神に行く(神行)

神行とは神に行く。信じ仰ぐ信仰ではない。と大神様は常に説かれた。悪い癖を取って自分を直して行く、自我を克服していく、煩悩を克服して、試練を乗り越えて行く、すると神様が使える器になる。この道が神行である。最終的には神様が肚に入って人間を使う神人合一の状態になる。これが仏教でいう、成仏、仏になった段階である。人生の目標である。
神人合一の人間とは、どういう人であるのか?生きた実例が大神様である。これを我々人類に示すために大神様は出現され、様々な事例を残された。宇宙絶対神が降臨されていた、不可思議な、人智を超えた存在であり、本当の理解というのは人間には不可能ではあるが、その片鱗を理解するだけでも、多くの示唆が得られる。ここに天照皇大神宮教を学ぶ価値がある。
大神様は1900年1月1日日の出の頃、山口県の片田舎、日積村の大きい農家の娘として生まれた。初めから神様であったことは疑いようがない。若神様も「大神様は誕生の時から神様であって、人間が修業して大神様になったのではない」と言われた。2605年前からの神の隠し種であり、その誕生を八幡の神が守ったということである。人間の心は「神、悪魔、人間」からできているが、釈迦、キリスト、大神様は誕生の時から、「神、人間」の心であり、真の真人間であったと推測される。次のような説法もある。
絶対なる神そのものが下がって、知らず識らずに50年に亘って踏ました道を、われ汝らを証人にせん。今立派な証人付きで説きよるのよ。肚の神が「おサヨ、われはにわかに生神になったと思うなよ。2605年の昔から、世が末になったら、おらが使おうと思うておった神の隠しだねぞ。お旅所をこしらえちょって神輿を担いで行きよったと同じこといや。おらが降りる時にちゃんと下り場をこしらえちょいて降りたじゃけえ、にわかに生神になったと思うなよ」
山口日畎が「山口県に44の女で既に俗人で悟りを開いておる人がおるから、それを訪ねていけ」という神示があったと言うて(昭和21年2月4日に)来た。44というのは年のことではなく、始終師、生まれてから死ぬまで師匠のことよ。昨日まではのうくれ(怠け者で不誠実な)大工じゃった、のうくれ左官じゃったが今日は生神になった、というような不思議は絶対にないよ。
大神様は昭和17年(42歳)から行に入られ、昭和20年(45歳)8月12日午前零時(ポツダム宣言受諾の日=第2次世界大戦終結決定日)に宇宙絶対神の一人娘になられた。生書ではこれ以後が大神様と記され、それ以前を教祖と記している。大神様の行に合わせて神様が終戦日をセットしたのではないかとも疑われる。「おサヨの行が遅ければ11月、早ければ8月、に終戦になる」と肚の神様は告げられていた。
大神様の子供時代はどういう子供であったか・娘時代には何をしていたか・嫁としてどう働き、主人にどう仕え、姑とどのような事が起こりそれにどう対処し生活したか・子育てはどのようにして、家庭はどうであったか、などの話は、大神様のご説法の中心テーマの一つである。(その一端の紹介は 預言者と偽預言者)これが神行の重要なステップであるからで、神に行く行の模範であるからである。大神様の人生は最初から最後まで人類の模範であり、教えであった。徹底した仁慈・利他行・真心尽くしとはどういうものか、真の在家修行者とはどのようなものか、これを示された。
人間の精神段階には階級があり、神様さえ段階がある。仏教でも菩薩10地の悟りの段階を説いている。大神様の人生は、神様の各段階を示して見せたとも考えられる。
弥勒菩薩はお釈迦様から、自分の次に出る仏と指名されたが、実は、弥勒菩薩というのは”落ちこぼれ菩薩”、煩悩そのままの未熟な菩薩、しかし仁慈の菩薩であった。もっと完成された文殊菩薩などでなく、何故弥勒かという点が面白い。菩薩とは出家でなく在家である。大神様は最初、見かけは普通の娘、主婦、農家のおばさん(在家)であった。神様ではあったが、人間の皮をかぶり隠れていたわけだ。そして無意識に行(徳を積む行、神行の規範となる事例を残す行)を積んだ。この状態は神様より人間に近い。つまり未熟な仏の状態である。そして人間道の模範を示した。真人間の行動模範を残した。これを完全に実行できる人間は皆無なほど、そのレベルは高い。人間レベルでないことははっきりしている。人間道は神行の極めて重要な基礎であり目標でもある。
修業中のことは生書にもあるし、天声にも多く書かれているし、ご説法で話されたことも非常に多い。(その極一端の紹介は2013-11-19 伝言ゲーム http://d.hatena.ne.jp/Newshirogarasu/20131119/
大神様になられた後も、神の完成への変化の軌跡は窺える。大神様はどのような困難が自分の身に降り掛かっても、感謝された。病気・怪我・厄介事などなど。些細な例では、体が中気で利かない時、下駄をしまうのに屈むのがつらそうな時でさえ、周囲の人間が手伝うのを許されず、自分でしまわれた。これも自分の行だからと感謝された。何故感謝ばかりできるのだろうか?このヒトコマ、一コマを神教として残される為だろうが、それが神に近づく一コマでもあるからだろう。大神様は毎日のすべての行動で、人間の要素を1つずつ純化させたように見える。初めは肚の神様はゴワゴワ動いたが、最後の頃になる程、動かなくなったと言われたこともある。肚の神と合った為といわれた。ある同志が指摘されたように、人間(北村サヨ)としての葬式は紀元19年9月9日(1999)であった。「肚の神が、おサヨの葬式じゃけえ、車を3台にそれぞれ青い幟を一本づつ立てて葬式を出してやる、言うて、昨日わしの葬式を出してくれた」と9月10日九州の歯科医宅で言われた。(体の不調を最初に言われたのが紀元12年9月9日。以後同志の一人立ちを指導されだした。)(ご昇天は紀元22年12月28日の昼頃である。その少し前、肚の神(皇大神)が嫁(天照大神)に来いと言われたそうである。生きた天照大神から霊界の天照大神に戻られたのだろう。)大神様の生きられた日数:24,832日=2**8 x 97=2**8 x (100 ー 3)日 。姫神様の日数:20495日=5x 4099=5 x (5000 ー1)。若神様の日数:31151日 素数
喩えは適切でないが、蝶の羽化の過程を考えるとわかりやすい。芋虫から、繭に入り、内蔵などあらゆる器官が再構成されて、蝶になって出てくる。人間が神に近づく過程でも、似たことが起こるのではないのだろうか?心だけでなく、体のいろいろな部分で作り直し(悪い血が良い血に代謝により置き直されるなど)が行われている可能性がある。修業中に大出血をされたり、晩年に包丁を落とされて足に刺さり大出血されたりされている。