身代わり

天照皇大神宮教の奇跡に、身代わりに関係するものが多数ある。因縁因果の一形態である。衣服を補修する時、予備の布を使って補修する。予備の布がない時は、ぼろの衣類をつぶして当てる。人間も同じ。という趣旨のご指導をたびたびされている。神様は個々の人間の因果を見られているだけでなく、全体として家族、社会、国も見られており、肉体的生命だけでなく、死後の霊的生命にも目を向けられている。我々の理解の及ばない領域である。
紀元14年4月21日のご説法(天声544号)に多くの事例が述べられている。この種のことは同志の体験として非常に数多く天声に書かれてきた。最近でも天声734号P12−p14、P87に見られる。
(例1)小林智恵子さんの夫は軍人で戦地で多くの罪を作っていた。紀元3年妹に連れられ道場に参り始め、10日目ぐらいに、道場で大泣きし、大神様に懺悔だと言われて、懺悔をすることができた。その後一家で入教し、先祖が熱心にやっていた神道の神棚を燃やした。大神様は「神棚には狐が3匹いる。よくお祈りして、風呂でなく、くどで焼け」とご指導された。
紀元6年12月ご本部にお参りし、帰り際、同行の伊ケ崎夫人に「今日は帰りに汽車から落ちて死ねいのう」と神言があり、伊ケ崎さんは「ありがとうございます」と答えられた。小林さんも自分かもしれないと思い、気をつけて帰途についた。光駅の手前で急に気分が悪くなり、デッキに出ていくと、「洗面所に入りなさい」という実母の声が聞こえたようだが乗車口に出てしまった。発車時にプラットホームの間に落ち10Mも列車に引きずられた。梅田病院に運ばれ、尻を12針縫い、同志宅に運ばれ、意識が戻った。小林さんは当時妊娠5カ月であった。ある方が大神様に報告にいかれ、大神様は夜のご説法前でしたが、「よし痛みだけは取ってやろう」とお祈りされた。「痛い、痛い」と言っていた小林さんはその時刻から言わなくなった。26日には大神様がお見舞いにこられ、体を揉まれた。その時、大神様の時計が故障した。「止まったのは、小林の身代わりいや」と胆の神は言われた。それから大神様は「子供が迷惑をかけた」と光駅長、梅田病院、駐在所にお礼回りをされた。その後戻られ、小林さんに「お前は汽車で死ぬ因縁だったが、尊い神教を頂いていればこそ、まだまだお前を生かして使わにゃならんからのう。それまで生かしておいたのいや」と仰せになった。「尻を12針も縫うたというが、大傷が顔にでもあったら恥ずかしゅうて歩かれんもせんが、見えん所につけてやったのよ。あすこは手術してわざわざ肉を取るぐらいの所じゃからよかろうが」と仰せられ、全身を優しくさすられ、「やってくれよ」と力強く励まされた。小林さんは早く回復して、神国のお役に立たせていただかねばと固く固くお誓いした。
小林さんの主人に「腹の子は家内の身代わりになるが10月10日したら生まれる。その子を良く見ておけよ」と仰せられた。紀元7年1月3日自宅に戻ったが、ダルマのように全身不自由で姑の世話になった。「米の磨ぎ汁を熱湯にし少しさまして傷口を洗うように」というご指導に従い、他の薬等を一切用いず全快した。食べこむばかりで大便が出ないのを心配して主人が同志を通じて大神様にお伺いすると「3日分の上茶に塩少々を入れて飲ませ、そしたら入ったものは出るいや」とご指導いただき、さっそく実行した。3日目最後の分を飲むと、神言どうり、1カ月目によくもまあこれだけの物がおなかにあったものだと吃驚する位出た。
此の事をご報告すると「動けん時に出すと取る方も取られる方もせんないから、かつがつ這うて出られるようになって出してやったのよ。」と仰せられた。神様は本当によいようにしてくださると感謝に浸った。「腹には子供が居ってあれだけ食べこんでも苦痛はなかったろうが」とも仰せられたが、その通りであった。
