サンマテオの詩

本書は「アメリカ新一世の生活手記」という副題がつき1991年刊行された。著者は篠崎フジエ。自費出版で、東京都立多摩図書館、世田谷区立図書館、鹿児島県立図書館、大阪府豊中市図書館、福岡県古賀市図書館、和歌山市立図書館などで蔵書されている。大変面白く参考になる本である。大正期の日本人移民の実態、アメリカでの仕事、生活、娯楽、日本人収容所、今の教育制度なども良く描かれている。これは父親安部逓二郎(天声360号)の2度にわたる渡米、夫・篠崎家の歴史、自分史などを軸として書かれている。大神様アメリカご巡教当時の日系人社会、アメリカ人の日本に対する感情などの時代背景もよく分かる本である。
著者は紀元16年の大神様アメリカ巡教で大神様のご説法を聞き、個人指導も受け入教している。その2年前に渡米したばかりであった。住み込み家政婦をしていたルース家の庭師・棟広製一氏に誘われ、パルアルトの棟広宅でのご説法に通った。(生書3巻P96ーp101)ルース家は富豪でありその地の有力者であったが、人間的にも立派な人で、かってヘンリー棟広がスクールボーイとして同家に住み込みで高校に通ったこともあった。この神教の縁で同志の久保田夫人(天声38号、226号)から篠崎ユージンという日系2世を紹介され結婚した。この辺りのことは天声196、198号にも篠崎フジエさんが書かれている。彼女の旧姓は安部であり、親戚もアメリカに何人もいた。本書は、文字数当たりの情報量が際立って多いという特色がある。著者が観察・分析能力に優れた頭脳明晰な美しい女性だったことが活き活きと伝わってくる。
夫妻は紀元20年の大神様世界ご巡教でも会われている。生書4巻P293:サンマテオでのご説法、個人指導の時、夫が「独立して自動車整備工場を始めたいのですが」と伺うと「自分が少し上手になったと思うと、もう人の下で働くのはばからしいと思うようになる。しかし人に雇われている間に一生懸命に働いて、雇い主に儲けさせてあげないといけないんですよ。そうすると、それが「人の徳」になって積まれて、今度自分が独立した時には商売が繁盛するのです。それをしないで、少し上手になったと思ってすぐ独立すれば、徳が積まれていないので、商売は失敗に終わる。今の職場で7年一生懸命頑張って徳を積むよう心がけなさい。」とご指導された。彼らは以後の大神様のご説法を聞くためご巡教を追いかけ、ロサンゼルスでハワイに帰られる所まで付いて行った。ご本部参りもしている。大神様のご指導を彼らは実行し成功した。
子供は3人いたが、幼児より日本語教育をし、長女イエレンが日本に留学していた紀元34年ユージンが脳溢血で急死した。(天声307号P58)フジエさんは事業を引き継ぎ、3人の子供を立派に育てた。同志としても立派に育て、子供たちは神の国の結婚をし、アメリカの支部で活躍している。ユージンの母親、恵美子さんも紀元32年頃入教している。(天声298号)。ユージンの二人の弟も入教し神の国の結婚をしていて、彼らの子供たちも熱心な同志である。日本からは藤井とし子さんが大神様のお世話で嫁入りしている。天声335号。アメリカの篠崎一族・安部一族から、有力な同志が多数でているが、その端緒はフジエさんの入教である。
父親に奇跡的な偶然が重なってアメリカに住み、強制的な偶然が重なって、フジエさんはアメリカに住み大神様に引き寄せられて行く。本書の興味深い点の一つである。何故サクラメントに神教が浸透したのか、何故サンマテオで有力な白人同志が生まれたのか、この背景も伺える書でもある。
(注)天声198号の篠崎スミエさんはフジエさんの別名と思われる。従兄弟の安部正芳さんに関係する本書での内容と天声235号P61,198号の内容は符合している。この235号にはユージンの弟フランクと後に結婚する坂田キャロリンさんの投稿もある。彼らの結婚式がハワイ道場での初回の結魂式であった。

