそうに熱心に私達の葬儀を眺めておりました。まず場内では、小出氏のお棺の前で、岡島支部長は厳粛に挨拶をして小出夫人を紹介なされました。すると小出夫人は、美しいお声で無我の歌を高らかに歌われ、とても和気あいあいとした感じでありました。そしてお棺は、名妙法連結経で奥に運ばれて最後のお別れとなりました。

 次いでその日は、ご慰安日でありましたので、係の人に交渉して、野外で約30分程、無我の舞をいたしました。かくして、ニューヨーク支部は火葬場で真の宗教であることを、心ゆくまで広告したのでした。

 私達の支部では毎週火曜日に、磨き会をいたしております。お祈りの後、一人づつ反省懺悔や神教のお話などをして、その後大神様の御説法をテープで聞かして頂いております。木曜日にも集まって、座談会を催しております。夏には日を選んで、プロンクスの植物園に集まり、皆で無我の舞をいたします。私達が舞っておりますと、自然に目を引かれて、集まり来る群衆は、物珍しげにものを問い始めます。神教のパンフレットを差し上げますと、色々な質問をなさいますので、出来るだけの説明を英語で試みます。アメリカ人に神教を伝えるには、まず英語という大きな外堀があるので大変難しいことであります。長年住み慣れた私達としても大変だと思うように、言語が十分に通じない事を遺憾に思いますがいかしかたありません。

 思い返せば5年前、大神様は、当ニューヨークで御巡教下されました折は、ブルクリンパークの植物園で、或いは、イーストリバーサイドで、又はコロンビア大学内で、ニューヨークの人種の違う人々に真人間の道ー「利己利己利己で崩れた世の人達を救うには利己を捨てなきゃ救われぬ」とご指導くだされ、支部内では、迷える私達を救わんがため、お体に無理をされても、少しのお休みもなく、毎日毎日御説法下さったあの尊い神姿を今、まざまざと思い起こしては支部同志一同、やらして頂けねばの覚悟を新たにしております。本部より遠く離れている私達は、何のご奉仕も出来ませず心苦しく思っています。せめて新道場建設の資金面で真心を尽くさせて頂こうと、支部同志一同張り切っております。

 来る7月のご本部での支部長会議出席のため当支部長、和木林之進氏が近々出発の予定であります。今から同氏が大きなお土産を持って帰って下さることを、一同楽しみにしております。微力ながら地球の反対側におります私達一同のささやかな真心を、大神様始め、内地同志の皆様にお届け申し上げます。(片山宝一) 

(注)小出未亡人は大神様の指示でニューヨークの高齢の同志と再婚した。その家庭がゴタゴタした時、大神様は、お手紙に「ゲンコツ」を付けて送られた。手紙がついた時、洗濯機の所にいた夫人は後ろから何者かに殴られ、正気が戻った。ご説法でよく話される。

 

天声66号 本部道場余録

 4月27日は姫神様の第9回目のご誕生日で、本部道場においてそのお祝いをさして頂きました。お祈りの後、年々見違えるようにご成長される姫神様を片手に抱えるようにされながら神歌説法される大神様は、心から喜んでおられるように拝されました。 

 「教祖教祖と名がつけど、教祖の死んだその後に、誰後継ぎにしょうかと、選んでするような後継ぎじゃ、神の国にゃ役立たない。天が娶って天が作った役座なら、役座の後につくものは、ちゃんと天父が作った後に、役座の後継ぎする清和なれば、同志の者に頼むよと、叫んで丸9年、同志の真心真心で手から手へと育て上げた今日の日に、やっと学校も3年生、まだ1日も休まずに学校に行って来ましたも、同志の真心あればこそ、肚から役座が感謝する。役座の後につくのなら、同志と共に育て上げなきゃ神の国にゃ役立たない、そがために、同士の者の真心で、育てておくれた清和なら、大きくなればなるほど大きなお目々を見張った上に、八百万の神が世話せにゃならない時が来た。

