密かなメッセージ

昨日の「偽りの生活」の最後に「天声は35号(紀元11年11月号)以降は本文の一番先頭(表紙の裏)にお祈りの詞は常に印刷されている。」と書いたが、これは不正確で、大神様ご昇天の前後4年間は異なっていた。その変化の軌跡中に大神様ご昇天の予告のサインがあったようにも思える。表紙の裏に印刷されている記事を調べると


35号(紀元11年11月)ー132号(紀元19年12月)  お祈りの詞
133号(紀元20年1月)ー141号(紀元20年9月)  お祈りの詞 神歌
142号(紀元20年10月)ー156号(紀元21年12月) 神歌
157号(紀元22年1月)ー168号(紀元22年12月) 毎月交互に「神歌」「奉答歌」
169号(紀元23年1月)ー180号(紀元23年12月) 「利己でくずれ去る暗黒の世に 宇宙絶対なる神が天降り 真人間の道を説きたもう この天の声地上にみちるとき 真心ある者は 心の目をさまし 心に神のみ光をいただいて 神行 神に行く道を進む」
181号(紀元24年1月)ー最新号(紀元78年3月)  お祈りの詞 

 世界ご巡教から大神様がご帰国されたのが紀元20年7月16日、夏の式典、国際会議などの行事が終わって最初の天声が142号。(140-141号は合併号)。この時から神歌になった。ご昇天の年(紀元22年)になると、1月から12月まで毎月交代で「神歌」「奉答歌」が掲載されている。神様はご昇天のサインをこのように天声を通じて出されていたのかも知れないと、今になってみるとわかる。169号は紀元23年1月号であるが、発行は紀元23年1月1日である。従って紀元22年12月中に作成されている。大神様ご昇天(紀元22年12月28日)を若神様が発表されたことが、急遽入れられている。ご昇天後の喪中に相当する一年間は、特別の文章である。

 大神様の海外ご巡教中、ご説法の前に「神歌」を歌い、ご説法の後に「奉答歌」を歌うことが世界ご巡教中インドに入られてから行われるようになった、と崎山氏が話された。これはそれ以降の各地でのご説法の構成になったようだ。インド・中東・ヨーロッパ・アフリカ・中南米では、大神様とお付きの人しか歌を知らなかった。何か深い意味があるのだろう。このインドの巡教だよりが掲載された始めたのが132号である。その次から神歌が入りだした。

天声は毎号神様が作っていると言われる。とりわけ大神様ご在世中の天声(1-169)を特別視している人もいる。紀元9年以降の4回の海外巡教だより、大道場建設の記録、大神様の日常の記録など、この神様と直弟子、周りの人々の貴重な詳細記録が後世に伝わるのだろうか、終戦直後の紙質が悪い時代の本である、と心配をしてしまった。大神様の直接の記録は宇宙絶対神の記録であり、人類の最重要記録であるはずだ。

釈迦の死後、弟子達は記憶を暗唱して、受け継ぎ、200年後、300年後に特殊な植物の皮や葉に文字を彫刻して保存、中国に伝わってからは、竹に墨で書いたり、和紙のような紙に書いたりして保存されてきた。これら派生記録は原始的に見えても、何百年という長期保存に耐えられた媒体に記録されたため、現代まで伝わってきた。

参考 御祈の詞

天照皇大神宮 八百万の神

天下太平 天下太平

国民揃うて天地の御気に召します上は

必ず住みよき神国を与え給え

六魂清浄 六魂清浄

我が身は六魂清浄なり

六魂清浄なるが故に

この祈のかなわざることなし

名妙法連結経

名妙法連結経

名妙法連結経

てんしょうこうたいじんぐう やおよろずのかみ

てんかたいへい てんかたいへい

こくみんそろうててんちのおきにめしますうえは

かならずすみよきみくにをあたえたまえ

ろっこんしょうじょう ろっこんしょうじょう

わがみはろっこんしょうじょうなり

ろっこんしょうじょうなるがゆえに

このいのりのかなわざることなし

なみょうほうれんげきょう

なみょうほうれんげきょう

なみょうほうれんげきょう