後のカラスが先に立つ

 天照皇大神宮教では「後のカラスが先に立つ」「この道では誰が兄弟子やら弟弟子やらわからない。」「はじめに入ったのが兄弟子やら、後に入ったのが弟弟子やらわからない」というように入教時期の古い・新しいで差別をしたり、階級をつけないように大神様は度々注意された。たしかに大神様の世界巡教をきっかけに入教した海外新同志には、魂レベルの大変高い人が多数いて、それに驚いた長く神行してきた古い国内同志は多い。
 これに先立つ3年前大神様は「今からおいでるお方は如何になるじゃろうと思いやるな。前世の行のできた人は、今来たと思うても直ぐ上って来る。前世の行ができたるお方なら、5年、10年、17年と行したお方よりゃ、まだまだ先に進んだお方が次々にやってくる。初めにゃ大根役者が出て来る。しまいにゃ千両役者が出て来る。千両役者や万両役者じゃやれないよ。立派な神役者になれるように心の掃除を怠るな。」と説かれた。

 しかしポイントは古い・新しいということではないかもしれない。「後のカラスが先に立つ」を解説した天声の記事に、マタイによる福音書20章との関連を指摘していた。詳しく調べると

 『マタイによる福音書』20章1~16

 天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。
 それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。そして、その人たちに言った、「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから」。そこで、彼らは出かけて行った。
 主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。
 五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、「なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか」。彼らが「だれもわたしたちを雇ってくれませんから」と答えたので、その人々に言った、「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい」。
 さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、「労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい」。
 そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。
 ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして言った、「この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました」。
 そこで彼はそのひとりに答えて言った、「友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか」。
 このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう。

 これをスウェーデンボルグ風に解釈すると次のように考えられる。

 1,主人とはイエス・キリスト(または大神様)であり、ぶどう園の労働者とはキリスト教を実行する人(または神教実行をする同志)である。
 宇宙の夜が明けてキリストにより、大神様により神の国、天国が作られた。この天国とはUSEの王国であり、誰かの役に立つ、何かに奉仕するなど他人や、神国の役に立つ者、神国のために実行することに喜びと幸福を感じる者(霊的な労働者)から構成されている。

 2、市場にいる人とは、霊的にはやり取りできる人、Give and Takeの人である。自己中心のひとはTakeしかできない。それよりは1段高いレベルの人を表す。自己中心(感覚的な人間:損得、欲望に感覚器が発達した動物的人間)の人には神の声はとどかない。

 3、数字の霊的な意味
  9=10−1 ここから聖書では9と1とは同じ意味になり、時間とは状態を意味する。9時とは1の状態の人。つまり自然的な人になる。世俗的な善人という意味。
  12時とは12の状態の人。真理の人、宗教をよく学習してキリスト教や神教を知的に理解している人、霊的な人という意味。
  3時とは3の状態の人、5時とは5の状態の人。これらは天的な人 神の赤子、子羊、大神様を魂でしたう人。5は赤子がさらに成長した神役者という意味

 人間の霊的成長は階段を上がるようなもので、自然的天使ー>霊的天使ー>天的天使と高まる。
 これを9時にさそい12時にさそい3時にさそうと表現している。
 大神様がハワイ交通事故で2000段上がり、世界巡教で5000段上がり、癰の試練で50段上がったと言われた。2000は2 霊的 真理の方面、5000は5 天的 愛の方面、50は5 天的 愛の方面 というのも暗示的である。
 神様は自分に近い段階の人により多く指導される。同じ指導でも段階の高い人ほど、その指導を深く多く聞く。これが5時にきた人から順に支払うという意味。
 9時に来た人、世俗の常識的な人は人の魂のレベルなど見れないし理解もできない。そこで時間的な新しい、古いということしか見ない。それが神様に「自分は神の国のためにやってきた。やってやった。」と不満をもらした。
 (注)天的、霊的、自然的という魂の段階の各人を良く示した仏教小説が『西遊記』だ。孫悟空とは空を悟ることができる天的な人。沙悟浄とは6魂清浄になれる霊的な人。猪八戒が自然的な凡人で、8戒を守ろうと努力している人。最後の結末まで読むとそれが明らかにされる。
(注)カラスの霊的意味 参照
umou.hatenablog.com