身代わり

天照皇大神宮教の奇跡に、身代わりに関係するものが多数ある。因縁因果の一形態である。衣服を補修する時、予備の布を使って補修する。予備の布がない時は、ぼろの衣類をつぶして当てる。人間も同じ。という趣旨のご指導をたびたびされている。神様は個々の人間の因果を見られているだけでなく、全体として家族、社会、国も見られており、肉体的生命だけでなく、死後の霊的生命にも目を向けられている。我々の理解の及ばない領域である。
紀元14年4月21日のご説法(天声544号)に多くの事例が述べられている。この種のことは同志の体験として非常に数多く天声に書かれてきた。最近でも天声734号P12−p14、P87に見られる。
(例1)小林智恵子さんの夫は軍人で戦地で多くの罪を作っていた。紀元3年妹に連れられ道場に参り始め、10日目ぐらいに、道場で大泣きし、大神様に懺悔だと言われて、懺悔をすることができた。その後一家で入教し、先祖が熱心にやっていた神道の神棚を燃やした。大神様は「神棚には狐が3匹いる。よくお祈りして、風呂でなく、くどで焼け」とご指導された。
紀元6年12月ご本部にお参りし、帰り際、同行の伊ケ崎夫人に「今日は帰りに汽車から落ちて死ねいのう」と神言があり、伊ケ崎さんは「ありがとうございます」と答えられた。小林さんも自分かもしれないと思い、気をつけて帰途についた。光駅の手前で急に気分が悪くなり、デッキに出ていくと、「洗面所に入りなさい」という実母の声が聞こえたようだが乗車口に出てしまった。発車時にプラットホームの間に落ち10Mも列車に引きずられた。梅田病院に運ばれ、尻を12針縫い、同志宅に運ばれ、意識が戻った。小林さんは当時妊娠5カ月であった。ある方が大神様に報告にいかれ、大神様は夜のご説法前でしたが、「よし痛みだけは取ってやろう」とお祈りされた。「痛い、痛い」と言っていた小林さんはその時刻から言わなくなった。26日には大神様がお見舞いにこられ、体を揉まれた。その時、大神様の時計が故障した。「止まったのは、小林の身代わりいや」と胆の神は言われた。それから大神様は「子供が迷惑をかけた」と光駅長、梅田病院、駐在所にお礼回りをされた。その後戻られ、小林さんに「お前は汽車で死ぬ因縁だったが、尊い神教を頂いていればこそ、まだまだお前を生かして使わにゃならんからのう。それまで生かしておいたのいや」と仰せになった。「尻を12針も縫うたというが、大傷が顔にでもあったら恥ずかしゅうて歩かれんもせんが、見えん所につけてやったのよ。あすこは手術してわざわざ肉を取るぐらいの所じゃからよかろうが」と仰せられ、全身を優しくさすられ、「やってくれよ」と力強く励まされた。小林さんは早く回復して、神国のお役に立たせていただかねばと固く固くお誓いした。
小林さんの主人に「腹の子は家内の身代わりになるが10月10日したら生まれる。その子を良く見ておけよ」と仰せられた。紀元7年1月3日自宅に戻ったが、ダルマのように全身不自由で姑の世話になった。「米の磨ぎ汁を熱湯にし少しさまして傷口を洗うように」というご指導に従い、他の薬等を一切用いず全快した。食べこむばかりで大便が出ないのを心配して主人が同志を通じて大神様にお伺いすると「3日分の上茶に塩少々を入れて飲ませ、そしたら入ったものは出るいや」とご指導いただき、さっそく実行した。3日目最後の分を飲むと、神言どうり、1カ月目によくもまあこれだけの物がおなかにあったものだと吃驚する位出た。
此の事をご報告すると「動けん時に出すと取る方も取られる方もせんないから、かつがつ這うて出られるようになって出してやったのよ。」と仰せられた。神様は本当によいようにしてくださると感謝に浸った。「腹には子供が居ってあれだけ食べこんでも苦痛はなかったろうが」とも仰せられたが、その通りであった。
