室積の謎

山口県光市の隣に室積があり、大神様が大奇跡を現された地の一つでもある。室積に象鼻ヶ岬があり、その先端に大師堂がある。これは空海が唐から帰国する途中、この地で7日7晩籠ってお祈りしたという言い伝えから作られたようだ。象鼻ヶ岬の海岸にゴロゴロしている石を持ち帰ると腹痛するという伝承があり、地元の人は守っている。象鼻ヶ岬の山は峨嵋山という名がつけられているが、峨眉山は中国の3大仏教聖地の一つで普賢菩薩の地であるとされている。室積の祭りは普賢祭である。普賢菩薩は象に乗る。象鼻ヶ岬という地形と地名が象徴的である。
室積普賢寺成立の伝承では法華経の行者・性空上人が夢の啓示に導かれ、生きた普賢を見るために室積の地にきて、女性を見たとされている。普賢とは勝鬘夫人であり、インドの王族であるため象に乗っている。
参照 2014-12-05 勝鬘経(しょうまんきょう)
https://umou.hatenablog.com/entries/2014/12/05

この仏の数字は200万 つまり 2 である。
法華経を読むとわかるが、この仏は法華経の守護神である。
私は大神様と普賢の関係に強く惹かれる。奇跡の例はこれまでにも一部紹介してきた。:
2012-06-07 正しい宗教の基準(曽野綾子)
https://umou.hatenablog.com/entries/2012/06/07

