金剛身

仏教で長らく論争されてきたのが「仏の体は金剛身であるのに病気するのか、否か」である。お釈迦様は万能で宇宙の支配をされるのに何故病気したのか、天照皇大神宮教を学ぶと、この疑問は氷塊する。
1.大神様は疑いなく神様であったが、人間として多くの病気を”示した”し、交通事故も”示した”。人間として「人の道」「人として如何に行じるか」を教える為である。神様だけでは、皆が後に続いて行けない。
2.この病気、事故はいずれも、信者に教える目的があった。人生には山も坂もある。嵐もある。これをどう乗り越えるかの模範を自ら示した。また神様でも仏でも因果律に従うことも示した。体を長年酷使すれば、当然ガタは来る。これを因果不昧という。
3.大神様の肉体は人間であり、耐え難い苦痛、苦労はあったようだが、精神は全く無傷で、完全に超越して乗り越えた。病気、事故の後遺症は全くない。(台風が如何に吹き荒れようとも雲の上は、太陽が燦々とふりそそいでいる。同じように肉体は試練の嵐にさいなまれようと、祈る所に神はまします。神と共にある我が心の楽しさよ。)と述べた試練中の同志もいた。
4.肚の神様は、病気や事故に治るまでの期限を示していたことが、多い。
5.病気により、大神様の肉体は改造され、若返ることさえあった。
初期の頃は、神様であることを示すために、昭和32年9月9日までは病気・事故は起こらないようにされた。屋外での説法でも、昭和22年1月15日までは必ず晴にして行った。(説法になると必ず晴た)。信者にも、お祈りだけで、病気・事故は乗り越えられると指導し、大勢の人がその恩恵にあずかり、それを契機に真の同志にまでなった人も多い。しかし雨の日にも信者は布教する。その模範を示すために、それ以後は雨の中での説法も”示す”ようになった。(自分が望めば晴にできるが、そのようなことをするのが神様ではない。という趣旨の話もしている。)
次の段階では、大神様の一挙手一投足が、信者への道標となるため、病気にかかること、それをどう乗り越えるかを示すため、病気になった。虫歯、結核・小児麻痺・神経痛・腎臓病・脳卒中・大火傷・癰・一酸化炭素中毒・階段からの転落・ひどい交通事故など各種に渡り、普通人であれば、多くが命取りのケースである。どんな重病中でも説法は欠かさなかった。(例外:一酸化炭素中毒で意識不明となった直後の3日間は説法を休んだ)。説法になると、不思議にいつも”ころっと治って”いるようだった。普通の病人とは概念が異なる。例えば、足がしびれて、歩くのが困難を”示して”いても、雑誌が「神様の日常」で取材に来ると、農作業を見せるため、柿の木に身軽にするする登り、平気で飛び降りたりした。(天声97号P70)交通事故では肋骨7本骨折の重症なのに、其の夜の説法は普通に(寝たままだが)行ったし、その後のハワイ各島への巡教もほぼ当初の予定どうり行い、日本帰国直後には予定どうり講演会や同志への指導まで行った。痛そうな表情に気づかない人は、大神様が交通事故にあったことに気づかない程だったという。その後でも、大神様が肚の神様の言う通りにしないと、事故直後と同じ痛みがぶり返したそうだ。(帰国直後に教団の中枢幹部2名に厳しい指導がされた。ハワイからの帰国時同行していた人が天声304号P70に次のように書いている「肚の神様がその指導を命じ、大神様が人情から渋ると、痛みをぶり返させて、指導を強要させた。」
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同志が天照皇大神宮教のお祈りで奇跡的に助かった場合、神様が”見込みあり”として助けているため、その後後退して、凡人の道を歩むと、ぶり返して死ぬケースが多い。それを”示す”ため、大神様自らに、同じ現象が現れている。すべての病気、怪我は一切医者にかからず治している。そういう世界があることを示した。信者には、医者にも薬にも頼って良いと指導。1歳児に5KGの荷物は持てない。(大人=聖人なら医者のいらない世界がある。赤児レベルでは医者に頼る必要がある)
すべての行為が、信者への教えと、生きる道をつけるために行われたようだ。例えば、大神様は暗闇でも良く見え、地下室には電気がついていなかった。ある日、大神様は地下室に漬物を取りに行き、足をぶつけて怪我をした。その場にいた若者(加藤)に、電気工事をさせて、地下室に電気をつけた。彼は後に布教のため、シアトルに移住したが、大神様にやらされた電気工事の経験が役に立ち、そのアルバイトで食いつなぐことができ、後には本業になった。