歩けるようになり全快してまもなく、紀元7年5月4日に無事出産。主人がご報告に上がろうと田布施駅下車すると、ちょうど第1回海外ご巡教でプラットホームに立たれておられた大神様がその電車にご乗車される所で、短い時間でしたがお礼を申し上げると「おお、おめでとう。だがの、出て来た子供は家内の身代わりになる。子供の顔をよく見ておけ」と2度までご指導された。
出産2日目から子供の顔は内出血で青黒くなり、目はウサギのように真っ赤に充血、腰の骨はガラガラ音を立てていた。本当に腰を打った小林さんのかっての姿そのままであった。この行の身代わりになった子供は8日の朝小林さんがお祈りをしたくなり、お祈りすると、天に叫ぶがごとく気持ちのいいお祈りが出て、子供を見ると、すっかり生まれた時のあのきれいな顔に戻って安らかに昇天していた。大神様が「よく見ておけ」といわれた通りであった。
半年後ご帰場された大神様にお礼を申し上げた。「おお、おめでとう。神の有難さがわかろうが。身体が全快しお産に差し支えないようになって安産ができた。これからもしっかりやりなさい。」と優しく神言をいただいた。この後一家は熱心に神教を行じた。(光支部史)
(例2)天声734号のご説法(紀元15年2月9日紀元節)に上げられた人のケースは、当時の天声に詳しい成り行きが書き残されている。天声73号(紀元14年12月25日発行)に高田和子夫人が書かれた。紀元9年大神様のお世話で結婚して半年しないうちに結核を発症。3年間寝たり起きたりの暗い日々を送っていた。紀元11年家族でご本部に参り、「遠いところを来たんじゃから、お前の結核もいじゃった」と神言を賜り、その日から嘘のように自覚症状が消えた。一見、健康にしてもらったが、行ができず再び病の淵に落ち心身とも苦しんだ。紀元14年3月30日4人の子供を連れて和子さんは夫(高田十五郎)と共にご本部に参った。夫は会社があり、間もなく帰宅。夫人は翌日から結核が重症化し40日間の肉体の試練をご本部で受けた。最初の20日間は生死を彷徨うほど酷かった。小3の子供は学校が始まり4月5日に一人で帰宅。2歳、3歳、4歳の幼児は次々と高熱を出した。大神様は手厚くご指導されて、この大試練を乗り越えさせられ、救われた。
天声77号(紀元15年4月25日発行)に後続の報告がある。紀元15年2月7日生後3カ月の幼児が急死した。前夜まで元気だったのに、急に亡くなった。これは神様のご予言だったことに気付いた。紀元14年4月14日ご試練中の時、「高田十五郎も親が死ぬより子が死んだほうがえかろうが。あれが(当時重病で発育の遅れていた3歳の長男)あのままで、7つまで生きたら、わしの首をやるいや。本当は寿命のない子よ。」「腹の子が死んであれ(長男)が生まれかわりゃ、別じゃがのう」この時和子さんは自分が妊娠していることに初めて気付いた(3か月)。妊娠8カ月の紀元14年8月6日には「腹の子はふとらんけえ。それだけはわしは言うちょく。腹の子は忘れいよ。お前の身代わりよ。よろこべや。神のなさるがまま。神様に任せておけいや」赤子は母親と長男の身代わりとなり、物も言えなかった虚弱だった長男は堰を切ったように物を言い始め元気そのものになった。
(注)因縁‥因果の振り替わりは非常に多くの例があり、パターンも様々である。
(A)重病の家族が何人もいて、その中の一人が病死。他の家族は奇跡的に治り、健康になる。
(B)瀕死の病人が奇跡的に回復し、それまで健康だった他の家族が急死。この家では誰かを(今のタイミングで)葬式に出さないといけない因縁と言われた。
家族以外が身代わりになったケースもある。瀕死の重病人が参拝してきて、宿舎(同志宅:藤本)に向かう道で死亡。その宿舎の主(藤本)が葬儀を出した。これにより藤本の父の死線が超えられた。
