生書 増補改定版 その後の御足跡1 ハワイ布教

紀元7年の正月の式典に、大神様はいよいよ海外御布教の発表をされた。目的地は太平洋の真中にあるハワイ諸島である。4つの島々を合わせ日本の四国位の島、そこには世界の縮図のごとく色とりどりの人種が移り住み、四方を太平洋に囲まれた小さくまとまった社会ーーこれが世界への架け橋となる土地として海外御布教の第一に神の選ばれた所であった。

5月8日お供の崎山了知・寄林登喜とホノルルから行に来ていた園田藤雄の3人を従えられ、横浜よりプレジデント・ウィルソン号に御乗船、埠頭をうずめるお見送りの同志がに「荒れすさんだ人の心の開墾に行く、わしの身を案ずるよりも、まず自分が実行できているかどうかを反省せよ」との神言を残されて旅立たれたのである。

5月15日ホノルルに御上陸、早速ホノルルの同志園田宅に落ち着かれ、ハワイでの御布教を開始されたが、ハワイでの大神様の御行は、文字通り波瀾万丈、内地で留守を守る同志の手に汗を握らすに十分なものがあった。大神様をお迎えしたホノルル全島の日系市民の空気は「ハワイに蛆虫退治に行く」との神言の前宣伝に、むしろ険悪なものさえあった。2,3の同志があるのみで、全くの未開地の開墾である。大神様はこのような状態にも少しも臆せられず、勇猛果敢に布教を開始された。あたかもたらいの水をかきまわすがごとく、小さく限られた社会だけに、その反響は非常に大きく、初めのうちはラジオ・新聞上げて大神様の悪口に終始し、人の口を通じ大神様の話題は全島に響きわたった。

その頃内地の同志に充てられた手紙次の大神様のお手紙がよくその様子を物語っている。

一同の同志よ、皆元気で嬉しいです。次々とお手紙ありがとう。返事を出したいけど、別別に出せないから、そのかわりお祈りしておきます。白髪を被りながら、若い者に負けず悪魔と戦っている。今では蜂の巣をつついた如く、悪魔もわんわん燃え上っている。人を相手にせず、神を信じて教えられた真人間の道を、天に恥じないよう、一同が実行しておくれ。神の計画は上の上に行っておるよと、の神が大変喜んでおる。ああして新聞に色々と悪口を書き並べておるが、あれらも神様が使っておるのだ。海にいる魚はおとなしいが、網にかかるとばたばたする。それと同じだ。皆があがくのが面白い。今じゃ色々のデマが飛んで、おれが日本に逃げるとか、領事館に帰してもらうよう交渉しておるとか、ハワイは寄ると触ると、おれの話で持ち切りじゃ。内地の方にもいろいろニュースが入るだろうが、荒れすさんだ人の心の開墾に来たんじゃから、これ位の事はなけりゃ嘘だ。神の種を蒔きに来たんじゃったら、蒔きさえすればよいが、開墾に来たんじゃから、大きな木を切り倒し、大きな根を引き抜き引き抜きして行き、土を耕してよい畑を作り、種を蒔いてやっと芽が出るんじゃから容易なことではない。

今既成宗教家や、その後を押す者は、おれを大変嫌いおそれているが、真の宗教を求めておる者や、彼等のために苦しまされてきた者は大変喜んでいる。敵が出来れば、味方も増える。新聞やラジオの批評ぐらい痛くも痒くもない。

今人間の開墾の真盛り、やがて種を蒔いて芽が出て、育ち始めたら帰るから、しっかりそれまで皆頑張りなさい。

「熱し易し、冷め易し」にならぬように己の心に鞭打ちながら、神行ー神に行く道を歩むよう、祈っております。

同志一同様          サヨ

しかし世論こぞっての反撃の中に、やはり真心持ちの共鳴者が、次第次第に増えていった。そしてこのような世論のわく中で、大神様は非常な急速度で、着々と大聖業の実をあげていかれたのである。大神様には連日朝から夜中まで集い来る人々に、ご説法を続けられると共に、25日にはクラ放送局の円卓会議、28日にはカワナコア講堂で公開大説法と、寸暇を惜しんでの御奮迅、反対も強いが、又その反面、真価を知る人も多く、まずホノルルに立派な同志が増え、活発な共磨き会も出来るようになり、大神様は、7月12日より次から次へと、ハワイ各島の御巡教に出られた。カワイ島、ハワイ島マウイ島、これら未開の地にそれぞれ立派な支部を作られ、ホノルルに再び戻ってこられた。この頃ともなれば、はや反対派の連中もその鳴りを潜め、9月13日のホノルル第一のマッキンレーホールでの公開説法は、喜びに顔を輝かせる同志数百名参集、大神様のご苦労多きご布教の大成果を、如実に物語っていた。この大神様のご聖業をたたえるものは、単に同志のみではなかった。当時のホノルル市長が、大神様のご帰途に当たって、特別の音楽隊をさしむけ、その労をねぎられると共に、感謝状を贈られたことによっても、その間の事情がわかる。その中に

あなたが何千というホノルル市民に対してなされたすばらしい業績に対し、私の心からなる尊敬を述べさしていただくことは、ホノルル市長として、私の最も光栄とするところであります。(中略)

日本の同志の方々に、あなたのような偉大な指導者をいただいておられることに対する私のお祝いの詞と、その偉大な指導者のみ教をハワイの人々も、共に分かち持つことが出来た事に対する私の感謝の心とを、どうぞお持ち帰りください。

と書かれてあった。

6ヶ月前初めてハワイに上陸された時、それをお迎えした者は、わずか2,3名であったが、ハワイよりご帰途につかれる時には、ホノルル港の埠頭は、同志であふれる程だった。

このハワイご巡教の持つ意義は、実に大きいものがある。それにより、神教が世界的教であることが、具体的に示されたのである。そして海外の地に神のみ種が新たに蒔かれ、それが芽をふき育ちだすのを見届けられてのご帰還であり、世界へ神教が広がって行く橋頭堡が確保されたことを意味するものである。

参考文献:「大神様海外ご巡教 第一巻」 天照皇大神宮教

     「生書第2巻」 第18章 第一回海外ご巡教」 天照皇大神宮教