2012-11-04 牛も聞く
https://umou.hatenablog.com/entries/2012/11/04

2014-11-17 奇跡の一端
https://umou.hatenablog.com/entries/2014/11/17

室積での奇跡は室積支部史に詳細に記録されている。
①紀元3年6月6日室積支部道場で午後1時半から夕方5時まで大神様は説法された。この時支部道場の家人(前田覚治)が庭にあった古い梅の木を指し「これは石梅でございます」と申し上げると「うん。そうか」と一言大神は仰せられただけであった。ところが翌年からこの梅の木に見事な餅梅がなるようになった。
②紀元4年6月18日夕、同志24名をお供に大神様は室積公民館主催の宗教立会講演会にお見えになった。当日室積小学校講堂の会場に行かれる途中、ある同志宅(大西清子)にお立ち寄られ「水を一杯くれ」と仰せられ洗面器で使われた後「もう一杯くれ」と言われ「少し塩がさしておりますが」と申しながらコップでさし上げると「何が塩がさしちょるか」とおおせられて、お飲みになられた。それ以来その井戸の水は全く塩分がささなくなった。
③講演会が始まり大神様の神歌説法が響き渡り唱和する名妙法連結経の声が会場にあふれた。その時無知な若者がやじった。「出て行け」と大神様が一喝され、おとなしく出ればよかったのに、「出るいや」と大声を出し、わざと下駄で床を蹴りつつ出て行く4人の若い男に「一週間以内につち殺してやるから覚えておけ」とお怒りになった。それ以後2000人の聴衆は真剣にご説法を聞き入った。
この2日後デラ台風http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report/1949/19490618/19490618.html がきた。「夜中に肚が祈れちゅうから、縁に立って祈っていたが、1時間半ぐらいして、`よし風が変わったからこれでよい`と肚が言うた」と仰せられた。その翌日室積で船が沈み漁師が死に、同志も海に出ていたとお聞きになられた大神様は「同志は絶対殺しゃせん」と仰せられた。その夜漁をしていた1隻の船に先日の小学校でご説法の妨害をした数名の若者が乗っており風が出たので急いで港に引き返す途中転覆、全員死亡した。その日1人の同志の乗った船も沖に出ていて港に引き返したが波が高くて上陸できず、荒れ狂う海上で過ごしたが不思議に不安を感じなかった。翌朝無事帰宅。これより前この同志は「たとい船がひっくり返っても、す板1枚あったら絶対に死なしゃせんからのう」と神言いただいていた。
④紀元13年7月26日第1回若人修練会に参加した若人を労らわれるため象鼻ヶ岬に海遊びに連れてみえることになった。前日地元の同志がお参りし「明日は雨が降ってもおいでいただきますように」と申し上げると大神様はお喜びになり「明日は天気にしてやる」と仰せられた。天気予報は台風接近(1958年台風13号)で26日は雨。しかし地元同志は大神様を信じて受け入れ準備を行った。その作業終了が夕方6時頃であったが、その頃から風が強まり雨も降りだした。夜番の同志は徹夜で松の幹に身を寄せ番をしたが不思議に寒くなく眠くもならず疲労もしなかった。大神様が夜中にも何回となくお祈りくださったおかげであろう。
翌朝7時頃風雨はひどく土砂降りであった。予約していた漁船を借りに行くと「これだけの雨が振るのに、今日はだめ」「大神様は天気にしてやると仰せになったから絶対天気になる」「わしは何十年も漁師をしてきて戸仲の測候所と言われ天気が当たらんじゃったことはない。いくら神様というても今日はだめ」と断るのを無理に漁船を借りた。
大神様は8時半ご本部を車で出発された。その頃から室積の風雨も見る間に上がった。9時に大神様が到着。青空で風はないでいた。真夏なのに前夜の大雨で涼しくなり埃も立たない未舗装の道路を走られてこられた。午前中は同志一同海水浴で大神様、ご家族様も漁船に乗られた。大神様、ご家族様の乗られた船は漁師が漕いでも進まなかった。「神の船は重たかろう。手を貸してやろうと」若神様が笑われ、手を貸されると、それ以後、船は軽く進みだした。
午後は西の浜で地引き網の予定であった。大神様は午後1時漁船に乗られ鼓ヶ浦を回って網引の場に来られ、2時半から網を揚げられる予定であった。漁師はこの時間に合わせて網を海にいっぱい張って待っていた。大神様の出発直前数名の新聞記者が来てインタビューが行われた。インタビューは1時間続いた。このため網上げが1時間遅れた。西の浜では満潮で北に向かい潮が流れ、網は流されてしまう筈が流れなかった。6合目まで満ちていた潮が、大神様ご到着まで1時間完全に潮の流れが止まった。漁師たちは大いに驚き怪しんだ。大神様に申し上げると笑われ「宇宙絶対神じゃから、それくらいのことはあるいや」とこともなげに言われた。(当日の干潮11:22 満潮 18:15 月齢9.4 下関測候所)
⑤大神様とご家族様の船、お供の同志の船は午後3時半に到着。その時船から浜に大神様はフワーと鳥のように飛んで降り立たれた。漁師たちは畏れた。(神足という神通力を現された。)大神様はしばし浜でお祈りをされ、その後同志と漁師が地引き網を揚げた。アイバチ(アイゴ:鰭の棘に毒をもち刺されるとひどく痛むが、美味、高級魚)や昼間はかからない大きいチヌ(クロダイ)が入り大漁。アイバチは刺すので手を出さぬように漁師は注意したが、大神様はアイバチの網に手を入れ大きなチヌをつかまれ高々と挙げられ記念写真を取られた。
貨物自動車に乗られお戻りになる途中、「室積の漁師におれが魚をいっぱい取ったが、それ以上の魚を室積の海に入れちょいちゃるけえ心配するな言うちょけや」と仰せられた。同乗の同志が「大神様今日の網は2網で網代3000円のところ神様じゃから1000円にまけちゃげますと漁師が言いましたそうです」と申し上げると、すぐに「そうか、今頃2000円くらいの金は何ちゅうことはないが、その真心だけは、わしがとっちゃろう。漁師に言うちょけ。「1週間が間に大漁を2回させちゃる」ちゅうて」と仰せられた。
するとその漁師はその晩から7日間毎夜大漁が続いた。27日夜はアイバチが30箱(390KG)約10万円、2日後にワカナ(ブリの若魚)が約10万円。7日目にはコノシロが1100KG以上取れ数十枚のムシロに山盛り。2,3人がかりで3km離れた魚問屋に4つの大かごに入れて大八車で運ぶのに夜明けまでかかった。10数万円の水揚げ。(当時アイバチは一晩に普通10匹、多くて20匹くらいしかかからず、3000−4000円ぐらいの水揚げであった)この漁師は当時借金苦で困っていたが、大神様のお陰で救っていただいたと、長年大神様のお写真を祀っていた。
(注)紀元6年10月20日頃大神様御一行は光税務署を訪問、その後虹ヶ浜で昼食をされた。その時イワシ漁をしていた漁師からイワシを買われようとしたが、漁師はお金を取らず、昼食時にはお茶を差し上げた。大神様は「お礼に一週間以内に大漁にしてやる」と言われ一週間後、驚く程の大漁になった。(天声115号P57、光支部史P33:お供三吉郁江)
(注)大神様の最後の室積ご訪問は紀元22年8月26日の海遊びである。この時にも奇跡は起こった。(天声165号P38.)そして「こうしちゃ神様であることを(皆に)知らせるのよ。」と言われた。
(注)第1回若人修練会(紀元13年7月23日−26日)天声57号、537号などに記録がある。各種修練会の最初の修練会であった。参加人数約200名。熱意が高まり第2回若人修練会が紀元13年8月22−26日に約250名の参加で行われた。
(注)在家仏教に関係する日本の聖人(聖徳太子日蓮、慈雲、河口慧海)いずれも普賢に関係する経典(法華経勝鬘経、普賢行願経)に特に縁があった。神教は在家仏教の究極の完成した姿という面も持っている。聖徳太子「命日2月22日)以外はすべて出家であって、家庭と職業を持たずに自身は出家僧として、在家信者に人間道のみを在家仏教として説いた。子育てをどうする、夫にどう仕える、姑との関係をどうする、など微にいり、細にいり具体的に説けた人は皆無であった。神様(大神様)が現れ、百姓の女房として、姑、子供・孫を含めた家庭を持ち、完全な人間道と神に行く神行を実践、これを模範として道標として、跡を人間がついて神になれる道を作られた。参照2012-05-27: 在家仏教の難点
https://umou.hatenablog.com/entries/2012/05/27

