大神様のご訪問

大神様がご巡教などの時、同志の家にお泊りになることが良くあった。海外巡教でもホテルに泊まらず、神様と分かる人の家に泊まられ、そこでお祈りをして悪霊済度をされ、家の人に神教され、後進国ではホテル代以上の代金を与えられたりした。その資金がその後の活動費に生かされたのだろう。多くの人が大神様をお迎えした経験を書いている。その一例である。
紀元18年(昭和38年)の元旦大神様は歯科医の小河清里さんに「2月25日には福岡へ歯の治療に行く。楽しみにしているよ」と仰せられた。小河さんは大喜びで福岡近辺の同志と共に準備を進めた。(大神様をお迎えするために風呂や便所などを特別に新しくした人は「このようなことをするな」と強くご注意されてきている。掃除以外の準備は最小に留めるのが神教のようだ。)博多駅でのお出迎えでは3番ホームが同志で埋まった。大神様は「同志がこんなに大勢出迎えてくれたのだからその真心に対して福岡で説法してやろう」と仰せられ、皆は大喜びした。歯科医宅に泊まられて、小河さんは感想を書いている。
大神様のご日常が即神教であるとは、良く聞かせていただいていますが、その規則正しいご生活、1分でも時間を無駄遣いしない点、人を救い国を救うのに時と場所を選ばない点、人に迷惑をかけられない点、何から何まで全く神様でなければの感を深くさせていただきました。
お食事は昨年8月よりの中気以来、玄米食にされていて、この玄米は田布施よりご持参、副食、調味料、野菜類、箸、スプーン、ふきん、食器洗剤にいたるまで、すべてご持参で、遂に私共は何もさせていただけなかった。お食事は実に質素で、私共はロースハムを用意していたのに、大神様は安いプレスハムを買われており、暗にもっと質素に生活するようにお示し下さったと感じた。2回、田布施のご本館に電話されましたが、電話料はいくらにだったか電話局に問い合わせるようご指示され、わずかですから結構ですと遠慮しても、迷惑をかけてはいけない、と言われ、局への問い合わせた料金までも含めて支払われた。徹底した「人に迷惑をかけない」という神教をお示しになった。
3月2日(土曜日)1200名定員の福岡国際映画劇場で公開説法された。九州地区同志の活躍であふれるばかりの盛況で、前座の同志のお話のあと約1時間自由自在に人間道をお説きになりお祈りで終わった。ご説法終了後小河さんの車まで大神様がこられると、某宗教団体の若い女性2名が来て、ご説法で分からなかった点を次々に質問すると、大神様は一つ一つ丁寧に答えられた。なおわからぬ点は支部に行って聞きなさいといわれ、小河さんに自宅である支部を教えてあげなさいと言われた。そこで毎週土曜日午後7時30分より磨きの会をしていることを教えた。大神様は「小河,今晩は磨きの会をするんだろう」とおおせられた。小河さん達地元の同志は大神様はお疲れだし、公開説法の直後なので、本日の磨きの会は中止するつもりでいた。それを大変お叱りされた。「磨きの会は神様が決めたことなのよ。どんなことがあっても止めてはいけない。誰もこなければ小河一家とわしだけでもお祈りして、磨きの会を開こう。」とまで言われた。驚いて残っていた同志に伝え、その夜は80名も集まり大神様と膝突き合わせての共磨きであった。
大神様のお出ましになる磨きの会ですから、「集まった者は徳を積んだことになる」「集まった者全部がそれぞれに持った悪因縁がお祈りによって切れていく。そのように大切な磨きの会を中止すると、小河がその分の悪業を全部背負い、切れる筈の悪因縁も全部背負わねばならなくなる。さらに神様のみ心に反して磨きの会を中止することで大罰の種をまく所だったのよ。そこでキリスト教の女2人を使って、小河に肚の神様が罰の種をまかないように、よいようにして下さったのよ」「磨きの会では個人個人のお祈りでは済度されない霊も、磨きの会で皆の力強いお祈りでそれぞれ済度されることが多いのよ。大切なのよ。わしは説法中にもし死んでも本望なのよ。自分の体の方より、説法する機会を閉ざされる方が、どれほどつらいかわからないのよ」と教えられた。なお大神様に質問した2人の女性が、その後支部を尋ねてきたことはなかった。(以下略)
この日の磨きの会に出席して「人生が変わった」人もいた。以下武富たつ枝さんの手記の抜粋である。
紀元12年私は小河歯科で治療を受け、田布施の生き神様を教えられた。治療の都度神教を聞き、この宗教は普通でないと気づき、早速磨きの会に参加するようになった。私は当時28才で8ヶ月の次女のことで悩んでいた。頭も体も発育が遅れ、病院でも治療できないといわれていた。小河支部長より本部参りを勧められ、無神論者の主人を説得して6才の長女も連れて3人で同志Cさんの案内でご本部参りをした。大神様を見て、この御方はまぎれもない生き神様と魂でわかった。思いがけず、道場の終わりに長女の頭を「いい子だね」といってなでてくださった。3日間同志宅に宿泊した。
帰って驚いたことに、私が10数年間通院して治らなかった慢性大腸炎が、それ以来きれいに治ってしまった。本当に不思議で神力の偉大さに驚いた。体の弱かった次女もやっと歩けるようになり、やがて小学校に上がる時が近づいた。自分の名前だけは読めないと不自由だろうと、四角い木に、あいうえおが書かれた物を買ってきて、武富さんの名字(た、け、と、み)だけは教えましたが、すぐに忘れてどうしても覚えられなかった。私達は困り果て、親戚からランドセルなどのお祝いももらっていたが、入学を1年延期させようかと悩んでいた。
その頃小河支部長から連絡で大神様ご出席の磨きの会を知らされ家族揃って出席した。大神様は「今夜は他でもない。お前たちがかるうている悪因縁を少しでも切ってやろうと思って呼んだのだぞ。」とおっしゃいました。私は吃驚するとともに嬉しくなりました。その夜帰宅し床につきましたが、何か勿体ない気がして胸がワクワクしてなかなか寝付かれなかった。朝方2時か3時頃からうとうとして朝になった。その朝も次女に名前を覚えさせようと、文字板を並べました。昨日までは何度やっても覚えれなかったのに、今朝は覚えました。そしてこの時、これまで一度も教えたことのなかった文字51字を全部言いました。私達はびっくり仰天しました。大神様はこの日以来次女に字が読めるようにして下さり、学校に行けるだけの頭にしてくださったのです。この時の有難さ、感謝は今も忘れられません。
「わしが祈ってやっても、その意味をよう知らん者がいる。わしが祈ってやったということは、生まれかわったことなのよ」という神言を最近天声452号で知りました。(以下略)