自然に帰る:大神様生誕地

高齢化した日本には、全国至る所に過疎化した限界集落がある。限界集落が進むと廃村集落、消滅集落に至る。過疎化すると林・原野が広がり、わずかに残った田畑にイノシシや猿などが出没し農業をするのも困難になってくる。大神様の生誕地、柳井市日積大里はそこまでの過疎化は進んでいないようだが、お生まれになった家は2000年1月3日火事で全焼し、現在は竹や木の生い茂る林に変わりつつあるらしい。大神様の誕生が1900年1月1日だから100年と2日して火事になったことになる。
釈迦の生誕地ネパール・ルンビニは釈迦の約200年後に出たアショカ王により記念碑が建てられ戦後「ルンビニ釈尊生誕地聖域計画」が国連主導で行われ丹下健三がマスタープランをつくり、各国の寺院が整然と建てられてきた。キリストの生誕地はベツレヘムなのかガリラヤのナザレなのかも確定していないようだ。  
後世大神様の生誕地はどこかを熱心に「研究調査」する学者が現れるだろう。生書の始めに御生家の場所が書かれている。小学校は大里尋常高等小学校であった。現在は解体され、旧大里小学校跡地に「ふれあいどころ437」が作られた。住所は山口県柳井市日積4150番地1である。御生家はこの近辺と推定できる。大神様の子供時代遊ばれたという神社は大帯姫八幡宮柳井市日積4182番地2)だろう。この遊ばれた神社の裏手100M以内にご生家はあったらしい。GoogleMapで見るとそうかもしれないし、そうでないかもしれないが、天声74号P24の記述もあり雰囲気は感じられる。この推理が正しければご生家の住所は 柳井市日積3867になり、その地番で林の所、つまり道の分岐点の先で、神社の真後ろ東側40m付近になる??神社の奥で東、その神社は大帯姫の神社で大帯姫とは神功皇后八幡神の母なる大女神、となると、真に大神様が誕生するにふさわしい場所に思える。しかし登記情報を調べるとここではなさそうだ。
(注)後日夢でこの場所に大神様の家を見た。あるいは登記情報の調べ方が悪かったのかもしれない。日積4182番地−1などの調査はしていない。
(注)某同志が大神様出生地を日積の同志に案内されここに至り、その近くで農作業をしていた地元の人に「浴本家跡」で聞いた所、この竹藪であると教えられた。
(注)大神様が日積村でご説法された時、実家には一切立ち寄られなかった。釈尊も実家の国王にはなかなか会おうとされなかった。その理由は、父王は釈迦を神・仏と見れず、我が子としてしか見ないため、知らずに大きな罪を作ってしまう、このことを釈尊は知られているが故に、会わなかった。時期が来て、父王が釈迦に礼拝できるようになって、初めて会われた。大神様の野中に立った一本主義の1つの側面であろう。

umou.hatenablog.com
(注)大神様が生まれた時からの神様であったことを明かされている説法。
わしは50年に亘って、我汝らを証人にせん、自分の踏んだ道を証人つきでわしはこうして説いてしゃべっちょるんで。それでわしの所の近所の人が「どっからどこまでが神様か、どっからどこまでが北村さんかわからだったが、今思うてみたら昔から神様じゃったちゅうのがわかる」と言うた。わしは世の先端先端を行ってから、人のために、人のために、人のことじゃったら手腹切って、人の縁の下の力持ちがいよいよ好きじゃった。19年の3月6日に、平井憲龍ちゅう法人が人のを拝うでわしのおみくじが出たちゅうて。
「北村さんちゅう人は不思議な人じゃ。自分はあんたのようなのは見たことがない。あんたは人のために手腹切っちゃ、手腹切っちゃ心配して、縁の下の力持ちばっかししてこられたが、あらゆる因縁をかるうちょってじゃから、そのためにかえって人に悪感持たれたが、その因縁切ったらそれに花咲かして実を結ばしちゃる。この世から天地一切の神仏がお下がりになって、この世から生き神になるちゅうおみくじが出た。」
「わしはそんとな者になろうと思うて行をしやせん」
「それにゃ5年かかる。それとも3年か、2年か7年かかかるか、あんたの行次第じゃ」
それから3年目にわしはこんとうになったんで。(御行の始まり:昭和17年8月12日、神の降臨昭和20年8月12日)
(注)50年にわたって(識らずに)踏んできた道は、人間道であって、真人間の道であった。50は天的人間の意味がある。つまり子供時代のサヨ様は子供の人間道を示されており、嫁のサヨ様の事跡は嫁の人間道を教えられた事跡であったことになる。この観点から大神様になられる以前のサヨ様の逸話や思い出を積極的に掘り出し後世に(天声に投稿することで)証言を残そうと努力された同志もいた。釈迦の伝記のお経も同じような意味で説かれている。例えばサヨ様はひとり子義人氏の赤子時代おしめを一度も汚さないように便所に連れていかれた。こんな子育てができる「人間」がいるだろうか。大神様のご説法にも子供時代、娘時代、嫁時代のお話がしばしば出て来るが、これは神教だから教えられているのであって、凡人が自分の半生を語るのとは根本的に全く違うことに我々は注意しないといけないだろう。
この50年に亘るというご説法は紀元7年(大神様52才)でも紀元22年(大神様67才)でも変わっていないようだ。大神様の人間としてのご行は50歳で終わったというご説法もある。(日本人として敗戦日本の国救い舞が1949年:紀元4年末:49歳までで終了。)ご説法のフレーズで紀元元年でも22年でもその期間全く変化しないものは非常に多い。これは霊界相応の言語表現であるからで、仏教の真正経典、キリスト教旧約聖書新約聖書と同じ特質(神から出た言葉)であると考えられる。霊界相応を徹底して解説したのがスウェーデンボルグであり、仏教では密教であり、大日経である。これを6魂不清浄の人間が悪用すると魔法になるため、秘密の教えとされてきた。現代人は霊界を信じなくなってきたので、秘密を解いて開示したのがスウェーデンボルグである。霊界を完全に否定する人間は宗教の入り口にも入ることができない。このため大神様は狐、狸、生霊、犬神憑き、不成仏、幽霊などをご説法・ご指導で話され、霊界に目覚めよとご指導された。初期の同志には外霊という明確な霊体験もさせられた。世界巡教では「神とは何ですか」と質問した人に「神がわからんような者はここにこんでもよい」と答えられた。
海外ご巡教の時、霊界相応の質問もでている。例えば「大神様が説かれる時、左手で形を作り、右指で指し示すのは何故ですか」これは神教の本質をついたGoodQuestionであったとのみ巡教だよりには書かれている。また「2と6の日が道場休みなのは何故ですか」これは数字の霊的意味を聞いている。
(注)ご行をされた八幡神社田布施町大波野:八幡八幡宮(別表記:八和田八幡宮)である。この近くに余田があり平井憲龍:稲荷神社があったが、今は林になっているらしい。柳井市余田1541がGoogle mapで見るとその候補地の一つであろう。なお田布施町の寺社関係の所在地などは田布施町史P1126ーP1189に詳しく書かれている。