泣いて暮らすも50年

泣いて暮らすも50年、笑って暮らすも50年、心ひとつの置きどころ。しかし泣いて暮らす方が楽なのよ。

これは有名な神言で、同志の共磨きでよく話される。この意味は実に深く、しかも人生において実利的である。例で考えるとよく分かる。

ある夫婦がいて、妻は結婚後、夫の実像を知って、非常に落胆した。暴力的で、妻を所有物のように支配しようとし、その上、浮気して外に愛人まで作っていた。子供ができてしまったので、妻は子供のために、離婚もできず、耐え忍ぶしかなかった。専業主婦のため経済的自立もできなかった。妻が、この置かれた日々に、夫を恨み、自分の人生に痛恨を感じ続けて、こうして晩年まで過ごすと、「泣いて暮らすも50年」になる。

一方、心の転換をして、若い時こんなダメ男に魅力を感じて結婚してしまったのは、きっと前世からの因縁があったためだ。このように苦労が耐えないのは、自分が夫を恨んでいて、夫を愛せないためだ。一人しかいない夫に、もっと尽くしてみよう、大事にしてみよう、として日々努力していけば、やがて夫に感謝が湧くようになり、その心は夫にも通じる時が来る。すると夫も妻を愛するるようになり、大切にするようになる。すると家庭の平和ができ、楽しい日々が送れる。「笑って暮らすも50年」になる。しかしこの心の転換をするのは非常に難しい。

夫を責め続け「悪いのはあなた、自分は被害者」と不平不満を言い続けると、心は憎しみ、怒りに満たされ、哀れな自分に悲しくなる。夫も負けじと妻を責める。これが生き地獄。「我をつのらせ、舞えば舞うほど行き詰り、生き地獄」と大神様は言われる。反対に、こんな未熟な自分が曲がりなりにも人生を生きてこられたのは夫のおかげ、夫を恨んでぞんざいに扱ってきた自分は嫉妬深い悪い性格で反省しないといけない。悪いのは自分だと、夫に感謝が出るようになれば、夫もやがては妻に感謝するようになる。自分の心が平和になれば、家庭も平和になる。これが天国ぐらし。「あちらに行けば生き地獄(行の相手を憎む)、こちらに来れば天国と(行の相手を感謝する)教えているのが役座の口よ」と大神様は言われる。

自分と夫の因縁因果を考え、現在の境遇を客観視し、被害者である自分を受け入れ、自分の忌わしい運命を諦める。そして夫を不幸にしている加害者が自分であるかもしれないと反省する。悪いのは夫でなく自分であると反省する。自分を無にしないとできないことである。日々の行動・言葉をこれが「行」ととらえ自制心を失わない。これらのことは非常に難しい。神様の加護がないとこの道にたどり着けないし、実行もできない。妻が正しい宗教に入り、日々正しいお祈りを続けることでしか、この道は歩めないだろう。過去は変えられないが、未来は自分の心次第で変えられる。こう気付くことが大切である。自分の運命をあきらめ、相手の過失もあきらめる。「あきらめる」とは、その道理を明らかに知り、そして許すことである。ポイントは心を自分に置くのではなく、相手の幸福のために自分は何ができるかに心を置くことである。天照皇大神宮教ではこの「心の転換」をしようとする同志に、明確な神の加護が実感できる体験を持つ人がいる。それにより、水に沈んだ木片が水面に浮かんでくるように、試練を克服できる体験をする。

心の転換に気付け実行できるのは幸運な人、神の恵みを受けられる徳のある人である。普通は 心の転換に気づけず、気づけても努力をしないで自分の不満のままに生きる。これが普通の生き方で、易しい生き方になる。「泣いて暮らす方が楽なのよ。」と大神様は言われる。