6波羅蜜多−1

在家仏教の上級編では6波羅蜜多行が修業の指針である。これを成就して菩薩(在家の仏)になるとされる。6波羅蜜多行とは布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧 の各行を言う。
①布施行
財施の例:大神様は神様になられる前、貧家の子供に学費を出してやり、教育を受けさせた。これは4人いるそうだ。お金がなくて嫁入り支度ができない娘にお金を負担して嫁入り支度をさせた。これは3人いる。この一人が貞子さんである。嫁入り支度までしてやった人が、後に婚家先が破産しかけている時には500円(今の500万円)も援助したりした。葬儀費用を負担してやり墓まで建ててあげた人も何人もある。自分が作る野菜を出荷した売上はすべて預金しておき、神社や寺、村の行事の時に寄付した。国防献金も村一番。市場では仲買人の権利も持っており、豊作で暴落した野菜があると、それをわざわざ通常価格ですべて買い上げ、その野菜は非農家に無料で配るなどすることに金を使った。バザーなどでも自宅の米や味噌など多く提供し、調理も行った。多くの人びとに、食料、お菓子、などをあげていた。しかし無判断にあげていたのではない。怠け者や放蕩者には援助しないで、働けと言われた。大神様は自分の善行を人に言わずに、隠れてしていたが、神様になられた後、人間道を教えるために、自らのご足迹を説法で話された。
大神様になられた後も、大勢の人に援助している。直接お金や米をもらった人は多数いるし、潰れかけた店を援助(金融支援)してもらった人も多数いる。(例:昭和26年倒産寸前で未払金や未納税金を某商店に130万円立替ている。当時から賃金で見ると現在は40倍、物価指数では7倍である。賃金現在価値で5千万円、物価で見れば1千万円である。この借入は後年、店が再建され返済された。)天声に多くの人が大神様にしていただいた援助の体験を書いている。対象が同志に限定されていないのも特筆される。肚の神様が指示されるとうりにされた。人の生きる道をつけてやるのが神様と言われた。人は各自、陰徳があれば、知らない所で神様に助けられ、守られているわけだが、大神様は機が熟した時に神様が助けるということを具体的に示された。自宅や不動産はすべて教団に寄付もされている。
法施の例:大神様は46時中、会う人毎に神教を説かれた。これは昇天されるまで絶えることはなかった。ご説法はどんな大変な時にも欠かさず行われた。肋骨7本骨折の自動車事故に遭われた夜も通常どうり1時間のご説法をされたし、ご昇天前、絶食が60日ちかくなり、座ることさえ困難の状況でも昼・夜1時間のご説法はされた。ご説法をされていない時間でも一挙手一動はすべてその場にいる人への教えであった。
一般同志では伝道が法施の典型例である。
無畏施の例:社会奉仕やご奉仕、座席を譲るなど、利他の行為である。
布施の最上は自分の与えた物・金・行為に執着を持たず、自分が与えた相手に執着をもたず、自分が布施した記憶にも執着しない。これを3無の布施と言う。大道場が出来た時、大神様が、皆は自分がこれだけ醵金した、ここをご奉仕したというようなことはすべて忘れてくれ。そうでないと天に積んだ徳を崩すから。とご注意されたのはこの意味である。伝道でもあの人は私が伝道したとこだわったり誇ったりしていては布施の功徳は減ってしまう。お金や物を寄付したり、人にあげる時でも、見栄・付き合いでして、内心嫌々でしたのは布施にならない。あげた後で後悔し、心で盗み返していると大神様はいわれたように、功徳にもならない。
一方で大神様は特別良く尽くしてくれた人に対し真心のお礼をされている。大道場建設で内装チーク材加工・内装ブロック作成などを長期間指導的立場で無料奉仕でしてきた大工Sさんに道場完成時、最初に一人で寝よ、と仰せられた。詰所(宿泊施設)完成時にもSさんに「最初に一人で寝よ」と命じられた。
現代で最も重要な布施行は、自分の職業を誠心誠意実行することであると、河口慧海は説いている。現職奉公であり、職場に神の国を作ることである。一流の腕を磨き私心なく実行することで社会に貢献し、社会を良くし浄化する。大神様も良く説かれている。
仏教では布施の功徳が強調される。現世では財産運が良くなり、いろいろ幸運が多くなり、幸福な人生が歩める。死後も天国に生まれ、来生では金持ちの子に生まれる。自分の財産に対する執着が薄れることで、魂が清められる。欲しい・惜しいの世界を離れられる。すると感謝が湧くようになる。大神様も「神はただ使いはせぬ」と言われた。醵金や伝道に金を使うと、(健康になって)病気治療費が無くなる。と指導されたこともある。自分がお陰を求めて布施をするとお陰は逃げるが、求めないとお陰は大きい。
(注)大神様は「求める者には与えない。求めない者に与える」と説き、イエス・キリストは「求めよ。さらば与えられん」と説いた。これらの文には主語・目的語がない。これを補うと相互に矛盾がないことが分かる。(神は対価を)求める者には(お陰を)与えない。求めない者にはいらないと言っても与える。(真理を神に)求めよ。さらば与えられん。(生きる道を、天国を神に)求めよ。さらば(自己心中に天国を)与えん。天国は外に求める物ではなく、自らの心の中にある。キリストの「求めよ。さらば与えられん」を大神様は「四方八方36方塞がっていても、神行、神に行く道だけは開かれている。」と説かれた。徳を積み,祈り、神言(教義・戒律)で自己反省をすると、神に近づく。すると天国住まいが実感される。天国住まいは心の持ちようであるため、名誉財産地位などとは無関係である。
(例)終戦直後外地から引き揚げてきたお婆さん(A)が、知人(B)に「天国住まいをさせていただいています」と手紙で書いた。Bさんは同じ外地でAさんと親しくしていて、引揚げ時全財産を没収されて、その日暮らしの最低生活の日々であった。不思議に思い訪ねると、Aさんは40才ぐらいの娘との2人暮らし。娘の夫は病死、Aの息子は戦死していて、娘は日雇い人夫で極貧の生活。ぼろ家に家財道具は殆ど無く、お茶碗2つという生活であった。Aさんは、何でも有り難いと言っての感謝住まいで神教を説いた。Aさんが初めに大神様にお会いした時、大神様は「皆、これの顔を見てみい。こんな真心持ちはいない。即身成仏だ」と言われた。大神様は「魂を磨くのが人間の本分。肉体があるから4分食べ、6分は精神で生きる」と言われた。仏教の本来の僧侶は私有財産を一切持たない。私有が許されたのは、托鉢を受ける鉢、3枚の衣、のみであった。一切の執着を断つ修行のため、各地を旅して回る僧を雲水(雲と水を友とする)と言ったが、その生活の厳しさは想像を絶する。西行法師の歌の背後にはこの生き方が感じられる。

