神歌の謎

・神歌の歌詞は次の通りである。

ああ美わしの神の国

世が乱れたるあかつきに

天なる神が天くだり

天が治めて天が取る

神のみ国ができました

 

その時天父にめとられて

天なる神の大聖業に

神の招集受けたる

わが身の幸をよろこんで

行じてゆけよ天国に

 

夜明けだ夜明けだ

神のみ国の世はあけた

早く心の目をさまし

人間いう名がついたなら

天に恥じない道をふめ

 

人生行路が神に行く

行の道中を忘れなよ

肉体もったそのままで

天国住まいができるよに

心の掃除をおこたるな

 

おのれの肚さえできたなら

たれでもやれる国救い

やっておくれよ神国のために

世界平和の来る日まで

ともにやろうよ国救い

 

名妙法連結経

名妙法連結経

名妙法連結経

・ここで不思議なのは毎日大勢の同志が歌うのはこの歌詞のままでは無いのである。

初めに

名妙法連結経

名妙法連結経

名妙法連結経

とお祈りの言葉を歌ってから歌詞にはいるのである。初めから歌詞に

名妙法連結経

名妙法連結経

名妙法連結経

をなぜ入れなかったのかが謎である。

・神歌は紀元13年12月初旬、小河清里夫妻が電報でご本部に呼ばれ、大神様から歌詞を渡され、これに曲をつけるよう依頼されたことに始まる。大神様がお歌いになられるこの歌の節を写譜して曲にするのが彼らの役目であった。これが完成して紀元14年から同志に披露された。

天声62号 本部道場余録

今年の元旦の式典は、神の国の弥栄を如実に物語り、神の国始まって以来の参加者の数でありました。道場内は言うに及ばず、神屋敷の生垣内外は立すいの余地も残さず、道路や沖の宿舎の前をも埋め尽くす有様でありました。紀元13年の伝道の成果を目のあたりに見せていただいたような気がして、嬉しさが込み上げてきたのでした。

しかしこの度同志に授かった「神歌」をはじめて正式に歌わせて頂いたのでした。何千の同志によって歌われる「神歌」は天地にこだまし、同志の肺腑にしみ、神の国総進軍の熱情をいやが上にも燃え上がらせていただいたのでした。

年頭のご説法をお聞きした私達は、大神様のご肉体を思い、何時までも大神様の足手まといになることなく、進んでは大神様のお仕事が少しでも軽くなられるよう、あらゆる面で積極的に行じさせていただき、この13年間ご指導いただいたすべてを生かして、み跡慕ってやらせていただかねばならぬと、自らの魂に言いきかしたのでした。

4時のお祈りをすませた同志は、そのまま田布施駅まで移動、駅前広場で再び「神歌」の大合唱をして田布施町の人々に神歌を公開、それに引続き無我の歌に無我の舞をくりひろげ、最後に神の国の弥栄を祝す万歳を3唱、大いに気勢をあげて、昨年に引続き、

神の国総進軍を一層やらせていただく肚ごしらえをしてそれぞれ家路についたり、再び本部に戻って来たのでした。

1月3日の晩より5日の夕方まで、第3回若人修練会が本部において開催されました。参加者448人の多数にのぼり、新築の集会場は超満員で入れない状態、5日のご奉仕日は、一般同志も加わり、総勢600を超え、2月8日の(石城山)植林日を目ざし、寒風の中を敢闘、12分の成果を上げたのでした。

この度同志に授かった神歌を聞き、ある音楽家の専門家が感歎していわく、「やはりこれが本当の自然の歌なのでしょう。どの点から見ても、この歌ははやる要素を持っています。」と言っておりました。何度歌わしていただいても、その度に新たな感銘を受けさしていただけます。やはり神様の作られた神歌だけあると感歎せざるを得ません。大神様には、本部でも支部でも、初めのお祈りの後、この神歌を歌えとご指示下さいました。又何時いかなる時でも歌って良いが、神歌で無我の舞はしないようにと仰せられます。

神歌を復唱しては、大神様の神教を肝にめいじ、子々孫々、末永く歌い伝えることによって、神教を後世に残さしていただきましょう。

今年は大神様の道場でのご説法をどうしても1日に2時間程度にしていただかねばと、道場当番は1月15日、本部で道場当番協議会を開催し、今年こそは立派に自分達の手で本部道場を守らせていただこうと、しっかり肚ごしらえさせていただきました。お参りされる各位のご協力を期待しております。

