生書 増補改定版 その後の御足跡6 石城山の植林

「一人歩きの行」が同志のお互いの自覚となりだしてから、まず立ち上がったのは、若い同志であった。「これではいけない」「何かやらしていただかねば」との若人の思いは次第に集結されてゆき、その燃え上がった情熱は一方では10町余りのジャングルのような石城山の伐採・植林に向けられ、他方では全国若人に呼びかけての若人修練会の発足となった。石城山の伐採・植林は最初、若人の献身的奉仕に始まり、次第にその数を増し、ついには老いも若きも一緒になって現職をやりきり、暇を生み出しては、ジャングルに挑んでいった。最終の段階に近づく頃は日曜日毎に500名以上の同志が喜び勇んでご奉仕に勤しんだ。そして紀元14年2月8日、紀元節の前日、大神様をお山にお迎えして最終の植林を完了したのである。
金銭や欲の世界を離れ、一人一人の真心と創意工夫が100%に生かされ、いささかの争いもなく、真の「和」をもって、しかも自らやることが神の国建設という最高の意義を持っている喜び、石城山のご奉仕をするすべてのものは誰もが「神の国ここにあり」と感じ、大神様の言われる「嬉しゅうて楽しゅうてならない世界」を体験さしていただき、ますます神の国建設の熱情を燃やしながら、この大事業をやり遂げたのであった。その事業の完成された紀元14年2月8日、大神様は若人の作ったかごに乗られてご登山、山を揺り動かすようなお祈りの後、涙を流されながらの御説法である。
ああ美しの神の国。育ちゆく神の子と共に世の末まで残る神教よ。蛆の世界じゃ、手もつけられぬ、足も踏み込めないような荒野の山を伐り倒し、2300年の後まで残る神のみ山。植えたる苗木と共に育ちゆく神の子よ。いらぬものは焼き払い、立派な公園みたようになったるみ山の姿。ああありがたや神の子よ。育ちゆく神の子も役座が蒔いた神のみ種が育ちゆき、八百万の神でみ山の開墾した如く、日毎夜毎に育ちゆくと共に、神のみ山の木も育ち、この山繁ったその頃にゃ、悪魔の生きる世界はすきもないようになってくる。

ああ面白や神の国。ああありがたや神の世の先頭に立って神の国建設にいそしむ神の子よ。役座と共にやにゃならない運命のめぐり合わせの集い合いであればこそ、今日ここまで登り来るのも、一人身でさえ我が身を持て余す険しき山に、役座をかいてあがるは役座は望みはしないけど、同志の真心真心で乗せられて上げってきた役座じゃが、歩くよりはまだまだ苦しい。同志の真心思や、きついわが身を持て余すその坂を役座
をかいて登ってくれるその心を思えば、ありがたいやら、もったいないやら知らず識らずに出て来る涙と共に登り来てみりゃ、役座にゃ立派な別荘ができておる。いついかなる所に行ったとて、神の子の真心真心で困らぬ世界に住める役座の身の幸よ。
ここまで出てくる道中にゃ、山あり坂あり嵐も吹けば風も吹き雨も降る。その中を人に悪口言われながらも肚の命ずるままに、やらにゃきかないそがために、やって来てみりゃ着いた所が天国よ。ついておいでる同志らも、ここまで出てくる道中は、一方ならない肚がなけりゃやれないが、(昭和)20年21、2年頃役座の道場に来る者は、忍び足でやってくる。
嘘偽りまで言うて、隠れて来ていたが、今に道場に行きますと、肩をいからせてやる時が来るぞ、と言うたそのことを、役座が生きているうちに、今に立派に実現させてやる故に、やっておくれよ神国のおんために、やらなきゃならない時が来た。