2021-12-01から1ヶ月間の記事一覧

高橋是清随想録 昭和2年の金融恐慌を懐う(4)

感激に満つ議場 かくて銀行休業の非常手段は予期以上の好結果を収め得た。先ず第一の難関を通過し得たたけである。次に第2の難関を通過しなければならぬ。それは臨時議会だ。当時政府の与党たる政友会は160名で、憲政会と政友本党の合同による新党倶楽部は23…

高橋是清随想録 昭和2年の金融恐慌を懐う(3)

死を賭す苦悶幾日 全国銀行二日間の休業、モラトリアムの緊急勅令、臨時議会召集この三大事を疾風迅雷的に断行したが、私はその結果に対して確心を有していたけれども、しかしこれは非常な大仕事であった。というのは、先ず全国銀行二日間の休業であるが、こ…

高橋是清随想録 昭和2年の金融恐慌を懐う(2)

日本銀行の恐慌対策 日本銀行はこの恐慌状態に応ずるため21日も非常貸出を続け、この日一日の貸出高は6億200万円に上り、貸出総額は16億6400万円、兌換券発行総額は23億2千万円で、前日に比して6億3900万円を増加した。 元来、日本銀行…

高橋是清随想録 昭和2年の金融恐慌を懐う(1)

あの時のことを思い出すとき、実に感慨無量だ。昭和2年3月15日に「あかじ銀行」が休業し、その波動が八方に拡がって、毎日各地に銀行の休業、破綻が続出し、財界の不安は日増しに加わって行ったが、4月に入るとその第一日から鈴木商店(大手商社)の整…

高橋是清随想録 「心」をとり逃がすな

妄念の雲に支配される 最近の世相を、いろいろの方面から見て、いろいろのことが云える。しかし、私は、どの方面に対しても、一口で云えば、まことに気の毒でもあり、また情けなくもある状態だと思っている。 何が情けなくもあり、また気の毒でもあるかと云…

高橋是清随想録 私の見た不思議な夢

わしは夢を見た__。 昨年(昭和6年)3月1日の夜であったが、身は、いつか岩屋の洞窟の前に立っていた。奥の方があかるくて、そこには、一人の御僧が端厳な形で、禅定に入っている。 「はてな」 すると耳元に、あれは蓮恵上人だと云うささやきがあった。…

高橋是清随想録 地上楽園の夢

今は、ひまがあると、都塵を葉山の別荘にさけて、おだやかな日には、うしろの山を散歩したして、仕事の事を考えている。毎日毎日の疲労が、その夜の夜の眠りで回復すると、今日もまだ働ける、と思っている。時には、何十万年か後かは知らないけれども、いつ…

高橋是清随想録 まごころ

私が青年時代に最も感激したことが一つある。 御維新の前、ペルリ来朝の直後に、堀織部正という外国係りの幕府の役人が、その時分の外務大臣である外国奉行の、安藤対馬守に建白書を送って切腹したという事実がある。 その建白書を感激のあまり、私は写し取…