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天声57号 本部道場余録

8月12日の絶対神御降臨第13周年記念日は、案外涼しい日となり、絶好の祝日、大神様には殊の外ご機嫌うるわしく、この全人類の喜び祝うべき日を日本全国から集まり来たった同志は心から無我の歌、無我の舞でお祝いしたのでした。7月22日のご説法開始記念日には2つの死線を越えられた後のご衰弱をどことなく感じさせていただいた私共でありましたが、この祝日は、大体後肉体も回復せられて、生気に満ちた大神様を拝する出来た喜びはまた格別のものがありました。それにつけても思うことは、一日一日の大神様のご説法を一人でも多くの方にお聞かせしたいことであります。「時を逃しちゃ救われぬ」との神言を如実に感じさせていただく昨今であります。
去る8月9日、目色毛色の変わった新しい神役者が神の電波で引き寄せられました。ポール・バイドラーと呼ばれるペンシルベニア生まれのアメリカ人であります。同氏は建築技師として故郷においてある程度の成功をおさめられておられたのですが、そのような事を求める人生が無意味なことを悟り、10年前より宗教を求めだしたのであります。ところが自分の求めるものがアメリカには発見出来ないと考え、自国を去って中近東から極東へと国務省のアジア開発の建築関係の仕事をやりつつ道を求めてあちこち歩いておられ、現在ベトナムサイゴンに駐在中であります。2年前に初めて訪日してより、日本こそ世界的にも精神的水準の最も高い所と思い、なにかしら心引かれる思いで来日、その都度道を求めて歩き、今回が5回目とのこと、前回は昨年の秋、2週間京都の南禅寺坐禅修業をされたとか、しかし結局禅も第3者でしかあり得なかったとのことであります。
今回訪日されて、いよいよあと1週間で任地ベトナムへ帰られようとする時、東京地方支部の伊勢さんから神教を聞き、とるものもとりあえず田布施の本部に大神様を訪ねられたのであります。大神様に「神の電波で引き寄せられたのよ」と言われた彼は「実際ここまで引き寄せられたことは不思議です。東京出発まで忙しいプログラムが組まれているにもかかわらず、何かの力で引きずられるように田布施行きの汽車に乗せられました。汽車に乗ってしまうと何かうれしく、自分の選んだ道は正しかったと思ったのです」と語られるのでした。田布施での2日間は彼にとって感激の連続で、生まれて始めて知った真の宗教の喜びにひたられ神教こそ最も単純で、最も力強く、最も美しく、真理にみちみちた宗教で、これこそ世界を救い得るでしょうと、筆者に述べられました。大神様のあたたかいご指導に限りない感謝をささげ、再来を約して田布施を後にされました。「役者揃えて幕を開けた神芝居」との神言を再びこの目の前で見させていただき、いよいよ神念を深めさせていただいたのは私のみでなく、バイドラー氏の温容に接したすべての同志であったでしょう。

(注)本号の巻頭写真は大神様がタイを掴まれたお写真である。第一回若人修練会が開催され、最終日室積に海遊びされ、地引き網にかかった魚である。この時大神様は海の満潮を一時間止めるという大奇蹟を現わされた。

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天声54号 本部道場余録

4月27日は姫神様の丸8年のご誕生日でありました。その日の午後、本部道場でそのお祝いをさせていただきました。大神様には姫神様をおつれになってお出ましになり、巻頭の大神様のご説法があった後、無我の舞をしてお祝いさせていただきました。大神様には床の間の椅子を姫神様にお譲りになり、ご自分は足もたせの上に腰を下ろされて同志の無我の舞や、姫神様を眺められて、ご満悦のご様子でありました。同志といたしましてもご跡継であられる姫神様がここまでご成長なされたことを開け行く神の国のために心からおよろこび申し上げました。

 

すぐる4月中旬、筆者(中山公威)は西田布施小学校で姫神様のクラス担任を1年間やられた木村ひとみ先生を訪ねて、その間姫神様について感じられたことなどをお聞きしました。

「あのクラスは、クラス全体が稀に見る良いクラスでした」と前おきされて、姫神様について思い出を次のように話されました。

・何時も積極的で皆のお手本になられます。例えば工作の後教室がちらかると、私が何にも言わないうちに自分から箒をとって片づけ始める。そうすると他の生徒がついてやりだすというふうでした。

