親もなけりゃ兄弟もない。野中に立った一本杉

親もなけりゃ兄弟もない。野中に立った一本杉(主義)。
これらは2重3重の意味がありそうだ。
(1つの意味)
宗教上は親・兄弟という世俗の関係に囚われるべきでない意味。親・兄弟が反対しても、神行を取れと指導したことが良くあった。神教実行の人々が真の家族で、神教実行しない者は肉親であっても他人であるという教えだ。大神様自身教祖になってからは,実家や親戚とは一切の付合いはしなかった。親戚で同志になった人には勿論昔なじみでもありとりわけ親しく指導した。釈迦・キリストと似ているところもあるし異なる点もある。一番異なるのは子に対する関係である。
釈迦、キリストは家庭を持たずに教えを説いたが大神様は家庭を持って、家庭の道もといた。現代の真の教えは、家庭と職業を持った人間が神に近づく道を教える筈で、天照皇大神宮教がまさにそうだ。家庭は最重要視されており、家庭の和を作り、子供に対する一番大切な贈り物(正しい人間になり、正しい人生、実りある人生を送れるキーである”目””判断基準””価値基準”を育てること)を与える。金や財産でなく子供を正しい宗教に導くことが大切で、天照皇大神宮教はその教育プログラムまで持っている。「神の子を作れ。そのためには神の子の親になれ」と説いた。その指導は実にきめ細かく、胎教から始まり、出産、幼児期のしつけ、子供時代のしつけ、可愛がり方、仕事への取り組み方、対人対処、結婚、親への感謝と尽くし方など様々である。大神様の家庭は天使の家庭そのものであったようだ。

(注)キリスト教:マタイによる福音書
12.46 イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。
12.47 それで、ある人がイエスに言った、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。
12.48 イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。
12.49 そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
12.50 天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
ここからも明らかなように「マリア信仰」にはおかしいところがあり、大神様も説法で指摘されたことがある。
大神様は熱心な信者(同志)を人種国境を越えてわけへだてなく自分の子供として扱ったし、「お母さん」とつい呼んでしまった年上の老人に対しこう呼んでいいと言われた。大神様を(霊的な)母親と慕う信者は何万人もいた。信者(同志)全体を神の国の一大家族と表現する人もいる。仏教でも一切衆生は良心の種を持っていることを「一切衆生皆仏子」と表現し、ちゃんと仏教を正しく実行している人を「仏の子」と表現した。
(注)釈尊は成道した後、父親の国王から度々帰ってくるように要請されたが、帰国しなかった。父が息子でなく仏に対しての礼拝ができるようになるまで待ってから帰国した。会った時には父の国王に礼拝させた。仏が人間(たとえ父親でも)に礼拝はできず、人間が仏に礼拝を求めると、天罰が起こってしまうため父親のために礼拝させた。「仏の系統は世間の血の系統とは異なる。仏の系統は修徳の系統で、王家の系統とは違う」と教えた。大神様も人間に「様」をつけて呼ぶことは肚の神が許さなかった。そのため現職総理大臣であった岸信助氏にさえ「岸のおっさん」とよんでいたし、説法でもこう呼んだ。河口慧海もたとえ相手が王様であっても礼拝できなかった。出家の規則で「仏を負う者が、一般人に礼拝してはいけない。」を守っていたから。釈迦の一族は多くが弟子になり出家し多くが聖人になった。釈迦の出家前の一人息子のラーフラは大弟子となり、神通第一として有名であるし、乳母たちも尼の聖人になった。一族は多く出家しすぎて兵士が少なくなり、まもなく王国は滅ぼされてしまった。出家は独身でなければいけないから家庭の細かい教えはない。大神様の一人息子義人氏(通称若神様)は大神様死後神通第一であったようだ。その証拠は多数ある。
(2つめの意味)
天照皇大神宮教は他宗とは完全に独立していることを、野中の一本杉と言われたのかもしれない。
これは宗教の系統図の問題である。例えば創世記:
9:28ノアは洪水の後、なお三百五十年生きた。
9:29ノアの年は合わせて九百五十歳であった。そして彼は死んだ。
10:1ノアの子セム、ハム、ヤペテ系図は次のとおりである。洪水の後、彼らに子が生れた。
10:2ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メセク、テラスであった。  
10:3ゴメルの子孫はアシケナズ、リパテ、トガルマ。
10:4ヤワンの子孫はエリシャ、タルシシ、キッテム、ドダニムであった。
これらはスウェーデンボルグによれば宗派の系統図らしい。ノアの教団が後に分裂変化してセムという性格の教団、ハムという性格の教団、ヤペテという性格の教団ができた。云々。
大神様は経文や本を一切もたず、神様の声で直接説法したから完全に既成宗教から独立した教になっている。さらに当時の宗教界には”草”(世間道徳レベルを蘆とか草原で表現)しかなかったが、天照皇大神宮教が唯一”木”(神の正しい教え、認識)として存在している。つまり、この木に登れば天国に達せられる。神教が唯一の現代の本物の宗教で、世界の宗教をこれに一本化することを示した。

(3つめの意味)
天照皇大神宮教の教えは生きた教えである。生きた教えというのは日々の生活指導も含む。交際費というのは、見栄や体裁を取り繕うための虚飾を含んだ支出項目である。これをなくそうという側面もある。親戚づき合いは辞めよという教え。(特に昔は親戚づき合いに多額の出費をしていた)贈答をやめ、化粧をやめ、世間の結婚式をやめ、世間の葬式を辞める。これらの虚飾を含んだ支出をやめれば、家計を健全化する効果もある。心の虚飾を清めるには、生活の色々な側面での虚飾もやめる必要があるという教え。
(4つめの意味)
親戚の中には経済的破綻をしたり、発狂したり、犯罪者も出てくることがある。その人たちに深くコミットしすぎると、自分の家庭経済が崩壊する。そこで同志の家庭を守るために、兄弟姉妹であっても、子供であっても、「捨てきれ」と大神様は度々指導されている。