歩けるようになり全快してまもなく、紀元7年5月4日に無事出産。主人がご報告に上がろうと田布施駅下車すると、ちょうど第1回海外ご巡教でプラットホームに立たれておられた大神様がその電車にご乗車される所で、短い時間でしたがお礼を申し上げると「おお、おめでとう。だがの、出て来た子供は家内の身代わりになる。子供の顔をよく見ておけ」と2度までご指導された。
出産2日目から子供の顔は内出血で青黒くなり、目はウサギのように真っ赤に充血、腰の骨はガラガラ音を立てていた。本当に腰を打った小林さんのかっての姿そのままであった。この行の身代わりになった子供は8日の朝小林さんがお祈りをしたくなり、お祈りすると、天に叫ぶがごとく気持ちのいいお祈りが出て、子供を見ると、すっかり生まれた時のあのきれいな顔に戻って安らかに昇天していた。大神様が「よく見ておけ」といわれた通りであった。
半年後ご帰場された大神様にお礼を申し上げた。「おお、おめでとう。神の有難さがわかろうが。身体が全快しお産に差し支えないようになって安産ができた。これからもしっかりやりなさい。」と優しく神言をいただいた。この後一家は熱心に神教を行じた。(光支部史)
(例2)天声734号のご説法(紀元15年2月9日紀元節)に上げられた人のケースは、当時の天声に詳しい成り行きが書き残されている。天声73号(紀元14年12月25日発行)に高田和子夫人が書かれた。紀元9年大神様のお世話で結婚して半年しないうちに結核を発症。3年間寝たり起きたりの暗い日々を送っていた。紀元11年家族でご本部に参り、「遠いところを来たんじゃから、お前の結核もいじゃった」と神言を賜り、その日から嘘のように自覚症状が消えた。一見、健康にしてもらったが、行ができず再び病の淵に落ち心身とも苦しんだ。紀元14年3月30日4人の子供を連れて和子さんは夫(高田十五郎)と共にご本部に参った。夫は会社があり、間もなく帰宅。夫人は翌日から結核が重症化し40日間の肉体の試練をご本部で受けた。最初の20日間は生死を彷徨うほど酷かった。小3の子供は学校が始まり4月5日に一人で帰宅。2歳、3歳、4歳の幼児は次々と高熱を出した。大神様は手厚くご指導されて、この大試練を乗り越えさせられ、救われた。
天声77号(紀元15年4月25日発行)に後続の報告がある。紀元15年2月7日生後3カ月の幼児が急死した。前夜まで元気だったのに、急に亡くなった。これは神様のご予言だったことに気付いた。紀元14年4月14日ご試練中の時、「高田十五郎も親が死ぬより子が死んだほうがえかろうが。あれが(当時重病で発育の遅れていた3歳の長男)あのままで、7つまで生きたら、わしの首をやるいや。本当は寿命のない子よ。」「腹の子が死んであれ(長男)が生まれかわりゃ、別じゃがのう」この時和子さんは自分が妊娠していることに初めて気付いた(3か月)。妊娠8カ月の紀元14年8月6日には「腹の子はふとらんけえ。それだけはわしは言うちょく。腹の子は忘れいよ。お前の身代わりよ。よろこべや。神のなさるがまま。神様に任せておけいや」赤子は母親と長男の身代わりとなり、物も言えなかった虚弱だった長男は堰を切ったように物を言い始め元気そのものになった。
(注)因縁‥因果の振り替わりは非常に多くの例があり、パターンも様々である。
(A)重病の家族が何人もいて、その中の一人が病死。他の家族は奇跡的に治り、健康になる。
(B)瀕死の病人が奇跡的に回復し、それまで健康だった他の家族が急死。この家では誰かを(今のタイミングで)葬式に出さないといけない因縁と言われた。
家族以外が身代わりになったケースもある。瀕死の重病人が参拝してきて、宿舎(同志宅:藤本)に向かう道で死亡。その宿舎の主(藤本)が葬儀を出した。これにより藤本の父の死線が超えられた。