 同志の真心、祝ってくれるその真心に対して恥じない立派な神の子に育てよ、清和よ。やっと成長した上に、役座が肉体持ってるそのうちに、今日は清和おるがため、役座は一休みせにゃなるまいという所まで導かなけりゃ役座の肉体の行は終えられない、そがために、行せよ行せよ導きたまえよ、八百万の神。何が何でも死ぬまで行がわかるなら、行の道中にゃ次々次にいかなる試練が出てこようと天父と同志が真心合わせて導けば、やれないことはない。天が授けた神の子なれば、八百万の神の真心で育てる、真心真心の集い合いの神の国を忘れずに、授けられたる同志の大きな責任を果たしておくれよ。」と力強く御説法下さいました。

 御説法の後、お祝いの無我の舞をさせて頂いたのでありますが、その時、大神様には、奥様のお手を取られて御自ら舞われながら日頃の奥様の御苦労をねぎらわれ「何を頼むのも嫁一人、貰った嫁を真心持って導けば、自分の娘よりまだ良くなる、嫁女の悪い所を叱りに叱ったが、神と人との間に立って叱る役座はまだ辛かった。叱りに叱るも真心ありゃこそよ。役座の後継ぎ生んだ我が身の幸を喜んで行じて行けよ。

 香寿子一人が嫁女じゃない。嫁に行ったら行き切れ、もらったら貰い切れと説いているが、わしの踏んだその道が神教よ。ーーー」

 舞われながら歌われる大神様の頬には、いつしか涙が流れ、道場にはべる同志の中からすすり泣く声があちこちから聞こえるのでした。

 

 本部では旧牛小屋と便所を解体した後に、延べ21坪の2階建て宿舎および食堂の建築が5月上旬に開始され、真心からなる同志のご奉仕により、16日には、はや棟上げの段取りとなりました。

 午後7時半より大神様をお迎えして棟上げのお祈りをさせて頂きました。(中山)

 

本部道場余録 第65号(紀元14年5月号)

 3月25日午後2時より、本部道場において、第1回神の国洋裁学校の終業式が挙行されました。一昨年福本静枝先生がハワイから来られ、神の国洋裁学校が開校されて早一年の歳月が流れ、29人の生徒さんが本科を修了されることになったのであります。その間の生徒さんの残された足跡は、神の国洋裁学校の生徒として立派なものでありました。実に溌剌として明るく、正しく、美しく、心身ともに鍛え育てられた姿は、誰の眼にも快く写ったのでありました。福本静枝先生の真心づくしのご指導もさることながら、毎夜道場に參って来られる生徒さん方への御懇切なる大神様のご指導の賜と思わせて頂きます。殆ど毎夜のように、蒸し暑い夏の夜も、凍えるような寒い夜も、9時半のお祈りがすんで御本館へ帰られる前のひと時を、屋外に立ちつくされて、やはり帰途につく生徒さん方にまたひとしきりご指導される神姿を、何時もこよなく尊いものと拝させて頂いておりました。このご指導あってこそ、あのように神の子に成育された生徒さんであるとつくづく思わして頂いた次第でありました。教室は、たとえ臨時の屋根裏でも、このように立派な神の子が育てられる学校が、世界のどこにありましょう。

 神の国は、この神の国洋裁学校の如く、内なるものから開けて行く美しいさまを如実に見せて頂き、この終業式に参列した全ての同志は、その感激を深くし、自らもやらして頂きますと、その誓いを新たにしたのでした。

 

