心の掃除・因縁を切る

世間には「心の掃除のうまい人下手な人」という本がある。嫌なことは忘れ、自己卑下、不安、ストレス、自信のなさを乗り越えてポジティブシンキングになろうというような内容らしい。
神教の心の掃除は全然違う。まず自分の中に良い心と悪い心があるのを自覚する。
悪い心とは自分の欲望を満たそうという心で、自己実現を求め、名誉を求め、地位を求め、権力・支配を求め、富と利得を求める心。人の賞賛を求める。異性を家庭を越えて求める心。所有欲、自己愛、邪淫でまとめられる地獄の心である。自己が上になり優先し、神を下にして二の次にする心である。
「昔には人が悪事をしておれば、わしもやりたい。欲しいものなら、あの人よいことしておると思うて見ていたその目と、今見る目とは違やあせんか。我が子かわいさに我が子の生きる道がないようになるのも知らずして、ああして悪事をやっている、あわれな姿が分かるようになったその時は、神の目目がついておる」というご説法にこの善悪2つの心が共存するレベルに達したことがいわれている。
神様は始めには優しく説いて、このレベルにまで導くが、次の心の掃除、悪い心の制圧・克服の為には、試練が必要で、ガツンとやるといわれる。心の掃除とは試練を神教で乗り越えることでできる厳しい行だ。例えで考えてみる。
多年草は根が残り、毎年草花を出す。毎年、草は新たに芽を出し、成長して花を咲かせ、実を結んで枯れる。人間も似ている。根とは霊界にある自分の魂である。前年の草とは、自分の前世である。魂の中に悪い本性(欲深い、女好き、男好き、自己顕示が強い,自己中の我が強いなど)があり、前世にそれが原因で大きな罪を作ると、根の部分の魂に罪の因縁が降りてきてついてしまう。草に病原菌がつくと、根も感染するのと同じ。今生で、大きな悪因縁が出て苦労に直面したとき、その根本原因の本性に直面して気づき、それを直していくと、魂が清められて、因縁も切れて、試練を乗り越えられる。
気違いや重病人の人に、「お前の我儘を取らないと治らない」と大神様は度々指導された。「我儘が進むとヒステリー、それに幽霊がつくと気違い」とも指摘された。我儘とは自分の心中に期待する空想世界を作り、他人や境遇が自分の思いどうりになると思い込み、他人のことなど眼中になく、自己中心に生活、行動することである。これは当然摩擦を生じ、思うようにならない。そこで腹を立て、怒りっぽくなる。高じると理性を失いヒステリーになる。これが常態化すると気違いになる。気違いが治るには、自己中心的な生活を改め、これまで自己中心的な振る舞いで、多くの人に迷惑をかけてきたことを反省懺悔する必要がある。人間の生は今生だけのものではない。多年草のようなものである。ユリは球根があり、毎年地上に芽が伸び、成長、花も咲き実もつける。そして枯れる。翌年にも同じく芽が出てくる。球根が魂で、地上部分が一生。ある年、ユリが葉が黄色くなる病気にかかると、球根に病気が潜み、翌年芽を出したユリも葉が黄色くなる。ある生で悪事を働くと、魂に悪因縁がつく。今生でその悪因縁の故に、重病にかかったり、気違いになったりする。この人のそもそもの悪因縁が自己中心の悪事に由来していれば、その根本原因の「我儘」を直さないと悪因縁は切れず、病気も治らない。
大神様は前世の因縁を見て、結婚を世話した。非常に条件の悪い常識では考えられない所に嫁に行ったり、養子に行ったケースもかなりある。この場合前世において、嫁や養子は相手先の家族(の前世)に大きな迷惑・罪を作っており、今生相手先にとことん尽くすことで、前世の罪の因縁が切れ、従い即身成仏できるようになる。神に行ける。この場合、出てくる不満、湧いてくる怒りを反省懺悔して、心から感謝を持って相手に尽くせるようになるのが、心の掃除であり、因縁を切る行になる。自分の不満・怒りは前世で相手が自分に対して起こした不満・怒りと同じものである。これに気づき、相手に感謝して尽くすように努力することが、心の掃除である。この「心の掃除」ができるように結婚を世話したとも言える。
心の掃除とは、この本性に気づき、治すことである。因縁を切る行を「心の掃除」とも言う。反省懺悔だけでなく実行の伴う行である。魂の悪い本性が取れないと、神の国に住めない。心の掃除とは魂の本性直しであり、因縁を切ることと結びついている。ここから「心の掃除とは試練を神教で乗り越えることでできる厳しい行」と言われる。
「神の御国になったら神の命令どうりハイハイで素直に行きさえしたら行かれる。それが、行きよったら自分の本性丸出しをする。その本性、自我と神様とを一緒にして行こうと思ったら、どっこい、ある程度まで行かれても、それから行かれなくなる。それから神の法則を守って行かんにゃ行かれない。そんなら後に引き返そうと思っても引かれない。先に行こうと思っても行かれん。そこまで行って神の鞭が出だすのよ。そこを通って初めて神の国に行かれるのよ。わしでもここまで出る道中にゃ、肚を3回切ろうと思うたよ。」
心の掃除は、この教えの根本である。心の掃除のできた人はお祈りで無我になれ、知らずに悪霊済度ができる。それが世界平和に直結する。心の掃除は、本人が神行く行であり、自分のための行であり、世界平和という他人のための行でもある。仏教でいう自利利他円満の行なのだ。