嘘も方便

「嘘も方便」は仏教用語。仏教では嘘は大きな罪であり、嘘をつかないことは大きな美徳とされている。仏教を深く信じ実行していた鎌倉幕府武家が嘘をつかなくなり、「武士に二言はない」という有名な伝統までできた。その仏教で手段(方便)のために嘘をついてもよいという例外がある。法華経比喩章で、仏が三界の火宅から人々を救うため、嘘を言って救う所から「嘘も方便」という語ができた。火宅とは俗世間のことで、大神様のいう「悪魔の世界、ウジ虫の世界」のことだ。この法華経ででてくる「嘘」は大乗仏教小乗仏教批判からくる便宜的なもので、これ以上ここでは深入りしない。ただ法華経比喩章は大神様の説法と共通項がかなりある。たとえば「汝らの今おる悪魔の世界はまもなく消える」「朽ち落ちた家から大火が出て焼け落ちようとしている」
大神様は説法で「嘘も方便」を解説している。これは神様が人間をつって(神行にいれるために)嘘をつくこと、と言っている。実例が多数ある。典型が以下のケース。
斎藤忠雄さん夫婦は両親(実父と後妻の義母)と同居していた。斉藤の妻ソメさんはよくできた人であったが、最近来た義母とは仲がわるかった。ソメの姉山本が同志であった。山本が斉藤の両親を大神様のところに連れて行った所、大神様はソメの悪口ばかりをいい、義母は正しいし、よく我慢していると褒めあげた。斉藤の両親は大喜びで入教し、帰宅してソメに自慢し、ソメも大神様にお参りするように薦めた。ソメは自分の方が正しいという自信があり、変なことを言われたと思いながらもお参りした。大神様は彼女への悪口は、彼女を引き寄せるための方便だったと明かした。彼女も入教した。こうして段々彼らがお参りして説法を聴き続けるうちに、ソメと両親は仲良くなり、共に熱心に布教を始めた。家庭が円満になったのに気づいた忠雄さんも入教して、この地方でこの一家が神の種を蒔く人々になった。
(注)斉藤忠雄さんは修験道の達人で霊能者であったが、昭和12,13年頃「そのうち宇宙の絶対なる神が地上に現れ、世の立て直しをする時がくる。それまで自我で神を求めてはダメ。禊をやめよ」という感応を得て一切の宗教から離れていた人物。家族が仏壇等を捨て驚き、円満になったのに気づき、忘れていた感応のことを思い出した。目をつぶると大神様や本部道場の有様が眼に浮かび、そのままを話すと、その通りであった。喜んでお参りし直ちに救世主と分かった傑出した人物。斉藤忠雄さんのように、大神様に合う前から大神様や、本部周辺、ご家族などを霊感や夢でリアルに見ている人は世界中に多数いて、何十人もいたようだ。こういう人も多数群がっていたのが天照皇大神宮教のすごい一面だ。仏の10大弟子のような人がゴロゴロいる。霊体験だと何千人もいそう。
(注)斉藤忠雄さんは修験道の師匠は吉田重胤という神官で、女性も神職につけるように長年運動し実現させた女性解放の先駆者である。霊能者としても秀でていた。
大神様も肚の神の「嘘」について説法している。
神のみ国は今できる。うじの泥舟今沈む。ちゅうて昔に歌いよった。そしてわしがその間に監獄に行った。そしたら「北村にゃ神の国をつくるちゅうて、とうとう監獄に行った」ちゅうて皆喜んだ。監獄に行くのが神の国をつくる大聖業とも知らなんと。「おサヨ神の国のためなら裸一貫何にもいらない。いつ何時命捨てても惜しゅうない裸役者になって、肚と祈りと真心と3つ揃えて無我で来い」ちゅうから「はい、やります、やります』言いよったが「外のものを監獄へ行かせてみい。『神行するちゅうても監獄へ行くちゅうたら』ちゅうて、はあそこへ引っかかっちょる。われでなきゃやれん行じゃからやってくれえのう。」ちゅうて肚ができただけやっていく。
(昭和)20年の年に「監獄へ行ってくれ」ちゅうたから、「何を、わしは神行せん時さえ監獄へ行かんのに」「うそ、うそ、わりゃ因縁が切ってあるけえのう、監獄へ行かしゃせんけえ、おらが言うように行せよ」ちゅうけえ、監獄へ行かんのじゃろう思うた。それから(昭和)21年に「おサヨ、東京へ行ってもどったら奥の院へはいるけえ、皆に会われんようになるけえ、早う行せえよ」ちゅうけえ、わしは東京へ行って戻ったら偉い人になるんじゃろう、と思うて喜んじょった。
それから奥の院へ入るちゅうて、監獄の奥の院。監獄ちゅうて4つ錠がかかるんよ。本当の奥の院へ入った。いやと思うたら、嘘言うんで肚の神は。嘘も方便ちゅうて。嘘つきが嘘を言うのはつまらん。神様のは、皆を吊り上げるために嘘を言うては、こう連れて上がるんよ。