大神様はご行に入られるまでは盗難に一度も遭っていなかった。先祖の霊が守っていたので、外出時でも戸は開けたままだったが泥棒は入らなかった。ご行が始まると、盗難に逢いだした。婦人会のお金を集金してハンドバッグに入れていたのが盗まれた。次に戦後の物資不足で貴重品だったミシンを盗まれた。大神様はいらなくなり誰かにあげようと思われていたが盗まれた。列車のなかで大神様の財布を預かっていた崎山さんが、その財布を盗まれたり、世界巡教でナイジェリアに到着した時、お供の女性が150万円も入っていた大神様のバッグを集団強盗にひったくられた。大神様は盗難に遭った人々に「因縁が切れたのを喜べ」と説かれたが、こう説くために肚の神様は大神様に身をもって体験させていると話された。(釈迦も説いたことはすべて実行している、と経文にある。)
(注)神行すれば、災難に遭わない、病気にならない、というわけではない。自分の因縁により避けられないケースがある。問題はどう乗り越えるかである。それを、大神様自らが模範で示した。大神様は若い時から、心肺機能が強く、最高血圧は250も有ったらしい。其のため、60才ごろ、ある日、脳の血管が詰まって、脳卒中のような症状が現れ、右半身が麻痺し、舌ももつれた。(10年前にも一時中気症状になったことがあった。その時、ハワイの信者の娘(石原すみえ)が本部にきており、病気を急に発症した。ハワイの父親が脳卒中になる運命だったのを、大神様、娘、父親と3人に分散させて、一人住まいの父親の症状を軽くさせて助けたという話もある)其の夜も、大神様はもつれる口で説法し、3日の行と言った。その夜もその後も日課の孫達をお風呂に入れることは実行。3日後の説法時には、ほとんどいったんは治っていたようだ。肚の神様の指導により、約半年氷枕で頭を冷やし続け、完全野菜食にし、玄米などで脳の血管を”作り換え”、東京に行き公開説法をする時には、完全に治ったようだ。同志に「大神様はいつまでも生きているのでない」と警告し、一人立ちの神行、お陰いただきの信仰から、心を磨いて神に行く、神行に進め。大道場建設という、またとない功徳を積めるチャンスを活かせと指導した。
(注)宇宙の神イエス・キリストが何故死刑にあったか?旧約聖書の予言を実現させるためらしいが、これは人類の謎である。大神様の自動車事故も似た話である。カワイ道場の竣工記念行事に大神様が招かれた時、何度かその要請の手紙がきたが、返事を出さなかった。大道場建設中で、大神様とご家族は資産の殆どを醵金(寄付)していたようで、旅費にお金を使いたくなかったのかもしれないし、予感があったのかもしれない。ハワイから航空券を送ってきたため、肚の神は行けと命じたらしい。ハワイ(ホノルル)で新車が提供された時、「おらにくれるといい」と2度言った。前回までは何度車を差し上げたいと言われても、常にことわっていた。車に乗った時、同志の成田さんが、大神様が転がり落ちそうな気がして外からロックをかけた。交差点で青信号で通過中、信号無視の車が猛スピードで横から衝突。大神様の車は車軸が折れ、ハンドル・ブレーキは効かず、4本のタイヤすべて裂け、信号機と立ち木の間をすり抜けて、歩道を横切り、公園の立ち木を”自動的”に避けながら芝生で停止。大神様の脇のドアは弓なりに大きく変形。息も絶え絶えの状況になった。大神様周辺では、妙に今回の巡教は寂しいと感じていた人もいた。事故の時刻、部屋でお祈りしていたハワイの同志は、大神様の写真が落ちたり、部屋の電気が切れて、別の電気が点くという経験をした複数の人がいた。本当は3人即死(大神様、崎山、宮田が即死、他に平井、河村夫人が同乗)の事故だったようだが、神様は大神様だけを重傷にして、他は無傷にした。衝突してきた車にはインドの坊主(行者)2人とハワイ大学の先生が乗っていた。キリストを死刑にしたのはユダヤ教パリサイ派の司祭である。釈迦に害をなしたのも、宗教関係者である。この辺が神と悪魔の戦いということらしい。悪魔は悪魔教の人間を使う。神は生き神様、八百万の神を使う。これが霊界で戦い、現実世界でやり合う。
信号無視を証言してくれる人もいて、全損の車(神はおサヨの身代わりになったと言う)は補償された。(車の持ち主は被害を受けなかった)。大神様にたいする事故保険金も後日支払われた。その金で、本部に同志の何家族も引き取って住まわすための家(東宿舎)を建てた。完成は大神様の死の2日前で、入居する人の指名は大神様が亡くなる直前(1日前)に行った。これで救われた人が何人もいる。
