実相界と現象界

前回のブログで、自宅がきれいに掃除されていることと、そこに住む人の心が美しいことの関係にふれた。こういう、心(霊界:実相界にある)と自宅(現実:現象界にある)との関係が相応で、実相界で(心が)綺麗なら、現象界でも(自宅が)綺麗になるが、逆に現象界で綺麗だからといって、実相界できれいとは限らない。これは現象界は実相界の影であることを示す一例であり、大神様はこのことを度々説法されている。仏教でも一切唯心造とよく説かれる。 「一切」とは、すべての現象・存在のことで、心とは実相界のことである。実相界が現象界を造る。現象界(現実)は実相(霊界)の陰であるという意味だ。

神の電波(流入)は実相界の天界を経由して現象界に届き現象界を支配している。また悪魔(邪の神)の流入が実相界の地獄を経由して現象界に影響する。この2つの流入のバランスにより人間の自由が保たれる。スウェーデンボルグが詳細に説明している。ブログで興味深いのが
http://www.geocities.jp/mkmizutm71/souji2.html
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大神様は一番わかりやすい。現象界に人間「北村サヨ」がいて器になり宮となり、実相界の男神皇大神」・女神「天照大神」が直結している。
大神様は「神の世では衣食住は魂で決まる。」と言われたが、これを実相界の言葉と見ると、ごくごく当然の話である。実相界では、魂に応じて、霊界での自宅庭園が決まる。聖人だと金銀宝石で作られた宏壮な大邸宅である。衣服はその人の持つ霊的真理であり、白く、金の刺繍が入り、ルビーが飾られ虹がでていたり、金色のオーラがでていたりする。食はその人の霊的嗜好である。聖人程、聖書やお経、ご説法を好む。夢に現れた大神様や死亡した同志の衣服などにその特徴が現されている話は多い。この分野は正確にはスウェーデンボルグを読むしか無い。

実相界での自分を清めると、現象界での自分の身体・境遇が変化する。(神教を実行すると必ず体験が生まれる。体験することで神教がより深くわかる。実行して体験して味わって行く。)例えば霊動が出たり、無我の歌・舞が出たり、癌・精神病・各種病気が治ったり、怪我が治ったりする。貧乏神が去れば、福運が来る。これを「お陰はやらぬが、お陰のある世界がある」と言われた。前世で自分が泥棒であると、今世では貧乏・赤貧が運命づけられているが、お祈りと反省懺悔で因縁が切れれば、救われる。今世で泥棒してきていても同じ。法的に泥棒していなくても、精神的な泥棒をしていても同じ。他人の業績を横取りしたり、出世を横取りしたり、賄賂で他人の合格・就職を横取りしたり、發言の機会を奪ったり、取引先を破産させたり例は尽きない。家族より、自分の皿に美味しいものを多く盛り付けるのも一例。実相界は霊集団の社会で階層化され組織化されている。心が掃除され清められると、上に移動し、神の流入を多く受けるようになる。「心を掃除して神に行くのが神行」。最下層が無間地獄、10万地獄(畜生)、8万地獄(餓鬼)、精霊界、自然的天国、霊的天国、天的天国と上がる。金の亡者なら餓鬼界におり、他人の犠牲をいとわなければ無間地獄にまで落ちていく。スウェーデンボルグに詳しい。