 3月21日よりの第2回支部同志修錬会に引き続き、3月26日より第4回若人修錬会、4月4、5日と第1回少年少女修錬会が本部で開催されました。いずれも200名以上の参加者で、それぞれ有意義に終了させて頂きました。これも一重に大神様の御導きの賜と深く感謝いたしております。この3つの修錬会はそれぞれ特徴を持ち、十二分に効果を効果を挙げ得たのでありますが、大神様には「少年少女修錬会を肚が一番好いちょる、夏休みにはもっと長くやれ」と仰せられ、道場を埋づめ尽くしている純真な子供らを非常にお喜びになり、ねんごろに神教を説かれるのでした。教職におられる同志の諸先生に御指導やら世話係をお願いしたのでありますが、誠心誠意ことに当たられ、予期以上の成果を上げ、子供達も来た時とは生まれ変わり、生き生きした顔になって帰って行かれました。その後も、父兄の方々から大神様へ子供が修錬会に参加してからすっかり変わってくれました、と感激の手紙が沢山寄せられております。

  紀元12年2月、大神様のお供をして、ホノルルから行に来られていた園田弓子さんが4月10日出帆のクリーブランド号で3年間の本部での行をめでたく終えられて、ホノルルに帰られました。なお去年本部で結魂し、この度シカゴの御夫君の元へ神の使いとして初渡航される文屋艶子さん、去年の12月にホノルルから来られた小田ハジメさん、小田すみ江さん、及びホノルルに留学中、内地に帰って、御本部で行じられた藤谷好規君も、同船に乗られました。

 

天声63号 本部道場余録 (紀元14年3月号)

 第一回支部同志修錬会が2月6日より8日まで開催されたのでした。参加同志は老若男女約250名、終始はりきった行をさせて頂いたのでした。大神様の御説法に魂の掃除をさせて頂き、神教講座に、神教の総復習をして神念をかため、一人歩きの行の肚ごしらえをさせて頂いたのでした。特に6日の開会式に引き続く大神様の御説法の中で、次の部分は参加同志の胸をえぐり、今までの腰かけの行から立ち上がらして頂くべく大きな肚づくりをさせて頂いたのでした。

 道場は役座の休み場じゃ、言うた言葉がいよいよ実現する時が来ましたよ。「おサヨ、長しゅう我に苦労をかけたがのう、これからは我は休めえよ。皆がわからん所を問うのに相談相手になってやれ、もう14年も説いてやったんじゃからのう」と毎夜のように肚が言い出した。お天父様に暇を貰った役座なら、役座の説法あてにするな、あとは八百万の神に頼んだよ。行には行の過程がある、60になった白髪ばばあにいつまでも同じ行を天父がさせはせぬ。

 神歌説法をせられる大神様も涙を浮かべられ、またそれを聞き入る同志もすすり泣き、心の中で「今度こそやらせて頂きます」と叫んだのは筆者一人ではなかったことでしょう。

 修錬会の最終日8日は岩城山の植林日でありました。この一年に亘って雨の日も風の日、暑熱の夏の日も、凍るような冬空にもご奉仕をやり通させて頂いたかいあって、いよいよ予定通りの紀元節の前日、全山植林の段取りとなったのであります。あの足の踏み込む所もない、ジャングルのようだった山も立派に切り開かれ、きれいに片付けられ、すべての準備を終わり、植林を待つばかりとなっておったのであります。思えばこれまで同志の真心づくしの御苦労に対しただただ襟を正して深く感謝のあるのみであります。その総仕上げである記念すべき日に大神様には、同志の熱意に答えて、山に上がられ、記念植樹をして下さることになったのでした。何しろ急坂の山道を上がらなければならないので、若い同志は乗物を特別に作り、大神様をかいて上がらして頂こうと以前より用意してお待ちしたのでした。もちろん、大神様には、そのような気を使うことはないとの神言があったのですが、もし御肉体におきついことがあってはと、たってお願い申し上げて乗物に乗られたのでありました。しかし大神様には「これほどせんない思いをしたことがない、ありがたいやら、もったいなやら、気の毒やらーー歩いて登るより辛かった」と涙と共に言われる大神様を仰ぎ、いくら真心を尽くしても尽くしきれない大神様であられると、再び感激にうち震えるのでした。