(C)(お産などで)死ぬ因縁の人を助ける為、家族何人に様々な事故・病気が起こり、その苦難の総計でもって死ぬ因縁を振り替えさせて助ける。命を亡くすかわりに、火事・盗難などで財産を亡くす。このような振替もある。大難を小難、小難を無難ですますと良く言われる。この因果の振替が見えると、苦難・試練に感謝が湧く。神様が活かして使おうとされる慈悲がわかれば、人間の本分・神に仕える、神と肚を合わす(人格の完成、成仏)神行の道に励むようになる。
(例3)大館かつよさん(女性)は働き過ぎて体を壊し不調であった。紀元5年娘が入教。自分も本部参りをして大神様に救われた。紀元8年ご奉仕をしての帰り、バイク事故にあい気絶。そこに同志が通リかかりご本部に運ばれた。大神様はご説法中であったが若神様の奥様がご奉仕帰りに事故にあわれたと取り次がれると、大神様は卵の白身で傷を拭われ砂をとられる処置をされ、道場にいた人と共に祈られた。加害者も道場に付いて来ていて「慰謝料はいくらだしましょうか」と言われた。大神様は大館さんが生活に困っているかを聞かれ、「どうにかやっています」と答えると「あねい言いよるから慰謝料はいらん。あんたもこの教えはどんなもんか時々は参ってみなさい。今日はもう帰っていいよ」と仰せられると大変喜んで帰っていった。
翌朝ご挨拶をすると「あんたはのう、死線が出ておるじゃが、いっぺんに大きな怪我をしたら死んでしまおうがや。要る者は生かして使うんで。神が試練を3つに分けて出すんじゃけえ、こっちでもお祈りしておくが、帰ってからも一生懸命お祈りして行じていきんさい。また何が出るやらわからん」と言われた。駅につくと事故の加害者が待っていて謝罪し、果物かごを渡そうとした。固く断ると、「実は怪我をさせたのはあなたで3人目です。気持ちですので受け取ってください」と渡された。
翌月大神様にご心配をお掛けしたおわびと、駅での出来事を申し上げると私が怪我をする因縁であった、慰謝料を断り、相手を許したことに大きな意味があると仰せられた。(天声487号)この事故と許しで3回分の試練をくぐり抜けられ、それ以後元気で過ごすことができた。事故の加害者が、自分の対応しだいで、自分の死線を振り替えてくれる「因縁の恩人」になるという、興味深い事例である。「何事も感謝でうける」という教えは、実は一番賢い生き方であるのがわかる。自分が恨まないことで、自分が(知らずに)恨まれていた他人からの恨みが晴れる。前世から持ち越された恨みの因縁が切れる。まさに、「恨みは恨まざることによって晴れる」。後に大館さんの娘(浜村)は神の国洋裁学校の教師になった。
(例4)Gさんは戦争未亡人で幼い子2人を抱えて行き詰まっていた。大神様はHとの再婚を勧めた。Hは結核末期であり、両人とも再婚をためらい4ヶ月すぎた。ご本部で若神様と合うと再婚話のことを聞かれ、大神様が今から結婚式をしてやると言われ直ちに結婚した。Hはご本部の奉仕をしているうちに、病気は良くなった。しかし2年後安らかに死んだ。大神様はGに「お前は33で死ぬる運命だったのよ。主人は寿命はあるが、肉体が蜂の巣のようになってもうだめだったから、寿命の引き継ぎをしてやったんで。寿命の引き継ぎをするのは神よりほかにはないんで」と種明かしされた。(天声379)
(例5)杉木さん(女性)は同志の家庭で育ったが、結婚は恋愛であった。神教から離れてすぐ病気になり入院。悪性のガンで非常な苦しみを味わった。反省懺悔がわき大神様のみ心にそう人間になりたいと念じた時、急に症状は好転・退院できた。その頃、その支部の人が「大神様が少し前に昇天した老婦人を呼ばれ、倒れている若い女性と老婦人の内臓を入れ替えられる夢を見た」と話した。(天声429号)
参照 
umou.hatenablog.com