太陽神

天照とは太陽であり、天照大神は太陽神である。大神様には皇大神天照大神が天降られ、生きた天照皇大神として太平洋戦争敗戦ジャストのタイミング・ポツダム宣言受諾の内定日、昭和20年8月12日午前0時に出現された。釈尊の成道日に相当する。天照大神は、日本神話に登場する神で、天岩戸の神隠れで有名であり、太陽神である。この出現は、国救いのためであり、これにより戦後の日本の繁栄と平和がもたらされた。戦後の冷戦での核戦争も防がれた。広くは人類生存の道を教えられた。しかし最後の審判(世界核大戦争)は迫りつつあると一貫して23年間のご説法期間中常に警告され続けている。
この太陽神であることを人々に示した逸話がある。
昭和20年10月1日田布施の八尋石八幡宮にお参りしていた人が、朝日が昇るのを見ていて、今まで見たこともないほど太陽が美しく輝いているのにきづいた。見ているうちに太陽が2つに割れて、その中から神の舟が出てきた。大神様が船頭で数人の天人が乗っている。境内の掃除にきていた国民学校の生徒達(小学生)に見えるかというと、見えるという。参詣人の人々も群がり、皆が見えると不思議がった。そのうち普通の太陽に戻った。参詣人の一人は天声に、舟は上下に2艘で、上の舟は進んでいき、下の舟は下の方の黒雲に飲まれたのを見たと書いている。(天声18号P36)別の人は一艘だけを見たと書いている。大神様に申しあげると、「そんな不思議ぐらいは、これからいくらでも起こるぞ。このような者(大神様)を神様が造りやったんじゃからのう。神の出舟が今あるぞということを、神様が皆に知らせるために見せたのじゃ」と言われた。後年のご説法では2艘出たのが本当と言われた。
霊界にも太陽があり、主(宇宙絶対神)であることを詳しくスウェーデンボルグは書いている。主の降臨により、地上と天界の相応が一致してしまったことも示しているようだ。
(注)後年、大神様が太陽から出る舟を見せてやる、と言われた人もいる。ある日、Aさんは小川で水行をして旧道場に帰る途中、突然7色の虹の霧が降ってきた。次々変わる色を見て兄弟妹4人は異口同音に叫びながら旧道場宿舎にたどり着くと、横の竹藪の上に、周囲を燃える炎に取り巻かれた太陽、太陽コロナを肉眼で見た。道場で大神様に申し上げると「神眼で見せてやった。お前たちにそれを見せるために汽車に乗り遅れさせたのいや。明朝太陽に向かってお祈りしてみよ。太陽から神のみ舟が出るのが見えるよ。」翌朝柿の木の前で兄弟そろってお祈りしたが、ついに神の舟は見えなかった。舟を見ることに気をとられて、お祈りが自我の祈りになってしまったためだと、後後になって気付かされた。
(注)映画「大神様」(曽根崎監督)では太陽が昇るシーンで始まり、太陽が沈むシーンで終わる。太陽を大神様の象徴として表現しようという意図である。太陽が昇るシーンを撮影するため高知県室戸岬で特撮した(天声195号)。また同志のお祈りを観られる大神様の輝くお顔が大写しされて、肚に神様が入られた神人とはどのようなお顔であったかが記録されている。
(注)太陽の中に大神様を見たハワイ同志がいた。(天声215号P38)
入教前に海から昇る真っ赤な太陽の夢を一週間見続けた同志もいる。(天声516号)

