仏教の修行法ーー金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るのよりむつかしい

仏教の修行法には釈尊が定めた2つの修行法がある。(河口慧海”在家仏教”による。)
在家修行法と出家修行法である。僧侶団(修行者団)は4衆に分けられていてウパーサカ(男の在家修行者)、ウパーシカ(女の在家修行者)、ビク(男の出家修行者)、ビクニ(女の出家修行者)である。
1.修行目的は同じである。
自己の精神を浄化向上させる。最終的には仏にまで向上することを目指す。これにより、すべての輪廻の苦を克服する。(死後は天使になる)
病気を治したり、富を呼び込む幸運をつかんだり、立身出世を目指したりということは一切ない。
2.修行法はまるで異なる。
  A.在家は普通の職業に従事し、家庭を持つ。懺悔、帰依3宝、受戒5戒だけである。
  B.出家は家庭、財産、職業を持つのは禁止され、出家時にすべてを放棄しなければならない。家を出るわけだ。守る戒律はビクは250、ビクニは384もある。

この在家修行法は初級編である。さらに進むには
在家修行法上級編として、発菩提心、菩薩業(布施、10善戒実行、忍耐、精進、禅定、智慧)がある。

出家修行法は、最初から上級編である。

キリスト教でこの辺がどうかは知らないが、似た記述は聖書にある。金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るのよりむつかしい。という辺りである。
マタイによる福音書19章16〜30節がキリスト教の出家修行法を暗示している。
尋ねた人は
1.永遠の命を得るにはどんな良い事をすればよいのですか?
(天国に行くための実行法を聞いた)
2.イエス「なぜよいことについて私にたずねるのか(実行法を考えるより先にまず神様に帰依しなさい。)、よい方はひとりだけです(イエス・キリストが神様です)。もしいのちに入りたいと思うなら戒めをまもりなさい(戒の実行が一番大切です)」ーーー 帰依3宝に相当(釈尊を信じる)、受戒の重要性を説く
3.「どの戒めですか」イエス「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証してはいけない。」−−−−−受持5戒とほぼ同じ(酒をのまないが欠けているだけである。偽証とは深刻な嘘をつくことである)
この段階は在家修業法初級編である。
4.「父と母をうやまえ。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」
ーーー在家修行法上級編の発菩提心とほぼ同じである。
5.この青年はイエスに言った「このようなことは皆守っております。なにがまだ欠けているのでしょう」
エス「もしあなたが完全になりたいのなら、帰って、持ち物をすべて売り払い、貧しい人に与えなさい。天に宝を積めます。(布施の薦め)そのうえで私について来なさい。(出家時にすべてを放棄しなければならない)」
ーーー完全になるとは仏になることで、そのためには出家修行法として世間を捨てる、または在家修行法上級編を完成させ、真諦を完成させ、心で世間を捨てることが必要と説いた。
6.青年は金持ちのため、悲しんで去ってしまった。
(神よりも財産を優先してしまうと以下のようになります。イエスから離れて財産に心を置いてしまうとという意味.
ロトの妻は後ろを振り返ると塩の柱になった。。。その時畑にいる人は衣服を取りに家に戻ってはいけない。等と同じ。神のいる所から去るとか、離れるとか、後ろを見るとかは、後退を意味する。この尋ねた人はこれ以後、信仰心をなくした金持ちの意味になる。この辺の聖書の記述法の詳細はスウェーデンボルグ
7.イエス「金持ちが神の国に入るよりは、ラクダが針の穴を通るほうがもっと易しい」
心を財産に置き貪欲に執着していると神の国には入れない。らくだ(学び・知る能力)針の穴(霊的真理):宗教的知識と学問から、自分の知的能力から信仰の秘儀を探ろうとする者は救われない。学者と宗教家程救われない。自分が無一物の馬鹿だと悟った時、ラクダは小さくなり、針の穴を通り抜けられる。霊的真理を受けられる。「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。富と天国の関係については
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  在家修行法初級編でも十分である。
8.ペテロは自分たちはすべてを捨てて従ってきたと表明する。(12弟子は出家修行法を実行していた)
9.後のものは先になり、先のものが後になることが多い。
(自分をなくし、常にお先にどうぞと譲る精神で、自己愛を少なくした人ほど、早く上達する。)

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(注)2012年に読んだ天照皇大神宮教の資料では”ラクダが針の穴を通るほうがもっと易しい”の意味を
「自分は本来無一物の馬鹿だと自覚徹底して、裸一貫神の国のためならなにもいらない、となった時、初めて神行の門をくぐれる。」意味だと解説している。ラクダは乾燥地帯の人にはなくてはならない便利な家畜。人間が生活していく上に必要な世間常識、財産、家、収入などをラクダと表現する。本来自分由来のものはないと悟り、心をこれに置かず、神をのみ思う。この時ラクダは小さくなり、針の穴が通れる。例えば紀元14年8月12日宇宙絶対神ご降臨記念日式典での説法。仏教用語で言えば、法無我・人無我に徹底した時信仰の門をくぐれるという意味。