時を逃しては救われない


大神様は「時を逃しては救われない」としばしば同志をご指導された。神の救いの手は何時でも伸ばされるのではなく、救いの手が伸ばされた《時》を生かせば、人間は救われるという意味である。広くは大神様出現という今がその《時》である。狭くは、大神様の《指示》という神声がかかった時である。この《時》を生かして救われた人の体験、この《時》を生かさず救われなかった人の体験は、天声に多数書かれてきている。

 (例:1)その典型が天声25号にも出ている。当時の柳井支部長・君国さんが書いた記事である。紀元3年5月16日、大神様は天照皇大神宮教のニュース映画をご覧のため、50名の同志を伴われて柳井においでになられた時のことである。柳井支部道場でご説法をされる時、参集した一般町民にもお説き下さることになり、支部道場前の広場でご説法された。皆が熱心に聞いているところに、喧嘩で有名な魚屋A(43歳)が「我々を蛆虫乞食と言っておるから因縁をつけてやる」と、血の垂れる大きな魚(ブリ)を片手にぶらさげて、人をかきわけ前に出て、すごい剣幕で「交通妨害になるからやめろ」と大声で叫び説法の邪魔をした。始めの内は大神様も気にかけられず、平気で説法を続けられておりました。しかし、あまりにしつこく悪口を吐き妨害するので、遂に大神様は一喝され、Aに個人説法をされた。
 「お前のように神の妨害すると今から6ヶ月もしたら大病し、その時までに悟り改心しなければ、あがきもがきしながら死んでいくぞ」と仰せられ大声でお祈りを始められると、同志一同も合正してお祈りした。Aはうんともすんとも言わなくなり立ち往生した。ついで道場に戻りご説法をなさいます時に、お笑いになりながら「先程の魚屋のおっさんもやはり我々の行の相手だよ。ああして悪に強い者はまた善にも強いのだから、君国あとで導いてやれよ」とおっしゃられ、ご説法を終えられ帰られる時にも「Aという男をよく導いてやれ」と君国に再度おっしゃられた。
 君国さんは後日Aを訪ね、大神様の仰せになられた事を話にいった。Aは「あの時は不思議に身体が利かなかった」と言いながらも話を聞き入れなかった。その後6ヶ月たった11月頃、神言どおりAは中気になり寝込んだ。君国さんはご本部にお参りした時、このことを報告すると「あれも悪人ではないからもう一度説いて聞かせてやれ」と仰せられた。君国さんが再度神教に導こうとしたが頑固に聞こうとせず、紀元4年11月13日死亡した。このことを大神様に申し上げると「とうとう死んだか。無限地獄に落ちている」と仰せになりました。一度ならずも2度まで神は大慈悲で救われようとされたのに、Aは強情と自我により懺悔の機会を生かせなかった。神様は人間が懺悔すると罪を許される。神と知れば自分のやったことに反省は出た筈だ。それをを生かせなかった。自ら播いた罰の種とはいいながら哀れなことであった。

(例:2)山口千鶴子さんの娘で涼子という7歳の子供は病気が重く、母親におんぶされて駅に大神様のお見送りをした。大神様は5歳の時から7歳までの命と母親に言っていた。その日子供に「嘘つきをやめよ」と指導されたが子供は素直に聞けず、他の子も嘘をつくと口答えした。まもなく子供は死亡。大神様が注意されたのは、死の瀬戸際まできている子に母親の思いに答えて、生きるチャンスを与えるためだった。 素直に聞いて嘘をつかないように実行していけば生きられた。「助かりたかったら上がっておいで」という神言があるが、神様が助けようとしても、人間がその神心に応じて努力しないと助からない。

 神は人間を救おうとされるが、人間が無知の故に「自ら望んで」地獄に入ってしまうことが多い。「自分のやりたいように行動し、やりたいように生きる。道徳や宗教など関係ない。自分の人生は自分ファーストにやりたいようにする」、この主張は悪魔の声である。自己愛とは悪魔(邪神)であり、自己実現という悪魔の報酬・一瞬の快楽は非常に大きい。これを刺激されて溺れない人間は稀だ。「地獄が好きか、天国が好きか。皆天国が好きちゅう。天国が好きでありながら、行ないは地獄のほうに落ちていく」。神は人間に「自由意志」を保証されている。大神様も「やっておくれよ、神国のために」と言われ、決して強制されないのは、この人間の自由意志を神が保証している証でもある。「自由」に自ら神に向かうことを期待されている。しかしこれを濫用して「勝手気まま、自己中心でやりたい放題」と勘違いしてしまうことが多い。神の教えは「人に迷惑をかけない。自分を反省して悪癖をなおし、魂みがいて、心を清くして、神の声が聞こえる所にあがってこい。神と人とが共にいる神人合一の天使になれ。それで生きて天国、死後も天国に生きる不滅の生に入る。この人間の完成・真人間への立ち返りが、人間に生まれてきた目的と意味である」、「因縁因果がある。悪をすれば、必ずつけがまわって、今世、また来生、で苦しむ。死後も地獄で苦しむ。善をすれば必ず果がある」というようなもので自我を克服して、利他に生きる重要性を説く。これは神教でも、スウェーデンボルグの説明するキリスト教でも、真正仏教でも全く同じだ。「付いておいでりゃ案内しますよ天国に」という「神の約束」を大神様は常に説かれ続けられた。関連:
umou.hatenablog.com