素麺の味

暑くなるとソーメン。ソーメンと言えば揖保乃糸兵庫県揖保郡の名産品である。この地方播州からも神教の有力な同志が多数生まれた。この地に神の種を蒔いたのは赤松円成(後に円城)という真宗の僧侶である。彼は敗戦直後の日本をどう立てなおそうかと悩み抜いていた愛国者の熱血漢であった。昭和21年九州・耶馬溪に母の法事に行く途中、列車の中で叫んでいた大神様を見かけ、この方こそ本物と感激。九州から大神様に手紙を出し、参拝の許可をもらい、帰途田布施で下車。大神様のご指導を受けた。弟子にして欲しいと頼むも、断られた。神教は職業を持ち自活し、神行する原則であるからという理由であった。彼は真宗の坊主として、それを職業として、神行して、神教を真心持ちに伝道していくように、というご指導であった。彼は何十年もそれを実行したようだ。2日間田布施にいて帰宅。大神様に礼状を出している。
名妙法連結経、名妙法連結経
ああ、ありがたやありがたや、神の恵みの尊さよ。神の力の偉大さよ。
敗戦以来日に夜に、とうとうと自業自得の火の中に、因果を知らざる大転倒、真っ逆さまに落ちて行く、哀れな姿を胸に懐き、いかで救うすべもなく、己の力のか弱さに、ただただ称名念仏して、悩み続けしこの我に、時か恵みか尊さよ。母上逝きて一年の、法要せんがそのために、九州行きの汽車の中、大地にとどろく大音声、名妙法連結経、名妙法連結経。この天音は我が胸の苦悩の闇を打ち破り、光の国はここにあり、救いの道はここにあり、来いよ来いよと響きけり。我はすべてを投げ捨てて、この大御声のままに、ひかれて参る田布施駅。同志の方のお出迎え、勿体なやと合正し、大神様のお膝下、参れば尊し八百万、あまた集える神々の、真心こめてこの我を、喜び迎え給いたる、祈りの会座の尊さよ。昔日向の高千穂の、安の河原に神々が、大神様のみ光を仰ぎて舞える御神楽を、今眼前に拝みさせていただくことのありがたさ。我は我城にとどまりて、このみ光をみ恵みを、心の底に受けもせず、無我の神楽も舞わずして、我慢我慢に足も手も、こわばることの恥ずかしさ。
大神様はあわれみて、我の予定の今一日、のばして神の膝下にとどまるべしと宣えり。仰せのままにお受けして、神教こうむるその一日、大神様の御憐み、万の神の真心は、さすがに曲がりくねりたる、我城をいたく打ち破り、懺悔感謝にとめどなく、流るる涙もろともに、自然に出て来る神の舞、ただ尊さよありがたさ。久遠刧来この世まで、動かぬ手足腰立ちて、御光拝み舞い回る、心の中の嬉しさよ。ああ、この我はこのままに、神の舞をば舞い続け、大神様の仰せつる、蛆の世界をかき回し、蛆の乞食の目をさまし、神のみ国にはせ参じ、神のみ国の建設に、舞うて喜ぶ新神を、一人も多くみ国へ送り込むこそ我がつとめ。日夜妙法唱えつつ、六魂清浄つとめぬき、蛆の世界の乞食らを、神のみ国へ送ります。憐れみ給え大神様、導き給え万神、名妙法連結経、名妙法連結経
大神様は第2回東京巡教の帰り姫路で下車(昭和22年1月24日)、赤松氏の案内で彼の寺、常念寺で4日間ご説法。その後、赤松氏の案内でかれの熱心な信者坂口宅に移動しご説法、神の種を播かれた。4日後(昭和22年1月31日)に田布施に帰られた。その後播州の太子町、斑鳩など聖徳太子ゆかりの地を中心に神の種が育った。昭和39年2月に赤松氏は大神様を訪ね、大神様は彼を手厚くもてなした。
(注)キリスト教の牧師にも同じようなケースがある。有名なのがデンマークの牧師、ハリー・トムセン氏である。彼の伝道によりインドネシアに神教が飛び火したようだ。彼らは大神様を見て、神の降臨・キリストの再来というのが良くわかり感激した。
(注)埼玉地方に神の種をまいたのは白山神社の神主夫妻(馬場)であった。夫人は大神様が紀元元年(昭和21年)3月6日に東京にお見えになる1週間前、「太陽が東から出て、天地がひっくり返る」という夢を見た。若神様も見られた夢である。6日には急に倒れ震いが止まらなくなった。友人がきて「天地の神は殺しゃあせん。この試練を越えたら天命が下り、大業を果たさせる」と言われた。大神様がご説法されていた慈雲堂の看護婦に知り合いがいて、「馬場さんは救われる。28日にくる」と言われ、手紙で知らせてくれた。夫妻は28日に参り大神様が宇宙絶対神の化身と悟り入教した。「お前は神主じゃが、当分は続けてゆけよ。神様がええようにしてやるけい」というご指導であった。神主をしながら近隣の町に神教の伝道を一生懸命していた。神社のお守り札を貰いに来る人にも、今はお札のいらない時代になった、と言い、神教を説いた。当然地元から反発が出て、社務所から追い出されそうになった。夢で大神様に「叩き出されても絶対出てはならぬぞ。出たらお前らに罰を当てるが、出なかったら追い出し運動する者に罰を当てる」言われた。紀元3年5月無我の歌で「8月に入ると伝染病が出て神教にたてつくものはバタバタ倒れる」と歌いだした。8月1日から赤痢が流行りだし6日には一日で15人も死者がでた。皆は恐れて反対者はいなくなった。順調に神の国は開けていったが、紀元7年神のふるいがかかり、中心メンバーだけが残った。紀元12年8月本部に参った馬場さんに大神様が「9月に埼玉に行ってやろう」と言われた。このころ夫妻は大神様の許しを得て社務所を出、川島町の自宅に戻っている。大神様は9月に埼玉にご巡教になり同志も増えて神教の基盤が確立した。