神が手を切る

神教の同志だった人が神教から離れると、神が手を切った、という。この人間と神様の関係はキリスト教の聖書に明快に書かれている。
ヨハネによる福音書 15章1-5節
1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
2 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
3 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。
4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
1.ブドウの木とはイエス・キリストであり、大神様である。農夫とはエホバであり天照大神である。肚の神である。
2.実を結ぶとは善果・善行・徳の行為、6魂清浄の魂である。神教実行する人は果を結ぶ。究極は成仏であり神人合一の天使になることである。
3.大神様のご説法を聞くと魂は清められる。人によっては、7分因縁が切られ運命も変えられている。全部の因縁を切られず残りを自分の行として残される理由は、自分の努力で因縁(悪癖)を克服しないとその人間の魂は清められないためである。スウェーデンボルグは「人間は外なる人の悪を自分自身の力で除くように除かねばならず、この方法によってのみ、神はその人の内なる人の中にある悪を除き去ることができる」と書いている。外なる人の悪を自分自身の力で除くのが「心の掃除」。内なる人の中にある悪を除き去るとは「魂を磨く」ことである。心の掃除を人間がすれば神様が魂を磨いてくれる。自分自身の力とは「肚を作って神教を実行すること」である。
4.5.人間は自分の自我では決して、神の国に行けない。自我では本当の善行はできない。名妙法連結経のお祈りでないと救われない。人間は神様につながっていないと真人間になれない。神の啓示が聞けない。畑でハマグリを掘っても得られない。
旧約聖書 詩編 1編1-6節 にも表現こそ違え同じことがでている。
1 いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず
2 主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。
3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
4 神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
5 神に逆らう者は裁きに堪えず/罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
6 神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。
これらは霊界での純粋な表現であることに注意する必要がある。大神様も良く実相界から説くといわれている。

