在家仏教の難点

在家仏教を実行するには
A.普通の職業に従事し経済的に自立する。
  仕事を通して社会に貢献する。これが布施の実行にもなる。
B.家庭を持つ。
  不邪淫により、異性問題を起こさず家庭の平和を保つ。
C.懺悔
  自分の過去と、日々の生活、行為、心に浮かんだ欲望などを点検して、反省を欠かさず、心の掃除をつづける。
D.帰依3宝
  1。仏(釈迦牟尼仏)に帰命する。
  2.仏法に帰命する。
  3.僧団に帰命する。
E.受戒5戒を実行する。
  1.不殺生戒の実行。
  2.盗みをしない。
  3.邪淫をしない。
  4.嘘をつかない。
  5.酒。煙草をしない。

F.在家仏教の最終目的は成仏することである。つまりA-Eを実行して魂を磨いて仏になることである。

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ここで難点を上げると、

C.の実例が乏しいことがあげられる。どのように、どのような事を、反省していくのかという手引きのような本がみあたらない。
仏教外では素晴らしい書がある。天照皇大神宮教の月刊刊行物である「天声」である。特に20年以前のものにはほとほと感動する記事で満ちている。ただ古書店などで販売はされていないので、商業的手段での入手は不可能である。教団の古い同志から贈られるのが唯一の方法である。(国会図書館蔵書。天声No209--No516 関西分室:天声725〜 生書1巻:田布施町図書館 天声504〜)

D-3 僧団が現在では存在しない。僧の格好をしたのはいるが、僧の戒律を守っていないため、僧ではない。在家仏教で指導を仰ぐべき人が現存していない。これが最大の難点だろう。

天照皇大神宮教は在家仏教と非常に似ており共通点が多い。
A,B,Cは同じ。現職と家庭を修業場所と心得、全力で尽くせとといている。教義のかなりは、現職に信仰(神行)を織り込むこと、家庭で神行を実践することに使われている。
天国に行く唯一の手段は自分の魂を掃除し続けていくこと、真人間になるを実行していくことであると強調した。生きているうちから天国ずまいができ、地上天国よそでない。とといている。

Fも神行とは神に行くこと。実行、実行で行きなさい。と全く瓜二つである。
D.は当然異なる。大神様への帰命、大神様の教(神教)の実行、天照皇大神宮教のお祈りになる。
ただ、大神様は自ら、自分は釈迦、キリストの再来であり、釈迦、キリストを導いた宇宙絶対神と、自分を導いている神とは同じと再三説いており、単に説くだけでなく、実行した事跡や、奇跡もそれを十分裏付けているように見える。しかもそのことに対する何百人もの証言者がおり、証言記録(天声)がある。そうなると、帰依仏と帰依大神様とは同じことかもしれない。
証言者の一人に渡辺留吉氏がいる。彼の人となりは彼が東京地検特捜部にいたころの国会証言

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/013/0106/01302270106010a.html
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/013/0106/01303040106011a.html

を見れば判るように、烈々たる正義の士である。彼は戦後の食料供出に関し、大神様を刑務所に入れた検事であるが、そのことを端緒にやがて天照皇大神宮教に惹かれ入教している。(天声47,48,94,126,171,701号)彼は東京地検特捜部の主任検事として昭和23年の昭和電工疑惑を懸命に調べた。敗戦後の日本復興にこの事件の捜査が決定的に重要な良い影響を与えたことが、(当時はわからなったが)今になってみるとわかる。「ウィロビー回想録:GHQ知られざる諜報戦」参照。神様の国救いの一環だったのだろう。

E2,3,4,5は天照皇大神宮教でも同じである。(修行が進んだ人に対してはこう指導した)
E1は絶対禁止ではない。虫など殺す必要のあるときは、次に生まれるときは、もっと有用なものに生まれろよとお祈りしてから殺せといわれている。
すべての生物には霊があり、あまりに沢山酷い殺し方をしていると、霊が付いてひどい病気になったりもする。お祈りをしなさいとも説いている。すべて実例(実在の実名)があり、病人、仕事、動物霊が現れお祈り、治る、というのが示されていることである。
面白いのは、人を殺すのがいけないのは誰でも知っていようが、堕胎は大人を殺すよりも更に罪が重いと説き、避妊すらも罪があると説いていることである。長年寝たきりの人の原因が堕胎にあることなどを示した。
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更に仏教では
G. 空の悟り。
人無我。自分には本来自分とこだわるべきものはない。法無我。すべての現象に自分というこだわるべきものはない。
天照皇大神宮教:馬鹿になれ。馬鹿になれ、阿呆馬鹿ではやれないが、無我の馬鹿になれさえすれば天の受信機がかかる。自我ではゆけない。と繰り返し説かれている。天の受信機がかかるとは三昧で空になると仏の感応があるのと全く同じ。スウェーデンボルグとも全く同じ。悪とは自己愛であり、所有欲であるとスウェーデンボルグは説いたが、邪神(悪)は自分の邪念、油断せず邪念を常に払え。と大神様は説いた。

H. 因果不昧。
因果律はすべての人に起こる。例外はない。仏ですらそうである。
天照皇大神宮教:生きていけば前世、現世の因果はでてくる。それを避けようとせず、飛び越えていけ。避けようとしても別の形で後からでてくる。「試練は)出てきた時に感謝で受けて乗り越えよと説き、大神様はそれを身を以って度々実践したし、後継者姫神様(北村清和氏)も実践して示した。
I. 不貪欲。
欲張るな。
天照皇大神宮教:六根清浄ということで同じことを説いている。
J. 諸行無常。あらゆる現象界のものは変化する。(天照皇大神宮教:あがり下がりが自由にできるようにしなさい。)
K. 涅槃寂静。天界では常に幸福が持続する。(天照皇大神宮教:毎日がうれしゅうて楽しい。死ねば閻魔を素通りで天国にいく。)
天照皇大神宮教でもこれらも全く同じである。