神行の真髄

20年昔に日本の者に「神行というのは、自分の心の掃除してから、人に迷惑かけんようにして、正しい祈りをしていきゃ、それで行かれる。」と言うたって行きも候もええせん。今年世界を巡ったが、それだけ言うちゃるの。
行じよ言うたら、何を行じるか、教えられた神教を自分に神行・神に行く、こうして行きゃええ。宗教というのは人に迷惑かけんと、自分の心の掃除して、正しい祈りをしていきゃ、神行神に皆行かれるん。それだけで、そうかそうかそうかと肚に入った神様が、生きた宗教というんじゃけえ、みな教えてくれる。
(紀元20年7月18日世界ご巡教ご帰国、神田共立講堂での公開説法からの抜粋)
1、人に迷惑をかけない。
2、自分の心を掃除する。
3、正しい祈りをする。
この3つだけでいいと聞くと、何か簡単そうに思われる。しかし良く見ると、仏教の真髄「戒・定・慧」とほとんど同じであることに気付く。
戒の項目のすべては、人に迷惑をかけない、ことに関係するものばかりだ。(殺人しない。泥棒しない。浮気しない。嘘をつかない。酒・タバコ・麻薬に溺れない。悪口を言わない。卑猥なことを言わない。3つ口を言わない。腹立てしない。欲張りに貪らない。等)
定はつまるところ、正しい神に正しい祈りをするに尽きる。参照:
2013−03−01 現代の禅とは天照皇大神宮教のお祈りをすること
http://d.hatena.ne.jp/Newshirogarasu/20130301/
慧は、心の慧光を持って因果を見て煩悩を祓う、つまり自分の心を掃除し、煩悩に支配されないように自分を直すことである。
(注)生きた宗教とは、宗教を実生活に実践していることで、自分の宗教に基づく良心を働かせて生きる事を言う。肚に神様が入って教えてくれるとも言う。死に物宗教と対比する。死に物宗教とは、経典研究、文献記憶に精を出し、学位、地位を得る手段として宗教を扱う人、金儲けの手段として宗教を行う人、因習から漠然と拝む人々のことで、自分を改善し、成仏を目指す宗教の根本義を全く実践しようとしないことを指す。