痛いところ

人間だれしも「痛いところ」を持っている。この真実は本人しかわからない。例えばAさんは沢庵漬けが食事メニューにあると露骨に怒る。Bさんはご飯にサツマイモが混ぜられていると食べない。これは食品アレルギーではなく、心的アレルギーなのだ。Aさんは少年時代丁稚奉公の時のつらい経験・その時の沢庵だけの食事を思い起こすことで腹を立てる。Bさんは終戦直後の酷い食糧難時代、芋やツルを代用食として食べさせられた嫌な思い出のため、混ぜご飯が大嫌いなのだ。
このような心的アレルギーは、普通に付き合っている人に、形こそ違え潜んでいる。他人には想像もできないだろう。神教には磨きの会というものがあり、各自が自由に発言できる。各自がそれを聞き、自分も反省して悪癖を直すきっかけにする大切な場である。ここで、誰か(X)が気づかずに、誰か(Y)の痛いところを突いてしまうということが起こる。Yは内心大変怒る。XはなぜYがこんなに感情的になったかは理解できないし、出席していた他の人も理解不能だろう。しかしYは深く傷ついてしまう。
Yは自分の弱点に気付くチャンスをもらえたとも言えるわけで、この機会をくれたXに感謝し、痛いところを指摘されると怒り易い自分を直す努力をすべきだ。これが神教。神教の凄い所は、ひとつの悪癖に気付くと、次々と自分がこれまで気づかずにきた潜在する悪癖を気付かしてもらえることだ。ある人は毎朝妙なストーリーの夢を見続ける。反省するとそれは自分の「痛いところ」の弱点に過剰反応してしまう夢ばかりだ。これで自分の悪癖・弱点が次々と自覚できるようになる。
Xも自分の言葉に注意し、状況を良く考えて発言しないといけないと反省すべきだが、これは困難だろう。それは腹を立てているYが正直にその時にはすべてを言えないためである。そこでXに生霊が来たり、業の種が知らずに積もる。言葉というのは恐ろしい。大神様は特に推定で話すことを次のように注意されたことがある。
「人に話す時は自信のある事を言い、責任のあることを言ったりせんにゃいけん。2つの耳があって、2つの目があって、1つの口があるが、2つの耳でよう聞いて、2つの目でよう確かめて、口は1つしかないんだから、半分ほど言えば言い過ごしはないもんよ。」
一方心の痛みを経験することは人生で重要だ。他人の痛みに気づけ、本当の優しさと許しが出来るようになるからである。例えば幼少の時父親が急死したりして母子家庭で経済的な辛酸をなめて育った子供が、神教の下で成長すれば、ひねくれず、歪まず、懐の深い親切な人物になるだろう。順調な世間的には恵まれて育った人には、思いもよらない気配りができるようになる。又、自分の家業の倒産のような大きな挫折を味わい、それを克服できた人は、人を見る目が、前とは違うだろう。人生が順風満帆で進んでいるのは、本当に幸運なのか、不運なのかはわからない。自分が真に理解できるのは、深く経験したことのある事柄・分野・立場に限られる。甘いだけの料理は不味い。甘さ・辛さ・酸っぱさ・苦さ・しょっぱいなどが程よくミックスしてこそ美味しい料理ができる。これと人生は同じだろう。老いてからの経済的試練などは乗り越えられない。そこで若い時に「繰り上げて」苦労することがよいと大神様は言われ、そのように運命を変えられたようにみえる同志もいた。
(注)アメリカの大企業に、社員が上司を毎年一回、匿名評価する制度を持っていたユニークな会社があった。これは社長の経験により作られた制度である。彼が大学生の時、太平洋戦争が起こり徴兵された。軍では上官が絶対権力を持っており、彼の上官は悪名高い人物だった。彼は理不尽にいじめ抜かれて、次は大激戦地に送られる運命にあった。何人もの新兵がこのコースで虐められた後、送られて戦死していた。彼に幸運が起こり直前に救い出された。この経験により、組織と人との洞察が深くなり、会社経営者になった時、上層部の幹部社員や管理職の横暴・パワーハラスメントを防ぐ仕組みを持つことが、健全な会社経営に必要と感じ制度を工夫した。上の人間に良い忠実な顔を見せ、下には酷くあたる人物は多い。ある意味役に立つ人物ではあるが、任せすぎると弊害が起こる。この辺の調節にも役立つ制度だったようだ。社長の若い時の痛い経験が大きく生きた例であろう。
変化の激しい現代では経営者が会社の状況を時事認識し対策を打てないとすぐにおかしくなる。ハイテク製品程商品サイクルは早く、流行衣料品と似て、3ヶ月、半年ぐらいしか商品寿命が無いものも多い。会社がおかしくなる時、現場の人間が最初に気づく。しかし上に行くほど悪い生の報告は薄められ握りつぶされていく。大企業だと社長に届くまでのライン管理階層は5−7ぐらいにもなる。各自の保身の為に悪い報告は自粛していく。「雨漏りは下にいるほど良く分かる」とは言い得て妙である。このため会社再建の名人は良く現場の人間からの直接の聞き取りを行う。組織における人心の機微で秀逸なのが韓非子であろう。また株価も敏感であるらしい。有名なのがアメリカのロケット事故の直後、その原因が全く不明なのに、某メーカーの株価が下がった。何ヶ月もの事故原因調査の結果判明したのは、そのメーカーの関与した部分に問題があったことである。

