神様が人を強制して使う時

 河口慧海玄奘旅行記を読むと、共通していろいろの奇跡がでてくる。川などの難所を渡るのに現地人の協力が必要だが、ツテが全くない時など、都合よく急病人が出てきて、お祈りすると治って、それで協力が得られ、旅行が続けられるというようなケース。また、現地の有力者が、特別な夢を何回も事前に見て困っていたり、不思議に思って待っている所に現れて協力が得られるというケースなどである。仏様が聖人を助けて都合よくいろいろな事を回しているように見える。
 全く同じ現象が天照皇大神宮教では頻発している。
 大神様が何かを望むと、都合よく、誰かが現れる。その人々は、病気で困っていたり、事故の後遺症で困っていたりする。医者の手に負えなかった彼らの症状を、忽ちにして直してしまう。即時だったり、3日後だったり、一ヶ月だったりと様々だが、とにかく奇跡的に治る。彼らはコア(熱心)な信者(同志)になり協力を惜しまなくなる。
 また別のケースも多い。夢で事前に神様(女神)に会ったり、招かれたり、お前の病気はもう治っているとか告げられたりする。その後、何日か、何ヶ月後に、大神様にあい、夢に現れた女神と同じなので驚嘆して、コアな信者(同志)になるケース。これも多い。

 これらが集中的に起こっているのが、海外布教の時である。
 大神様は終戦後まもない昭和27年5月から10月までお供2名(崎山、寄林)を連れて、ハワイ各島に布教して回ったが、事前の知り合いは3,4名しかいなかった。戦争での米側の死者は多数ハワイではでているわけで、反日感情も根強かったと想像される。それが帰る時には何百人もの信者ができて見送り、ホノルル市長から感謝状やお別れの演奏会までしてもらっている。ドルがない時代で旅費はハワイの人に立て替えてもらい、招聘という形でしか出れなかった。出発時、3名あわせて、100ドル程しかもたず、食料持参で、日本のカメラ、友禅や傘を沢山持って行き、それを現地で売りながら、立替金を返済し、旅行費用を作り布教して回った成果である。
 奇跡の連打があったわけだ。結核病院で講演、沢山の患者が治る。15年寝たきりの脳卒中の男をたちまち歩かせる。精神病を治す。ガン末期患者が治る。など近づく人々の悩み事を治しまくった感もある。癌が治って喜んだ人が友人の末期がんも《ついでに》治してもらったケースすらある。

 2年後の昭和29年から31年まで2回目の海外布教がおこなわれた。お供は崎山、石原の2名であり、ハワイで1ヶ月布教した後、アメリカ本土に渡る。この時アメリカ本土にいた知り合いは1名と一家族のみ。ハーバード大学のメイ博士、サンフランシスコの棟広一家である。胆の神様の言うとおりに、サンフランシスコから始め、次はボストンに行き、連絡していないのに駅で下車するとアメリカ東部唯一の知人、メイ博士がホームにいて、1.5ヶ月滞在。ハーバード大学関係者に集中的に話したり、Q/Aに答えることやお祈りに集中した。神様が人間に降りてきている不思議な事象を、全世界第一の学問の府のエリートたちに見せつけた。これが世界平和の重要な基礎になるという神様の指示だったようだ。買い物などは英語を時々使い何の不自由もなかったようだ。

 日本での例では、東京の大学生たちが来た時、ペスタロッチ関係の本が有ったのを見て、この男は孤児院を建てるといって、数人の金持ちの未亡人に甘い言葉をささやいて、金を巻き上げていた偽善者だと指摘。また青木要氏が自分の恩師、西晋一郎につぃて問うと、人間の魂を10段階にわけると、17,8段のところにいる。普段は謹厳寡黙だが、酒を呑むと世を憂い、愛国の熱情を表す。京都の西田(幾多郎)と同じ。と答えた。
 水道技術者との会話では、井戸に流入する地下水の速度を話題にし、何故こんな専門的なことまで知っているのかと驚かせた。
 50年以前、ある人に、お前はそこまでは生きていないが未来の生活を見せてやろうと言い、ガラス張りの高層建築や電化の完備した台所などを夢に見せた。サヨ(大神様)は明治時代の農家生まれの農家育ち、農家に嫁に行き、農業に明け暮れていた小学校卒の女性。これが何でも知っていた不思議。このような奇跡の連打がハーバード大学でも行われたようだ。