事故後胸(肺)が大きく凹んでいたそうだが、手を振ったり、発声したりして”膨らませた”ようだ。事故直後運び込まれた平井氏の家で、横たわったまま、その夜の説法のため、声をだす練習をした。その場にいた成田氏の話では、大きな澄んだ大声で歌を歌い、この世のものではないと感じた。神様は3日の行と言った。想像を絶する痛さを超えて、予定どおり、その日も(ベットに寝たまま)説法した。(この説法は録音されていて今でも聴ける。大神通力を後世に残された極めて貴重な物的証拠である)その夜は尿まで神様が取ってくれたらしい。翌日は神様の指示で痛み止め薬3人分を服用。自動車で移動し、説法もした。事故の2日後には自動車に乗り、飛行機に乗り、他の島(カワイ島)に移動しカワイ道場開設記念行事を行い、座って説法、個人指導をしている!(この時の映像も残っている。曽根崎監督の「大神様」というビデオ:大道場建設場面後で、完成場面の直前にカワイ道場完成での説法、空港移動シーン)これを金剛身というのだろう。その夜に本物の人間でない白衣の天使が、体の内部をもみあげ、骨をはめ直し、隣で寝ていた宮田さんはゴトゴトいう音を聞いた。(天声528号)
(注)事故直後、同志の整体師(村岡さん)を呼び傷を見せた。凹んだ肋骨を触らせ、骨折を確認させた。後世への証言のためである。(天声227号 P100)医者に骨折がわかると米国法で入院させられ以後の日程がすべてキャンセルになる。そのため自分で胸を膨らませた。レントゲンは7枚とられたが、神様は骨折を”映らない”ようにした。事故後6っヶ月して保険会社から現在のレントゲン写真を要求され、医院でとると、左4,5,6,7,8,9、10肋骨がはっきりと骨折して、それが元の位置に付着してコブ状に太くなっているのが見えた。(この写真は御記念堂に展示されているそうだ。)肋膜炎も起こしており、水が貯まらないのが不思議だった。この治療を医院に勧められ電気治療(低周波治療)を受けたのが、唯一医者にかかった例外である。大神様が写真を”映らない”ようにしたのはこれだけではない。ハワイ修錬団の一人が、ある朝大神様が散歩に出かける所を目撃して、大喜びで写真を撮った所、酷く叱られた。取るなら許可を貰ってから取れ。こんなことが通れば自分はおちおち散歩もできない。その後そのフィルムを現像すると、叱られた写真だけが真っ黒であった。別例:堀田良恵氏は結核歴があり、就職時に障害となりそうだったが、就職時身体検査のレントゲンでは神がキレイに映らし通過させた。神が映らせたのよと言われた。別例:本部からの観光旅行に厳しく注意された紀元14年(昭和34年)の説法の原因となった、ハワイ同志グループの別府旅行では、写真がほとんど映っていなかった。
(注)事故直後に大神様が側に呼び寄せたのは、大神様の昔からの知り合いで、神言によりハワイに(結婚して)移住した3人の女性(成田「森川」政子・阿部「松根」麗子・梶谷「大野」千代子)である。この3人は英会話ができずに、知らない人に嫁に行き、自分をサポートしてくれる人のいない外国に嫁いだ。2人(成田・梶谷)は連れ子を連れて嫁ぎ、成田はハワイでいじめ抜かれて離婚。阿部は夫が日本語ができない為夫婦の会話もままならず、夫にガールフレンドまでおり、夫の家族も無理解な所に嫁いでいた。孤立無援、経済的にも困窮。まさに自殺しようといつも考える状況であった人もいた。彼女達に、大神様は事故直後の重体の体を示し、それを乗り越えて、説法・国救い・人類救済の旅を続けていることを示した。これを見て彼女達は勇気がわき、それ以後の苦難を乗り越える肚ができた。彼女達やその子供達は結局最後まで神教から落ちず、米国の教団の中核メンバーに育った。
(注)後に教団幹部の中山公威氏が南米巡教中自動車転落事故にあい、肋骨骨折した。彼は治療は受けたが、大神様の故事に習い、痛さに耐えて巡教を予定どうり行い、ニューヨークに着く頃には完治していた。彼は菩薩10地を実証したふしがあるような偉大な方である。
(注)後年2代目教主姫神様がカワイ道場に全米大会のため訪れた日に、アメリカ観測史上最大の猛烈な台風イニキがカワイ島を直撃した。イニキはアフリカで発生し大西洋を渡り、太平洋で発達を重ね、ちょうどピッタリのタイミングで直撃。台風は悪霊の大集団と大神様は言っている。この辺も、神と悪魔の戦いと映る。姫神様一行はしっかりお祈りをし、一行にもカワイ道場にも奇跡的に致命的な被害はでなかった。