千年の古狐

天声を読んでいると、大神様の直接のご指導として、「狐が15匹憑いちょる」「狸がついちょった」とか、同志がお祈りしていると狐が飛び出した、夢で見たとかいう体験が多く出てくる。ご説法にもあれには千年の古狐が憑いていたとかいう表現もある。たいていは悪霊の一種ではある筈だが、善霊の狐もあるようだ。哲学院(加藤泰山)で、終戦前、副院長だった霊能で有名な同志(君国陽陰)に、お前には伊勢神宮で神の使いをしていた銀狐が憑いていると大神様はいわれた。何で「狐」なのだろうか?狐という動物が修業して霊能力を強化することなどありうるのだろうか?呪文学習にはげむなどありうることなのか、と私はかねてより疑問に思ってきた。しかし大神様に間違いは絶対ない。
一つのヒントは古代中国に同じ表現があることだ。そこでは狐・狸でなく狐・イタチというようだ。封神演義Wikiにも紂王の后「妲己」が千年の古狐に憑かれた美女であったとされている。古代中国の絶対的な女神は「女・(女偏に渦)」」と呼ばれていたようだ。中国では長らく道教が盛んであったが、道教の公開経典は老子の道徳経しかない。(道蔵経、丹経というのもあるようだが日本ではあまり知られていない。)内容は抜群だが非常に文字数の少ない本で5000文字ぐらいだろう。それなのに何故道教がかくも中国で盛んに伝承されてきたのだろうと疑問に思っていた。どうも道教の本質は秘密修行法であるらしい。そこでは師は弟子を2,3人しか取らず、(自分の眼鏡にかなう人物だけを弟子にする)最高秘密法の伝授は一人にしかしない、という伝統らしい。多くの隠れた隠者・聖人がいて世に出ること無く続いて来たというらしい。老子の教は「世に出るな・自分の才能や光を外に漏らすな。馬鹿のふりをしろ」ということだから、当然こうなる。彼らがその地方の悪霊済度を多少でもすることで平和があったのかもしれない。ブラバッキー(神智学会創設者)の著書にもその一端が出てくる。河口慧海チベット旅行記にも、白巖窟の聖人(仏教の秘密修行者)が出てきて慧海が眼鏡にかない秘密法の伝授を受けたことが書かれている。空海も唐の西安で恵果から密教の最高秘密法の伝授を受けている。日本の神道も同じような性格なのかもしれない。
仏教も道教も秘密修行となると大差ないようだ。このような秘密修行の聖人(典型はミラレッパ)は多数いるようで、仏教では「独覚」と呼ばれている。独覚の紹介はhttp://www.bukkyouoshie.com/budda/dokkaku.htmlに出ている。
大神様の世界御巡教では「神の臨在」を魂の水準の高い人々に示され、それだけで同志になった人々がいた。彼らに神智学会関係者が多数いたようだが、彼らは「独覚」系の勉強や啓示を受けていた人々のようだ。
このような人々の書の中にも狐・狸(イタチ)などが何故強力な霊体に育つかが書かれている。
日本で考えると、ある人が金持ちになりたいと渇望していて日々祈っているとする。その心に、偶然少しの霊力を得た狐が近づき、望みを叶えてやるように手助けする。彼は大金持ちの事業家として成功し、家にも会社にも狐像の廟を作り拝むようになる。彼の成功を見て大勢の欲深い人々が、あやかろうと熱心にそこに祈りにくるようになる。狐像にいる狐の霊体は人々のどす黒い欲念を日々吸収しつづけて、段々強力になる。
ある日、心の悪い修験者が、その像に「自分も世間で成功したい、有名になりたい、」と祈ると狐の霊は乗り移る。その修験者は人間であるから修行ができ、呪文なども覚えられるため、彼を使って狐は「修業」できてしまう。彼は悪の霊能者になる。魂は狐に食い尽くされ捨てられる。このことが繰り返されて、千年の古狐という強力な悪霊が出来る。このように説明している人もいる。
教訓:お祈りする場所と対象は素性正しい神・仏でないといけない。正しいお祈りでないといけない。自己中心の欲念が野放しになっていないか日々反省懺悔し6魂清浄を目指す。人間の道を踏んでいるかと常に心を緩めない。これが大事。この人間道を守るという一点が正教と邪教を分ける。
大神様はこの頃は神社や寺は(霊的には)狐の巣になっていると言われたが、その通りであるようだ。紀元元年(昭和21年)本部にきた女性に300年の狐がついていたが、あの狐は娘が女学校の修学旅行中に京都の清水寺で弁当に玉子焼きがあったので付いてきた。と大神様は言われた。清水寺地主神社)には恨み杉という霊の本場スポットがある。
(注)神様の神力と悪霊の霊力はもちろん比較にもならない程神力が大きい。しかし凡人には悪霊の力も十分強力で、そのことが良く分からない人も多い。そのため神通競争がされたことがあるようだ。
旧約聖書出エジプト記7.1ー14.29
釈迦一代記(河口慧海):神通競争 p150−168
天照皇大神宮教でも所々に痕跡の記述はある。興味のある人は天声を調べれば多く発見できるだろう。名妙法連結経のお祈りの強力さが良く分かる。
(注)神智学会の主唱者はブラバッキーで協力者はオルコット大佐である。オルコットは明治22年に日本にきて講演しており、当時日本にいたフェノロサやドイツ人医師ベルツとも会っていた。ベルツの日記(明治22年3月7日)にその記録がある。これは博学で有名な(最近閉鎖された)ブログに紹介されていた。オルコットは指に3個のダイヤのついた大きな金の指輪をつけていたが、その由来を彼は語った。「オルコットの眼前で、ブラバッキーがバラの花から金の指輪を作り、オルコットの妹の掌に握らせ、その上からある動作をして、手を開くと3個のダイヤがついていた」と。ベルツはオルコットが立派な紳士なのに、このような事を熱く語ったのにあきれたようだ。しかしこれはブラバッキーの霊力の一端の記録なのだろう。
ブラバッキーの亡くなった後の神智学会の指導者はアニー・ベサントとダンマパーラーである。ダンマパーラーは仏教復興の聖人として有名で、日本にも来て各地で講演している。河口慧海チベット潜入時には仏舎利の入った銀の小塔をダライ・ラマに届けて欲しいと託している。河口慧海がインドに戻った時、神智学会は「チベット旅行記」を英訳出版している。「Three Years in Tibet 」。ダンマパーラーはスリランカ(セイロン)独立の父としても崇拝されている。ナイジェリアで大神様に導かれたグループの中心の一人はエサンであるが、彼はそれまで、アニー・ベサントの霊の指導を長くうけてきていたと書いている。(天声206号P85)
ブラバッキーの解説で秀逸なのがルドルフ・シュタイナーの著作集である。(霊的宇宙論など)大神様がハワイ巡教中、ハワイ島の噴火中の火山の流れる溶岩を見て「溶岩の上で火の霊が波乗りして遊んでいる。彼らは天狗のように鼻が高く、魂は人間より清い」(大神様海外ご巡教第1巻P153)と言われたが、シュタイナーの著作を読むと初めて理解できた。
神智学会は仏教、キリスト教イスラム教、ヒンズー教などの特定の宗教を信じてはいても凝り固まっていない、しかし宇宙の真理、人間の謎、神様、霊界などに興味を持つ人の集まりである。このため大神様世界ご巡教で、カルカッタ(インド)、トリエステ(イタリア)、モンテビデオウルグアイ)、マイアミなどのように現地の神智学協会で説法されたケースもある。またシンガポールのように後年、神智学会内部で神教が受け継がれていたケースもある。

