生書 増補改定版 その後の御足跡2 ハーバード大学

半年間にわたるお留守の行は、内地の同志としては初めての行であり、また神の子に生まれ変わって間もないよちよち歩きの頃ではあるが、ハワイよりのお便りを唯一のよりどころとし、精一杯それぞれ行じさせていただき、偉大なご業績を残されて帰って来られた大神様を、あたかも巣で親鳥を待ち迎える雛鳥のごとく、お迎えしたのであった。そして、大神様には、御本部に止まられること1年3ヶ月にして、又海外御巡教
の旅にのぼられるのであった。しかもこの度は2カ年にもわたるアメリカ御巡教の旅である。
 御出発を間際にひかえた紀元節に、
「名妙法蓮華経の世をつくらんそがために、19年の5月4日より世の中騒がした役座じゃが、いよいよ役座もやっとこせえで一人前になったなら、50と5歳の年重ね、これから天下を股にかけた上、世界平和をやらせにゃならない時が来た。同志の者よ、やっておくれよ御国のために、やらなきゃならない時が来た。
 役座の帰りを待つよりは、いつまで役座が先頭で戦おうと、あとは八百万の神が引きうけたこと忘れずに、今日のよき日の門出を祝い、肚をきめてやっておくれよ」
と御説法下さるのであった。
 紀元9年2月11日、盛大なお見送りを後に横浜を御出帆、まず先年御巡教されたハワイに立ち寄られ、40日間、滞在された。ホノルル港の歓迎は空前の賑わいで、神の種がその後も立派に育ち続けたことを物語っていた。ホノルルでの公開説法、各島の支部御巡教など目まぐるしい御日程の後、3月31日未明、空路初の米本土御巡教の第一歩をサンフランシスコに印されたのであった。当時北米にいた同志は、大島郡より、2,3年前サンフランシスコ郊外のキュパチノに移住した棟広一家のみで、大神様一行は、まずその棟広宅に落ちつかれた。
 さて、この広大なアメリカ大陸に神の種を蒔かれる神の御計画はいかにーー大神様は「人間の計画は自我」と仰せられ、肚の神様の命ぜられるまま、アメリカ開拓を開始されたのである。そして大神様が開拓の第一の鍬を打ち込まれたのは、全く人間の意表をつくアメリカ東部の学問の都ボストンの近郊にある、ケンブリッジ市のハーバード大学だったのである。大神様一行は、4月17日肚の神の命ぜられるまま、大陸横断鉄道の車上の人となられたのである。ケンブリッジには、先年進駐軍の教官として滞日中、本部に来訪、大神様の親しい御指導をうけ、心から大神様に傾倒していたレオ・シー・メイ氏が待っていた。
 ケンブリッジでは、アパートの部屋を借りて落ちつかれ、そこに訪ねて来るメイ氏をはじめ大学に勉強に来ている学者達に連日御説法されたのであった。特にメイ氏に対しては、毎日徹底的に神教を話し、かつ指導された。そしていよいよ救世主大神様が、世界最高の大学で学者達に説法される時が来た。その会に自ら出席し親しく大神様の御説法を拝聴した唯一の日本人である関満氏が、たまたま次のような感想文を、ホノルルのハワイ報知新聞に寄せたのである。(1954年6月3日 ハワイ報知掲載)

ハーバードと神様     ハーバード大学にて 関満 一雄

去る5月19日、このハーバード大学としては珍しい霊界の講義が人類学、地理学、社会学教室共同主催の下に行われた。それは天照皇大神宮教教祖北村サヨ女史の特別講義である。これまで日本の政治家や有名な学者が来ると、時々この種の講演があるが、女史の場合、非常に風変わりである。何故ならば、今までの日本からの来訪者は大抵大学の極東部門によって主催ないし後援されるのに反し、女史の場合、全然別の各教室が共催しているからである。又来訪者はいずれも流暢ないし下手なりの英語をもって講演するに反し、女史の場合日本語を持ってし、ただ部分的に随行者が通訳するに過ぎないからである。神のご託宣は自然に女史の口からほとばしり出るのだから、その間殆ど通訳の時間を与えられないわけである。

「この神教を深く知りたかったら、日本語を勉強しろ」と言うのだから、愉快である。

次に聴衆が全部米人であることで、今までの例では、大学の極東部門の学生や日本人留学生が殆どである。しかるに女史の場合、日本人は私一人だ。又極東を研究している学生も少ない。それでいて聴衆は試験中の忙しい時にもかかわらず一番多いのだから面白い。

女史によれば日本から留学している学者達は利己の塊で「人間乞食」にすぎず、神の世界から最も縁遠い存在だからだ。その点アメリカの学者達は熱心に拝聴し、真摯な質問を浴びせて女史独特な明快な回答を得て満足しているのだから、不思議である。

私は毛沢東の研究で有名な歴史のシュワルツ教授と滞米中のシナの有名な歴史学者台湾国立大学教授労幹博士と3人で少し遅れて教室に入った。女史の講義は人類学のメイ博士の司会で既に始まっていた。ハワイで聞いたあの神様の透き通った声が教室のドアを開けた途端に「ガーン」と耳に響いてくる。

女史の「神行」解説が約40分あった後、有名な歌説法が無我の舞と共に行われた。

聴衆は粛として声なく、唯唯魅せられているといった感じだ。通訳は極めて巧みであったが、何しろ山口弁の早口では全部通訳することはとても不可能である。それにも拘らず、女史が講義の合間合間に「どうじゃ、わしの言うことに嘘や間違いがないことがわかろうがのー」と言われると、聴衆がコクリと頭を下げて「イエス、イエス」と言っているのだから不思議である。恐らくあの熱烈な口調と巧みな身振、歌の音律が恰も楽譜が万国共通であるように人種、言語の異なる人々に理解と共感を与えるに違いない。

つずいて女史ご持参の天照皇大神宮教本部ならびにハワイ支部の映画が上映された。これは1時間続いたが、聴衆は一応前の講義で認識を得ているから、目で見る日本ハワイの信者の様子に非常な感銘を受けたようだ。特に学生は女史の私生活が実に質素で、一介の百姓女としてあの繁忙な日本農家の雑事を滞りなく完遂している点に目を奪われたようだ。

映画の後、与えられた質問は実に多岐にわたり、精神界の本質にふれたものであった。

此等の人達を前に「過去・現在・未来に亘って真人間を作り、世界絶対平和をもたらす上において如何なる質問にも答え得ざることなし」と断言されるのだから、正に文字通り「神業」である。女史が世界平和の祈りを以て終わり降壇すると聴衆はどっとつめかけ握手を求め、あるいは片言の日本語を操って感謝の意を表していた。私も側から労博士に促されて遅ればせながら、握手を求めた一人である。蓋し、世界の人々が如何に平和を求め、原子時代のさ中にどれ程 ”安住の境地” に憧れているかを証明するに足るであろう。

 この一文を読んでわかるように、この催しは世界各国から集まっている学者達に非常な感銘を与え、期せずして彼等は大神様を「自然が生んだ偉大な指導者」であると讚歎したのである。そしてこの御説法の噂は全米の大学に伝わり、後日全米各地の有名な大学で御説法をされる機縁となった。

参考文献 

「生書第2巻」 第19章 第二回海外ご巡教 天照皇大神宮教

「天声」 6号、7号、8号 

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