神行の真髄

20年昔に日本の者に「神行というのは、自分の心の掃除してから、人に迷惑かけんようにして、正しい祈りをしていきゃ、それで行かれる。」と言うたって行きも候もええせん。今年世界を巡ったが、それだけ言うちゃるの。
行じよ言うたら、何を行じるか、教えられた神教を自分に神行・神に行く、こうして行きゃええ。宗教というのは人に迷惑かけんと、自分の心の掃除して、正しい祈りをしていきゃ、神行神に皆行かれるん。それだけで、そうかそうかそうかと肚に入った神様が、生きた宗教というんじゃけえ、みな教えてくれる。
(紀元20年7月18日世界ご巡教ご帰国、神田共立講堂での公開説法からの抜粋)
1、人に迷惑をかけない。
2、自分の心を掃除する。
3、正しい祈りをする。
この3つだけでいいと聞くと、何か簡単そうに思われる。しかし良く見ると、仏教の真髄「戒・定・慧」とほとんど同じであることに気付く。
戒の項目のすべては、人に迷惑をかけない、ことに関係するものばかりだ。(殺人しない。泥棒しない。浮気しない。嘘をつかない。酒・タバコ・麻薬に溺れない。悪口を言わない。卑猥なことを言わない。3つ口を言わない。腹立てしない。欲張りに貪らない。等)
定はつまるところ、正しい神に正しい祈りをするに尽きる。参照:
2013−03−01 現代の禅とは天照皇大神宮教のお祈りをすること
http://d.hatena.ne.jp/Newshirogarasu/20130301/
慧は、心の慧光を持って因果を見て煩悩を祓う、つまり自分の心を掃除し、煩悩に支配されないように自分を直すことである。
(注)生きた宗教とは、宗教を実生活に実践していることで、自分の宗教に基づく良心を働かせて生きる事を言う。肚に神様が入って教えてくれるとも言う。死に物宗教と対比する。死に物宗教とは、経典研究、文献記憶に精を出し、学位、地位を得る手段として宗教を扱う人、金儲けの手段として宗教を行う人、因習から漠然と拝む人々のことで、自分を改善し、成仏を目指す宗教の根本義を全く実践しようとしないことを指す。