神中心

人間中心の行じゃない。神中心の行をせよ。と度々大神様は教えられた。これを理解するのにキリスト教の隣人愛の定義が役立つ。人間が神を愛する。これが一番重要な愛である。人間Aが神様を愛する。すると神様もAを愛する。人間Bが神様を愛する。すると神様もBを愛する。ここで人間Aと人間Bの間に神様を経由しての愛が生まれる。これが隣人愛であり同志愛である。この関係は人間中心でない。神中心である。人間の好き嫌いなどの自我からくる愛ではない。なお善人は意識しなくても神様を愛して(信じて)いる。
姫神様の修練会でのお話。
大神様は「和をもって立ち上がる神の国じゃけえ、神中心に共に優しく導き合うて、仲良しこよしで行じてゆけ」と神言くださっています。それには人間中心の行ではなく、神中心に肚を合わせていくところに、人と人との和ができるのだと神教くださいます。世界平和・地上神の国建設という一つの目的に向かって、家族も支部同志も神様中心に仲良しこよしで行じ合う世界が、他のどこにあるでしょうか。
生書4巻の最後の神歌説法は特に奥様のご指示により入れられたという特別重要と思われるものである。
役座が説いた神教を 同志の者が人間中心じゃない 神中心の行なれば ただ一筋にやります やらせていただきますの 己の肚さえ決まったら 肚に入った神様が自由自在に使っておくれる ああ有り難い神の世よ 
役座の肚を先頭に立てて 後は上もなけらにゃ下もない 行じる人のみ行かれる世界を忘れずに やっておくれよ 目指すものは世界絶対平和のおんために お天父様のなさるがまま 住みよい神国ができた上 世界の平和が訪れりゃ いつ枕並べて死んでも惜しくない 裸役者になりますと 天父に誓ったそのことを 忘れず行じておくれよ 
これが天父の頼みじゃぞ
(注)この神歌説法は紀元16年元旦のもので、天声541号P15−16に出ている。第3回海外ご巡教の直前であり、この巡教で死ぬと大神様は肚の神様から言われていた。そのため出発前に身辺整理とも思われることもやられていた。