感謝の反対はあたりまえ?

同志との話に感謝の反対は何なのか?という話題がしばしば出てくる。「あたりまえ」だという珍説を言う人もいる。これは日本語文法を知らないことからでる発言だ。名詞「感謝」の反意語は名詞「恨み」。動詞「感謝する」の反意語は動詞「恨む」。述語「感謝しない」も反意語になる。「する」の反意語は「しない」だから。「出る」の反意語は「入る」または「出ない」。ここから「感謝がでる」の反対は「感謝が出ない」になる。「感謝を感じる」の反対は「感謝を感じない」「当然と思う」「あたりまえと思う」と展開し、名詞「感謝」の反意語を「当然」「あたりまえ」という「新説」を言う人がいる。こうなると「暑いと思う」「暑いと思わない」「あたりまえと思う」から敷衍して、形容詞「暑い」の反意語まで「あたりまえ」になる。また「恩を感じる」、「義理を感じる」などから「。。。を感じない」、「あたりまえと感じる」と展開。「恩」、「義理」の反意語が「あたりまえ」になってしまう。名詞としての「感謝」の反意語は「恨み」である。大神様は実に正確な日本語を使われている。「恨みが感謝に変わるまで、行じよ」  

参照 

umou.hatenablog.com