見えない幸運

非常な幸運の裏には神様の力が働いていることが多い。この一例が関門海峡トンネル・水没事故で列車が助かった件である。
1953年(紀元8年)の梅雨は大雨続きであった。6月28日日曜日も雨が降り続いており、関門トンネルに備え付けられた排水ポンプは稼働を続けて、トンネルに侵入する雨水を排出し続けていた。11時頃、戸ノ上山の山麓でがけ崩れが発生し、門司駅北側の大川を堰止めた。これによって溢れた水が門司駅構内に流れ込み、門司駅から関門トンネル坑口へと流れ込み始めた。11時頃に巡回中の門司保線区員がこれを発見して通報した。上り線は門司駅からの発車を見合わせた。
続いて、下関側に連絡して下り列車の抑止を行おうとしたが、約800名の乗客を乗せた岩国発佐世保行下り第327列車は10時57分に既に発車した後であった。関門トンネルを抜けてきた第327列車の機関士は、門司方の出口で防水壁の切り欠きからの落水に気づき、また公安職員の停止の指示を受けて、11時8分頃、トンネル出口の約70メートル手前で列車を停車させた。保線区員が土嚢を積んで切り欠きを塞ごうと試みたが、思うように塞ぐことができず落水は止まらなかった。仮に落水の中をそのまま通り抜けた場合、車両故障が発生し、トンネル内からの脱出が不可能になる恐れがあった。電話で指令室の指示を仰いだところ、トンネル自体の浸水を懸念したことから強行突破の指示が出され、11時17分頃に脱出を開始した。列車が停止した場所から落水場所までは数十メートル程度しかなく、また急な上り勾配の途中で列車の引き出しは容易ではなかったこともあり、機関士はいったんトンネル内に列車を退行させた。EF10形電気機関車は車両の前後に合計2台のパンタグラフを搭載しており、このうち前部のパンタグラフを下げて、後部のパンタグラフのみから集電した状態で列車を再発進させると、勢いを付けてトンネルから出てきて、落水箇所の直前で後部のパンタグラフも下げて落水箇所を惰性で通過し、通過直後に前部のパンタグラフを上げて門司駅へ向かい、11時24分頃に無事に到着した。
この直後の11時30分頃、防水壁の上を越えて水が滝のようにトンネル内に流れ込み、排水ポンプが水没、故障し、あっという間にトンネルは水没した。
神教で伝わる記事は次のようである。(天声11号P33)
この列車に九州の同志Aが一人乗っており、トンネル内で緊急停止した時、名妙法連結経のお祈りをした。この時道場で大神様がお祈りを初められ、皆にも祈れと指示された。同志が乗っていたから、あの列車を救ったと言われた。Aさんは当時下関で働いており八幡の両親に用事ができて、この列車に乗った。関門トンネルに入りまもなく列車は急停止。真っ暗なトンネル内で赤ん坊が火の付いたように泣き出し、何とも言いようのない不吉な予感がした。お祈りだ、と名妙法連結経を祈り始めた。車掌の話では、「危険信号により急停車した。門司駅前は大人の首まで増水しており、門司から先は不通。門司側のトンネル出口に今猛烈な勢いで泥水が流れてきた。今でると危険なので小降りになるまで待つ。」とのことでいよいよ不安になった。すると突然汽笛が鳴り列車が動き始めた。そしてトンネル内に水がどんどん流れ込み、60cmも浸水している中を水しぶきを上げながら突進し、やっと門司駅に到着した。機関士の機転で助かった。大神様が機関士の頭をひねられたお陰であるとAさんは思った。いずれにせよ、大神様が助けてやるといわれたら助かるのである。

大神様とは

紀元5年(昭和25年)に発行された小冊子「神教」に大神様という一節がある。

大神様は山口県熊毛郡田布施町、北村サヨという一農家の主婦にて、五〇年に亘り真人間としての行をせられ、又あらゆる苦行、心の行の末、天照皇大神宮の一人娘として娶られ、その神天降られてその肉体に宿り給い、神の独り子、神そのもの、予言せられしこの世の末を救い給う神の御使にておわします。

大神様は常に無我にて神と共に在リ、神のなさるが儘となり、神のなされざることはすべてなし給わず、神のなし給うことは悉くなし給う。

その神教神言は神そのものにして、神の恩寵と真理に満ち、同時に神教を実行するに必要なる力をも人々に與え給う。神言は人々の体内に宿り、各々の肉体が神の御堂となり、人々をして神の国へ転生せしめ、神の子となし給う。