(例:3)懺悔して助かった人1。
 Cさんは知り合いのDさんを伝道集会に誘った。当日大神様がご説法している場に、Dは酔っ払って現れ、大声を出して妨害した。大神様は「神の拳銃」を撃たれDは追い出された。驚いたCさんは翌日Dを訪ねると、しょげかえっており、何故あんなことをしてしまったか分からないと言っていた。大神様に謝りに行くよう勧めると、素直に大神様の家に謝りに行った。大神様はニコニコして迎え、お昼の食事まで出してもてなした。Dさんはその後熱心な同志になり、伝道に励んだ(天声310号・P54)。

 《神の拳銃》とは、人差し指を立て、気合を練り拳銃のように相手を撃つ。大神様に撃たれると、衝撃を感じ脱力する。さらに《死に印》がつき、早いと2,3日、遅いと何ヶ月かして死ぬ。死因は様々である。漫画『デスノート』の世界が現実に起きていたのは驚きである。中国にも似た《秘術》があるようだ。大神様は人類救済(世界絶対平和・地上神の国建設)の大聖業を、寝る時間も一分一秒も惜しんで大忙しでされていた。その邪魔をすることは誰であれ許されなかった。同志でも同じ物問い(誰に財産相続させるか)を5回も尋ねて、大神様のお時間を空費させた人は、その後すぐに亡くなった。大神様はその人が具合が悪くなった時「3日」と言われた。3日で治ると大神様は思われていたが、肚の神様は許されなかった。しかし本人が気づき懺悔すれば常に神様は許された。神様は人の生殺を自由にされることを時々見せられたが、それらはすべて因果(良いことをすると、神様は助け、悪いことをすると罰を受ける)・因縁・寿命に基づいていたようだ。

 大神様の近くにいた人は、次のように書いている。「毎日のようにいろいろな人が入れ替わり立ち代わり、種々雑多な用事で本部を訊ねてきます。その人々の対応だけでも大変なご行でありますが、大神様はどのようなお客様にも、真心から神教を1分の時間も惜しまれて説き続けられます。お客様の多い日はお食事をなさる暇もなく、引き続き道場へお出ましのことさえおありになるとか、ただただ神の国建設のため一人でも救ってやりたいと、み体をも顧みられずご精進されるみ姿こそ、私達同志の一時も忘れてはならないものであります」。

 (例:4)懺悔して助かった人2。
 Eさんは大神様に自分の体が悪いことを申し上げた。「罰があたったんじゃ。本部でもわしの悪口を言っていて、いよいよ行き詰って、今日か明日かというようなところまで行って泣いて懺悔に来たのがおる。」
 「軽い気持ちでちょっと言っただけです。なんとか救ってください」と下さいと懇願すると、「絶対なる神の大聖業じゃから、懺悔が届いたらまだ生きて、今度は神に恩返しに神にご奉公できる。懺悔が届かなかったら、そのまましゃんと死になさい。わしを見もせん、会いもせん、何も知らんとわしの悪口を言うちょろうが。皆に迷うなと言いよる。お前のその口に迷うたのが一人おるよ。迷うて死んだのがおる。それが憑いちょる。人が聞いても知らんことは知らんで通さにゃだめで。わかったか。」と仰せられた。Eさんは「はい」と言い、その後元気になり救われた。

 (注)天声25号から発行日時に紀元が使われている。24号までは昭和が使われている。その理由が25号P21に書かれている。紀元10年11月28日大神様はアメリカ巡教の最後にハワイを巡教中であられた。肚の神が世間との妥協の産物であった発行日時に昭和を使うのを止めるよう指示された。興味深い点は数字である。説法開始から10(年)と天声号数12x2=24(号)