・お行儀のよいことは全校生徒の認めるところで、6年生もおよぶものがないと思います。

・努力されるお子さんだと思います。というのはあのお子さんは一般学業は優秀ですが、縄とびやマリつきは他の生徒より不得手だったのですが、休憩時間など一人で一生懸命練習せられ、結果上手になられました。

・物を大切にして何でもきちょうめんにされます。他の生徒がノートなど乱雑に使っているのを見られて「あんなことをするのはほんきらい。私はきちんとしていなければ気がすまない」といつも言われていました。

・大抵の子供は同じ注意を何度も繰り返さなければなりませんが北村さんに限って一度注意したら2語と繰り返されません。

・何をされてもゆきとどいた仕事をされます。それで、ついついいろんなことをお願いするようになります。ある日、給食の時間に北村さんにパンを配るのをお願いした時のことです。普通の子は形の悪いのや小さいのを嫌がるのですが、北村さんは一番小さく形の悪いのを自分のを取って置かれて、良い分を皆に配られました。この様子を見て大人の私が教えられました。

非常に気がお強いのか、一年中一度も泣かれたのを見たことがありません。しかし一度だけ北村さんの涙を見ました。それは今度私が転任したのでお別れの挨拶に2年の教室に伺ったのです。ご挨拶を終えて帰ろうとした時、北村さんの目にだけ涙が光っているのを発見しました。

最後に本当に楽しい一年を北村さんと共に過ごさせていただいて深く感謝しております。と感慨深げにお話を終えられました。

大神様ご在世中の天声

 

大神様の晩年のご日常に多く接する機会を得た同志の話によると、大神様は天声をよく読まれていた。このことから大神様が読まれた天声は特別重要で、それは創刊号から168号であると言われていた。確かにこれらの天声には、その前月の大神様のお写真があり、大神様がどのような活動をされていたかの記事が載っている。つまり天声の中に大神様が大きくご存在されているのである。これらの記事を読むことが、大神様に会ったこともない同志には重要であると思われる。

1例に本部道場余録という天声編集長の中山公威さんが書かれていたコーナーがある。神の国の歴史がよく分かるコーナーでもある。

天声48号(紀元12年12月号)本部道場余録

この頃の本部道場は本当によろこばしいことに、大神様に対して個人的お伺いする者がなくなりました。

大神様も「大部楽になった。この分だともとのような声がでるかも知れない」とおもらし下さいました。私共にとって喜びこれに勝るものはありません。

本誌にも記載してありますように、10月末から11月初めにかけて大神様には10日間み歯の治療に呉にお出かけになりました。米国滞在中よりお痛みの歯をご治療もされないで同志のためにご説法を続けて下さり、痛む歯に綿をつめては道場に出られる大神様だったのであります。これというのも私共同志の一人歩きが出来なかったために、ご治療をのばされたのではないかと思わさせていただく時、ただただ懺悔あるのみであります。この度、心おきなく呉にお出まし下さり、ご治療していただきましたことを喜ばせていただいております。

本部の状態も参って来られる同志一人一人の自覚により、大変引き締まったものになって参りました。この上もお互いが行じ、磨き合って、一人歩きの行をより進めさせていただいて、本部道場を、大神様にとって真のお休み場としていただけるまで行じさせていただきましょう。

今年もご本部の田は見事な実りを見せてくれました。何時も農繁期のご奉仕をめがけて遠近より集まって来る同士の方方の晴れやかな顔、喜々として機敏に真心から働かれる方々の美しい姿、これも神の国ならでは見られぬ情景のひとつであいます。

大神様が呉からお帰りの際、佐藤正忠という、まだ若いジャーナリストが大神様のお供をして本部を訪ねられ、三日間行じられて、9日の夜東京に帰って行かれました。同氏は月刊雑誌「若人」の記者もされ、他にも単行本も2,3冊発行されいる前途有為の青年文士であります。

日本青年をふるい立たせるものを探し求めて、日本国内を旅行し続けて最後に神教こそ、それだと感激され、3日3晩大神様のご懇切なるご指導を受け、この感激をそのまま書かせていただきますと、張り切って帰って行かれました。変わった形で神教が世に紹介される日も遠くありますまい。時に応じた神役者を神の電波で引き寄せられたものと嬉しく思わせていただきます。