 山上での御説法(本誌巻頭に掲載)の後、梅の苗木3本の記念植樹をなさる頃から雨模様となりましたが、雨の中を厭うことなく植林は進められました。大神様には晴れ間をみられて、山の頂上まで徒歩で登られ、同志の植林を御視察になり下山されました。一日仕事の計画である植林も、午後早々と終了、折からの雨に苗木の活着は受合い、頬を打つ雨も何のその、歓喜と感激に満ちて、帰途についたのでした。

 明けて2月9日は紀元14年の紀元節、午前中は前夜からの雨が降り続いておりました。朝突然、昨年6月、本部を訪れたことのあるデンマークより来日中の牧師、ハリートムセン氏が再び来訪されたのでした。同氏は昨年日本で初めて宗教らしい、宗教をここに発見した、と喜んで帰られ、再度の来訪となったのであります。良い魂の持主は人種を越え、国境を越えて共感することをつくづくわからせて頂ました。同氏は2時間本部に滞在、大神様のお話や神歌に耳を傾けて、また7月22日の御説法開始記念日の来訪を約して帰って行かれました。

  

 昨年も一昨年も紀元節の日には雨が降りましたが、今年の紀元節も雨で、放送施設が整ったので、道場はおろか各宿舎も埋め尽くして式の開会をお待ちする有り様、それでも道場前のお庭は傘で埋まってしまい、新道場を一日も早く建設されなければならないと、誰しも痛感したのでした。しかし午前の式の終わる頃は雨も晴れ、午後は無我の歌と無我の舞で、神の国の弥栄を心ゆくまでお祝い申し上げ、今年こそやらして頂きます、あの岩城山のあの大仕事を小手試めしにさせて頂き、今その完了を見た上からには、次の又大仕事を必ずやらせて頂きますと、大きな大きな肚作りをさせて頂いて、記念すべき紀元節を終わらせて頂いたのであります。 

 「行には行の過程がある」といつも仰せ下さいますが、大神様の御行も次々とお変わりになるように拝されます。昨年秋から暮にかけ「この頃は毎日のように手紙を書かされる。日には8通も10通も書くことがある」と言われ、殊に海外の方々などへの個人的御指導の御行が大変おありになった御様子でありましたが、今年に入り、その逆で「この頃はいっそペンをとらさん、書こうと思うて机の前に座っても、いっそ書かしやらん。ただ一生懸命お祈りをさせやる、自らペンを取って個人指導する教祖が他にどこにあるか、あまり書くと、皆が当たり前と思うようになるから書かしやらんのじゃろう」との神言であります。

 一方昨年暮、福岡テレビ放送局からテレビの取材に来られたのを手始めに、ラジオ山口、NHK, 大阪毎日放送、と次から次へと大神様の神言を取材に来訪「文明科学を利用して飛ぶ」との神言のごとく、神教が電波に乗って伝えられて行く時期の到来したことを思わされます。また来る3月7日の夜10時より10分間、新しく開局される大阪毎日テレビ放送局よりブッツケ本番で出演されることになっております。いよいよ神教えが世に出てゆく時、み跡に続く同志の責務の益々重かつ大を感じ、しっかり行させて頂きましょう。 (中山)

(注)3月7日午後1時半から4時まで大神様は大阪中之島中央公民館大ホールで公開説法をされ、夜10時から10分間、大阪毎日テレビの「ニュース編集室」でご説法を放送された。

2月6日の第1回支部同志修錬会において、大神様は、

夜昼あの放送局、テレビ、新聞、雑誌とやらいろいろ来る。「あれには真剣にいちゃれ。道場で千べん言うより、それで広まる」と言いやる。文明科学で崩れる時じゃけえ、文明科学を利用して飛ぶと言いやる。それじゃから、ラジオで聞いた、テレビで見た、雑誌でみたというて、手紙を一杯送ってくるよとお話されている。(天声第64号に掲載)