罪汚により喪失せる神の恩寵を、新に我等に注ぎ給う神の仲介者、神人合一の御方である。故に神の御能力は総て具え給う。即ち

○過去現在未来に亘り知られざることなく、万物を透視する霊眼、神眼を具えらる。

○人々を指導せられるに当り、その心の奥底を洞見し、過去の因縁を切り、未来の運命を見抜いて適切に指導する神力を有せらる。

○人々の因縁を切り、宇宙の悪霊、生霊を救い霊界の掃除をなされる神力を有せらる、従って難病を癒し給う神力を有せらる。

所謂万物を救う神力を具えていられるのである。

奇跡の証言

大神様は普通の人間でなく神様であられたが、それを示すために数多くの奇跡を現された。それを現実に体験した人は、それをきっかけにして真剣に大神様についていく肚を作った例が多い。ある同志は次のように話した。
私共はこの神教に入らせていただき色々と奇跡を見せていただき、また体験さしていただきました。もしも世俗の世界におりましたならば、もはや今生きてはいなかったでしょうし、現在のように楽しい人生を味わさしていただくことは出来なかったでしょう。数々の体験のうち1つを話します。
紀元6年9月、当時妊娠していた私は、7ヶ月で早期破水しました。その上胎児は横位で、破水4日目に手だけ先に出て後がどうしても出ません。苦しみは言語に絶し、家族一同これが最後と思い、ひたすらお祈りと反省懺悔を続け、父はご本部の大神様の許に急いだのでした。父が家を出発して2時間くらいして、医学的には、赤子をバラバラに切断しないかぎり出ないとされているのに、すんなり出てくれました。赤子は死産でしたが、母体は産後も大丈夫で、大きな試練をのりこえさせていただいたのでした。本部で父は大神様に申し上げると「もう大方出ておるいや。安心して今日のご慰安日をすまして帰れ」と言われたのでした。後日お参りした私は「あれだけ奇跡を見せてやった上は、今度こそ、実行実行でいけ」と仰せくださいました。こうしたことにより、神行心の少ない主人も神教に救われたのでした。色々あの手、この手でお導き下さる大いなるお慈悲に深く感謝申し上げます。
牛のお産で似た例は他にもある。紀元4年9月26日、日積村で公開討論会が大神様・共産党社会党の代表者を迎えて行われた。それに先立ち神様は面白い前宣伝をされた。7月早朝某同志の牛がやかましく鳴き、見ると尻から提灯のような物が出ていた。博労を呼んでも、20年牛を見てきたが、こんなものは見たことがないと言われた。ご本部に行き大神様にお伺いすると、「おお、あれは3日したら楽に子が生まれるいや」と言われた。翌日片足の先だけがのぞいた。隣近所の人は「これは逆子で、もう死んでいる。早く獣医に出してもらわないと親牛まで死んでしまう」と言った。3日目も変わらず片足が出ているだけで、牛が心配になり、神様を信じる肚を崩し、隣村の獣医を迎えにいこうと自転車で飛び出した。ところが途中の坂にかかると何故か自転車が上がらない。そこで自転車を降りて一生懸命お祈りをすると、頭がスッキリしたので、また乗ると自転車は逆方向を向いていた。これは獣医に行くなという神心だと気づき結局自宅に戻り、家族と隣の同志に来てもらい、牛小屋でお祈りを始めた。大勢の人が集まって成り行きを見ていた。牛は寝そべり草を食べながら、するすると自然出産した。子牛は死産であったが、親牛は大丈夫であった。お祈りの力を人々に示された事件であった。
人は科学常識を超えて考えられないと、霊界とその主である神を認識することはできない。結核患者から結核菌が分離でき、それを培養すると増殖する。結核菌は生き物である証拠である。それを人に接種すると結核を発症する。つまり結核とは結核菌感染により引き起こされた病気である。これが典型的な科学常識であり、医学者であった義人氏(若神様)の復員直後の考えであった。大神様は多くの奇跡を見せられ、科学・医学で絶対不可能な現象が現実にあることを示され、結核も不成仏の霊が憑いて引き起こされ、その霊を成仏させれば治ることを見せられた。九大卒の臨床内科医、同志佐藤豊士(自身も結核になり、大神様により結核から救われた体験を持つ)は「結核菌は毒素を産生してマクロファージなどの白血球を殺し、病気が発現する。霊を成仏させると、結核菌が毒素を出さなくなり、自分の免疫系により治癒する」と書いている。病気(結核など)は霊界に原因があり、その原因の結果として現実世界で病気がそれに相当する理由(結核菌感染など)により発現する。
最近の脳科学の主要トピックの一つは記憶である。記憶で面白いのが、カタリナ・エンメリックの事例である。彼女は19世紀の初めにキリストにまつわる生々しい時空を超えた目撃証言を行ないそれが本になった。その中にキリストの処刑直前の話がある。ヨハネによる福音書 19.26−27イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われた。それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。
この結果ヨハネがマリアを自分の母として引取り、トルコのエフェソに移り住んだ。エンメリックはこの住居に至る風景と場所を書いており、後年フランスの司祭が書かれた場所を調査して住居の遺跡を発見した。今は有名な観光スポットになっていて私も行ったことがある。
神教の同志にも同じような体験をしている人が何人もいる。入教前、ある人は何日も鮮明な一連の夢を見続け、その夢のとうりの風景の場所があり、それに導かれて法華経のお寺を建てている。入教前に大神様の住居付近の風景やご家族を霊力で見た人は何人もいた。
この科学常識を否定することなく、科学常識を包含して越えるには次元概念が重要であろう。4次元世界のルールともっと高次の次元の世界のルールとの関係であろう。