全国の同志の方々が伝道に立ち上がられた結果、本年は農繁期になっても毎日新しい同志が後から後から参られております。一方、9月以降新しい支部結成やこ磨会発足の情報も次々入ってきて喜ばしい限りであります。

(注)佐藤正忠氏は雑誌『経済界』を創設し主幹として長く活躍したことで知られている。彼は辻政信中曽根康弘宇都宮徳馬氏などに神教を伝え彼らは当時20数時間かかる田布施まで来て大神様を訪ねた。彼は石原慎太郎氏とも交流があり、石原慎太郎氏が『巷の神々』を書いた時、天照皇大神宮教関係の情報は佐藤正忠氏が提供したものであった。これが一部不正確であったため、蓮田昇さんが大神様の許可を得て天声に手記を連載、それを石原慎太郎氏に送り訂正を求めた。

(注)著作権法では雑誌の発行年から50年以上経過したものは著作権がなくなり、国民が自由に引用したりして文化遺産を利用できることになっている。ただ日本が2018年12月TPPに加盟したことにより70年にのばされた。この加盟時点で著作権の切れていたものはそのままきれている。これを天声に当てはめると、ちょうど大神様ご在世中(紀元22年12月、1967年12月まで)に発行されたものは著作権が切れていて、図書館などで全コピーしてもらえることになる。

 

天声のご説法

天声には毎号、大神様のご説法が掲載されており、これがいちばん重要な記事であると思っている人が多い。最近の天声には実際のご説法がそのまま掲載されていて、非常に有り難く感じている同志もいる。ご説法を聞いて聞き取れなかった部分がよく分かるようになる事が多く、天声を読んでご説法がよく聞き取れるようになったと感じている同志も多いと思われる。

大神様ご在世中の天声(創刊号ー169号)には、ご説法を抄録して掲載されたものが多い。神言は毎日膨大に発せられていたから、こうなるのは当然と思われる。神様が皆に伝えたい重要な部分を選ばれていたと想像される。

大神様ご昇天直後の頃の天声172号ー185号に掲載されているご説法は、大神様を偲び、神言を思い出して読むようにという若神様の思いが色濃く出ていて、非常に重要で、熟読すると得られるものが多いだろう。

186号以降はご説法から、同志の行の指針になる部分を抜き出して掲載する方針で編集されるようになった。時代が下るほど省略される部分は少なくなっているようだ。

正確なことは分からないが、大体天声700号前後以降は、ご説法はそのまま全文掲載されるようになっているようである。

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顔が変わる宗教

大神様はご説法で「顔が変わる宗教でないとだめだ」とよく言われる。天照皇大神宮教では、顔が若返り、変わるから、そこまで行をしないとだめだ、と言われた。

普通に考えれば、心が明るくなれば、顔も明るくなる。心が苦難の淵から救われて、晴れ晴れすれば、顔も明るく若やいでくる。これは普通のことで、天照皇大神宮教に限ったことではない。何故大神様は「顔が変わる宗教でないとだめだ」と強調されたのだろうか。

大神様御在世当時、文字どおり、顔が変わった人が沢山いた。シワだらけのお爺さん、お婆さんが、ご本部で1週間も一生懸命お祈りしていると、だんだんシワが取れてきて、終いにはシワのないツルツルの顔に変わる。

顔面神経痛で醜く歪んだ顔の人が、一日一日治ってきて、終いには元の顔に戻る。

目鼻口が中央によって、変な顔だった若いお嫁さんが、段々目鼻口が離れてきて、見違えるほど美人になる。

斜視が治る。(市里、天声24号)

異常な黒さの顔が白くなる。

このようなことを目撃した多数の同志がいた。

また「お前の腹立てをやめないと、顔を歪ませてやる」とご指導された若い娘さんが、一年間、これを心において腹を立てないように注意して守っていたが、ある時つい腹を立ててしまった。その瞬間、口が歪んだ。そこで直ぐに大神様に懺悔のお祈りをすると歪みは取れた。彼女は以来、結婚後も何度も困難な状況に直面したが、終生腹を立てないようにように努力し、遂に腹を立てなくなった。大神様の人間直しの凄さを示す例であり、「7分因縁を切ってやるが、残り3分は自分が行じて切っていけ」と言われる意味がよく分かる事例でもある。

天照皇大神宮教には宇宙絶対神が宿られた大神様がいて、文字通り、神様が良しとされれば、顔が変わったのである。