世渡りの道
大神様は、神仏の道、因縁因果の道、世渡りの道を人々に教えられた。神・仏の道とは、最高峰のレベルにまで到達できた人間が行うことのできる、行動、考え方であり、仏教でいう真諦(paramārthasatya),勝義諦、第一義諦である。またスウェデンボルグが言う天的人間の行動、考え方である。
例を上げると、大神様は最初道場にお参りしてくる人に、時間を守れとはあまりご指導されなかった。これが世渡りの道で、大神様を世間に知らしめるためには、なるべく多くの人に伝える必要があり、大目に見られていたと推測される。しかし紀元11年頃から道場での時間厳守をご指導され始め、大道場ができてからは、神様に接近できる人、してはいけない人のご指導もされだした。モーゼと同じである。大神様のご説法のとき、気違いや重病人など、悪霊に憑かれた人を前に出してはいけないなどのご指導である。神仏の道である。懺悔により罪を許されたのも神仏の道である。
神・仏は人がどのような深刻な罪を過去に犯していても、真実の心からの反省懺悔があれば、罪を許される。人も、相手が自分にどんな迷惑・苦痛を過去に与えていても、相手が真に謝っていれば、許さなければならない。これが神仏の道の実行である。例えば家族の誰かが罪を犯し他の家族に多大の迷惑を掛けたとして、他の家族が、それを永遠に許さないのであれば、家庭は崩壊するしかない。平和な家庭を作ることが神様の教えであり、過去の罪を許すことの重要性がわかる。
因縁因果の道とは、仏教で言う俗諦(saṃvṛtisatya)、世俗諦の人間の行動、考え方であり、因縁因果を知って生活することだ。スウェデンボルグが言う霊的人間の行動、考え方である。自分に害をなす人間がいたとき、彼を憎むのではなく、自分の前世で同じような迷惑を誰かにかけていた。今の被害は前世の罪を償わせるために与えられた行である。その機会を与えてくれる加害者たる彼に感謝しないといけない、と心の転換ができる生き方である。また人に迷惑をかけると、それが霊的に罪となり、天の写真帳に記録され、自分の人生を不幸にし、死後成仏できない原因になる。こう自覚し、人に迷惑をかけないように日々生きていく。これが因縁因果の道である。人に迷惑をかけないとはキリスト教における戒律(10戒)を守る、仏教における5戒、10善戒を守るということと本質は同じである
世渡りの道とは、世間・家庭で人間関係を円満に保つための世間知のことである。例えばお世話になる人にお土産を持っていく、単に感謝の言葉を言うだけでなく、実体を渡す。また自分の周りに対立する二人の人間がいて、共に自分にとって大切な人であるときは、どっちにも肩入れせず、適当に両方とも仲よく接するようにする、など世間道徳を守り、うまく世渡りすることである。スウェデンボルグが言う自然的人間の行動、考え方である 自分の本心を隠し、相手に合わせて振る舞い、人間関係を築き、摩擦が起きないようにする。これも世渡りの道である。自分の本心が真心ずくしになれば良いが、相手に通じないこともある。それで落ち込まず、この相手はこういう人と見て、その人に合わせていくことが大切だ。自分が正しいとは限らず相手のほうがまともなことも多い。
世間知らずで人に感謝できず、人を使うことを知らない人に次のように指導された。
「物事というものにはのう、順序がある。人に物を頼めば金がいる。金がいるから自分でする。自分でしてみて初めて苦労がわかる。それで金の恩、苦労の恩がわかるから、人のために尽くすようになる。そして初めて人から真心を受けるようになるのだ。人から情けを受けるには、これだけの順序を踏まなければならないのだ。」