(C)(お産などで)死ぬ因縁の人を助ける為、家族何人に様々な事故・病気が起こり、その苦難の総計でもって死ぬ因縁を振り替えさせて助ける。命を亡くすかわりに、火事・盗難などで財産を亡くす。このような振替もある。大難を小難、小難を無難ですますと良く言われる。この因果の振替が見えると、苦難・試練に感謝が湧く。神様が活かして使おうとされる慈悲がわかれば、人間の本分・神に仕える、神と肚を合わす(人格の完成、成仏)神行の道に励むようになる。
(例3)大館かつよさん(女性)は働き過ぎて体を壊し不調であった。紀元5年娘が入教。自分も本部参りをして大神様に救われた。紀元8年ご奉仕をしての帰り、バイク事故にあい気絶。そこに同志が通リかかりご本部に運ばれた。大神様はご説法中であったが若神様の奥様がご奉仕帰りに事故にあわれたと取り次がれると、大神様は卵の白身で傷を拭われ砂をとられる処置をされ、道場にいた人と共に祈られた。加害者も道場に付いて来ていて「慰謝料はいくらだしましょうか」と言われた。大神様は大館さんが生活に困っているかを聞かれ、「どうにかやっています」と答えると「あねい言いよるから慰謝料はいらん。あんたもこの教えはどんなもんか時々は参ってみなさい。今日はもう帰っていいよ」と仰せられると大変喜んで帰っていった。
翌朝ご挨拶をすると「あんたはのう、死線が出ておるじゃが、いっぺんに大きな怪我をしたら死んでしまおうがや。要る者は生かして使うんで。神が試練を3つに分けて出すんじゃけえ、こっちでもお祈りしておくが、帰ってからも一生懸命お祈りして行じていきんさい。また何が出るやらわからん」と言われた。駅につくと事故の加害者が待っていて謝罪し、果物かごを渡そうとした。固く断ると、「実は怪我をさせたのはあなたで3人目です。気持ちですので受け取ってください」と渡された。
翌月大神様にご心配をお掛けしたおわびと、駅での出来事を申し上げると私が怪我をする因縁であった、慰謝料を断り、相手を許したことに大きな意味があると仰せられた。(天声487号)この事故と許しで3回分の試練をくぐり抜けられ、それ以後元気で過ごすことができた。事故の加害者が、自分の対応しだいで、自分の死線を振り替えてくれる「因縁の恩人」になるという、興味深い事例である。「何事も感謝でうける」という教えは、実は一番賢い生き方であるのがわかる。自分が恨まないことで、自分が(知らずに)恨まれていた他人からの恨みが晴れる。前世から持ち越された恨みの因縁が切れる。まさに、「恨みは恨まざることによって晴れる」。後に大館さんの娘(浜村)は神の国洋裁学校の教師になった。
(例4)Gさんは戦争未亡人で幼い子2人を抱えて行き詰まっていた。大神様はHとの再婚を勧めた。Hは結核末期であり、両人とも再婚をためらい4ヶ月すぎた。ご本部で若神様と合うと再婚話のことを聞かれ、大神様が今から結婚式をしてやると言われ直ちに結婚した。Hはご本部の奉仕をしているうちに、病気は良くなった。しかし2年後安らかに死んだ。大神様はGに「お前は33で死ぬる運命だったのよ。主人は寿命はあるが、肉体が蜂の巣のようになってもうだめだったから、寿命の引き継ぎをしてやったんで。寿命の引き継ぎをするのは神よりほかにはないんで」と種明かしされた。(天声379)
(例5)杉木さん(女性)は同志の家庭で育ったが、結婚は恋愛であった。神教から離れてすぐ病気になり入院。悪性のガンで非常な苦しみを味わった。反省懺悔がわき大神様のみ心にそう人間になりたいと念じた時、急に症状は好転・退院できた。その頃、その支部の人が「大神様が少し前に昇天した老婦人を呼ばれ、倒れている若い女性と老婦人の内臓を入れ替えられる夢を見た」と話した。(天声429号)
参照 
umou.hatenablog.com