 ハーバードでの大神様の公開講座は人類学、地理学、社会学3教室共催で、聴衆はすべてアメリカ人の各分野の超一流の研究者、日系は1人のみであった。あらゆる質問に即答する様は神業と感嘆されたと、唯一の日系人の学者(関満一雄:東大、ハワイ大、ハーバート大)はハワイ報知新聞にその時の様子を記事に書いた。感銘した学者たちは宿舎まで押しかけ質問した者もでた。噂は全米の大学に広まり、その後、コロンビア大学シカゴ大学カルフォルニア大学など超一流大学で講演会が行われた。この影響は昭和36年の大神様巡教時、スタンフォード大学の有名教授とその弟子たちが信者になるなど次第に広まり深まっていった。
 通訳は石原澄江さんでハワイ育ちの日系人、高校卒業後田布施の本部に来て神教の修行をした。当時22才ぐらい。高卒なのにハーバードの学者の通訳など不可能と自分でも思っていたようで、早口の大神様の日本語も時により約100分の1ぐらいしか訳せなかったようだ。時々メイ博士が補足して通訳を助けた。メイ博士はハーバード出の学者で専門知識は豊富だが、日本語は学び始めたばかりで、少したどたどしく話せる程度の日本語力。神様はそれでも肝心のキーワードは通訳に言わせるようにして、質問者がわかるように支配されたのだろう。肚の神は「世界絶対平和のために、いかなる質問にも答えざることなし」と宣言せられ、終わった後、大神様は「肚の神が偉いのがよくわかった」と言われた。

(注)即答:外人の研究者が英語で専門用語だらけの複雑な専門的な質問をする。大神様は日本語で即答(回答)する。通訳が大神様の日本語を英語に翻訳する。質問者は適切な回答を得て満足する。この状況そのものが異常で超常的である。大神様は小卒の日本人で英語力は不足。通訳なしてどんな専門的な英語の質問でも理解し直ちに回答。霊現象なしには起こりえないストーリーである。肚の神様は質問者の思考・知識は質問を発するより早く知っており、彼の無意識の思考・将来知るであろうことまでも察知しているため、満足する回答を常に即答できる。本当は質問を言葉で聞く必要すらなかったと想像できる。大神様の修行中に、これからこんな人が来て、こう言うから、こういうちゃれよ、と肚の神様から指示され、そのようにしていたことがあった。

(注)大神様が行かれるところには、事前に「手足となって手助けする」人が配置されているので、大神様は困たことがない、と言われている。この典型の一例が最初のシカゴ巡教(1954年)だ。
 米本土最初の支部を作るため布教に努めるが20日しても同志は一人もできなかった。しかし定住者会館での公開説法後すぐに数十人の同志ができ支部が結成された。キーマンが政光秀美という女性である。 彼女は15年前に朝農作業をしていると天から神様が降りてくるのを見た。翌日の朝にも同じことが起きた。彼女は「神様を拝め」という啓示を受けたが、高知県出身の彼女に神様とは《弘法大師空海》以外に思いつかなかった。そこで真言宗にはいり拝んでいた。ある日同信の人から家族が病気なので拝んでくれと頼まれた。彼女は治せるとは思わなかったが拝むと病気が治った。以後度々このようなことがあり、シカゴの真言宗内に《政光》を拝む人々ができた。定住者会館の公開説法に彼女も出席したが、大神様は会うなり「天から降りてきた神様は自分だった」と明かされた。(天声35号)そこで彼女とその一派はすぐに同志になり、直ちにシカゴに天照皇大神宮教支部ができた。