現象界の事物の特殊な配列と呪文の組み合わせて、実相界に信号を送り・変化させ、そのことにより現象界(現実)を変えることも可能。これが魔法であり、古代以来、夢中で研究されてきた。曼荼羅を描いて呪文を唱え、自己の望みを祈る。神棚を祭り、火を燃し花を飾り祝詞を上げ自己の望みを祈る。犬神の呪いなど危険なものも多い。ストーンヘンジやピラミッド、ボロブドゥールなど大規模な装置もある。自己の悪を見つめ反省懺悔して自分を直そうとする教義を実践するかどうか重要。心が清浄でないと悪魔(悪霊)と交信してしまう。心が清浄なら神・仏と交信する。悪魔との交信をするのが黒魔法。典型がオーム真理教などの左道密教。神仏との交信をするのが白魔法。典型が右道密教。外に降霊術や霊媒など多数ある。悪霊と交信していると取り憑かれ、人格が破滅する。大神様はこれらを「狐付き」「邪神つき」と言われた。空海については、空海は仏に使われて奇跡を起こした。その奇跡を肚が自分にも辿らせてやらせる。同じことを説かせると言われた。河口慧海「蔵文和訳大日経」P35,36に「末法の人間でも仏教の種を枯らさないようにするには、白魔法のようにわかり易い教えも必要で、それを契機として本物の仏教を実践する人間も将来出る。」という趣旨の教えが説かれている。この種の魔法に詳しい人で同志になったのが、山口日畎、君国陽陰、チトレー、ハウスラー、エサン、テイラー、ヘンデルコット、ジェロームなど沢山いる。初期の同志にこういう人が多い。神そのものが出現し,地上神の国が現れた時、魔法は不要になった。山口氏は人助けのためだけに魔法を多く施してきていたが、大神様は懺悔が必要で、本人だけではし尽くされない程大きい。大神様自らお祈りして懺悔を許された。魔法は「神・仏を使い物にする」「神・仏を人に引き下ろして使う」と厳しく批判された。
彼らは霊の目が開いているので、大神様に宇宙絶対神が宿られているのがはっきりと見えた。チトレーは大神様がカンプール空港に降り立たれた瞬間、空港から始まりその地が清められていくのを見た程である。
聖書にイエスがキリスト(救世主・神)であることを人より先に霊が知っている話が所々にある。大神様も同じで、修業中の昭和20年でも本城家を訪れると、家人より先に霊が迎えにでたことが記されている。ハワイ・マウイ島に行かれた時、大湾さんは子供がいては、大神様御一行が宿られるのに不都合と考え、子供を親戚にあずけて、大神様を空港に迎えに行き、自宅に案内した。その車中で、数人の幽霊が車に飛び込み、大神様はお祈りして救われた。これらの幽霊が救われたことで、大湾一家が救われた。大湾一家は夫婦・子供とも病気が酷く悩んできたが、すべて治った。子供をよそに預けてまで世話しようという真心に神様が応えられたためだ。国内巡教でも大神様が行かれる所、宿られる所、霊が救われようと集まり、同志に因縁のある霊などを救われたことがお供の人の話にでてくる。ニューヨークやシカゴなどでも多くの霊が大神様の宿に救われようと押しかけ、宇宙絶対神がこんな粗末な所に隠れていると嘆いたことが天声の巡教だよりに書かれている。 
言葉は現象界と実相界をつなぐ。言霊という語が在るほど。自分が発する語には、自分の魂の形が宿る。従い言葉を聞くだけで、その人の魂状態が分かる人もいる。嘘の罪は仏教でもキリスト教でも盗みなどの行為の罪と同等に重い。大神様は嘘のほうが大きいとまで言われたことがある。これは嘘(心と言葉と行いの不一致)が、言葉本来の力(現象界と実相界をつなぐ)をなくすためと考えられる。全く嘘をつかない人物(釈迦、キリスト、大神様)は言葉本来の力を持ち続ける。このため、「風よ変われ」というと風がかわったり、盲に「眼が見える」と命令すると眼が見えるようになる。歩けるというと、それまで長年寝たきりの人も歩ける。大神様は「しゃべる通りの世が出来りゃ、、、」としばしば歌われたが、大神様がしゃべると、それは実現してしまう。これを大神様は見抜き見通しと良く言われるが、予知しているのか、言われたから実現してしまうのかは分からない。仏教ではこの能力「言語真実者」を仏の特徴のひとつとしている。
大神様は「嘘を言わない」ために、大変なご行をされている。何かをする。と宣言されると、どんな事態が起こってきても必ず実行された。例えば昭和38年6月12日ハワイ・ホノルルで、今夜説法してやると言われた。その後同志の入院している病院に見舞いに行かれる途中、自動車事故にあい肋骨7本骨折の重体になったが、其の夜には予定の時刻に予定時間一杯のご説法をされた。大神様のご足迹を調べれば、このような例は枚挙に暇がない程沢山ある。(例:昭和26年10月15日別府に柳井から船で同志300人を連れて行き、16日に別府公民館で公開説法することを発表されていた。14日夜九州から中国地方にルース台風が縦断(宮崎瞬間風速69mの記録)大被害が出た。大神様一行は船が不通のため列車で出発。日豊線豊前善光寺駅まで到着。その先が不通のため、地元同志の懐中電灯の先導で暗いぬかるむ夜道を歩かれて夜半別府駅に到着。16日は予定どうり公開説法。)
大神様は絶対嘘を言わないということを大神様昇天後にまで実現させるために、若神様は同志に大神様が出された手紙を総て本部に一度集めコピーして返却、手紙の中で大神様が約束したことは総て実現させた。
仏の別名に「世間解」があるが、大神様は「世渡りのことなら何でも聞け」といわれていた。