天照皇大神宮教の海外布教

この教団の特色の一つは国際性である。目的が人類救済のための、世界平和の達成であるから、当然といえば当然であるが、それが最初の設立当初から順序を踏んで達成されてきたのは奇跡であろう。
大神様(北村サヨ)は太平洋戦争末期から山口県で布教を始めるが、肚の神様はやがては飛行機に乗って布教するようになると言っていた。皆は夢物語と思っていた。昭和21年2月に中山公威・東子夫妻が弟子になった。彼らは戦後日本の復興に活躍した白洲二郎、正子夫妻と同じように当時珍しい英会話のできる欧米留学、渡航経験者であった。昭和21年3月、大神様は3名の娘の同志と中山氏を連れて焼け野原の東京に出た。(第一回東京布教)。戦後の物資不足の最中である。鍋釜、燃料の炭、松葉、米、漬物など自給する一切合切を持っていった。「一銭の金でも、わしがお前たちから取るようになったら、にせものじゃけい、ついてくるなよ。」と人々に言っていた。大神様は多くの目的を持っていたようだ。A.東京で歌や踊りを使って神の出現を知らせ支部を作る(布教する)。B.敗戦後の日本の国救い。C.海外布教のために手をうつ。D.真心持ちを救う。E.、2人の娘を鍛え、もう一人の娘の病気を治すなどなど。。
中山氏には連日、特別の促成修行が課され、神の使いができるレベルに仕立ててから、GHQ(占領軍)と折衝させた。GHQの宗教部門担当は後にアメリカでキリスト教の大学教授になるような、正しいキリスト者もおり、大神様を調査しキリストの再臨とわかり帰依する者も出た。彼らは、戦前の軍国主義の原因を調べるため、日本の全宗教を調査し、最終的に、日本で唯一の正しい宗教が天照皇大神宮教であると認めた。これが後にビザ取得に役立った。
大神様は東京から帰宅すると、米の供出問題で逮捕され、昭和21年4月25日ー5月31日まで未決勾留で山口刑務所に入れられた。その間14日間外霊済度を集中して行い、昭和21年7月18−23日にも外霊済度が行われ160万人の外国人高級霊が救われた。高級霊とは精神修養をよく行った、他人や社会に良く尽くした人、立派な人と言われた過去の人々であるが、正しい宗教に出会っていなかった為、完全成仏までいっていない霊である。この霊を天照皇大神宮教の天国に組み込んだと理解される。(霊界再編成)。この救われた霊たちは、かれらの本国で、様々な人に良い影響を与え、世界平和の仕事をし、大神様に協力するそうだ。神様の世界支配の一端だろう。(戦後日本の幸運はこの辺に根本原因がありそうだ。)
昭和27年4月28日日本が独立すると(それまでマッカーサー司令部の支配)10日後の27年5月8日第一回のハワイ渡航船に乗って大神様はお供2名とハワイに帰国する同志、園田藤雄氏と共に出かけた。持っていけたのは3人合わせて100ドルだけ。ハワイにいた知人は山口県ゆかりの3名で、彼らからの招請という形で、渡航費も立て替えてもらっての出発である。外貨の無かった日本ではこれ以外では出れなかった。この100ドルは船内のチップなどで50ドル減り、入国税で45ドル減ってしまったようだ。日本から持って行った和服や小物、カメラ、時計などをハワイで売り、現金の少ない極貧の生活に耐えながら、日本から持って行った食料を食べつなぎながら、立替金を返済している。ハワイ出発前の記者会見で、ハワイのウジ虫退治に行くと言ったのが、当時日本に来ていたハワイタイムズ社長に伝わった。このためハワイ到着時から、大神様に対し、猛烈な非難・悪口・雑言・中傷がマスコミと宗教界から連日行われた。これは悪口を使って教えを早く拡めるという独特の神様ならではの作戦だったそうだが、同志になる人達には周りの非難を乗り越える肚が必要だった。
大神様は、かたっぱしから奇跡を起こしまくり、悪口を言う人々をねじ伏せた感もある。誰が何と言おうと、神様がここにいるということを見せつけ心の眼を開かせた。15年も中気で寝たきりで、寝たまま運ばれてきた人が、大神様に歩けるといわれて歩いたり、踊ったりしたら心ある人は眼を覚ますだろう。この種のことがものすごい数行われた。キリスト教の『マルコによる福音書』が実地に行われるのを人々は見た思いだろう。しだいに、公開説法やラジオでの説法まで行われ、多くの人が正しい神が降りてきたと気付いた。6ヶ月して帰る時には、ホノルル市長(白人)から感謝状が送られ、市の交響楽団のお別れの音楽会まで開かれた。数百人の熱心な同志が波止場で帰国する大神様一行を、ハワイからいなくなることを悲しんで見送った。世界平和の鍵はアメリカにあり、そこへの布教が最重要と神様は指示したようだ。アメリカへの最初の架け橋としてハワイを重視した。
(注)教団の経典”生書”(1巻)が作られる(昭和26年)と、昭和29年英訳され出版された。翻訳の最終更正はハーバード出身のアメリカ領事(ニコルス)が行った。これは昭和29年から31年までの第2回海外布教(ハワイ・アメリカ本土)に持って行かれた。ハーバードではニコルスの旧師が大神様から教えを聞いている。ニコルスは外交官としてのキャリアのほとんどを日本で過ごした。
(注)大神様の海外巡教は5回
1.昭和27年5月8日ー10月30日 ハワイ各島 お付:崎山了知、寄林登喜(「大神様海外ご巡教」第1巻)
2.昭和29年2月11日ー昭和31年2月13日 ハワイ各島、カルフォルニア各地、ボストン、シカゴ、ワシントン、ニューヨーク、等2周。お付:崎山了知、石原澄江 出発時アメリカ本土の知り合いは、キュパチノの棟広一家と、ボストン ハーバード大のメイ博士のみ。全くの無計画。肚の神様の指示どうりに動いたのみ。それが次々にうまく回った。肚の神様はアメリカで1年布教すれば、日本で5年布教するより効果があるとして、長く留まらせた。ハーバード大、コロンビア大、シカゴ大、カリフォルニア大など目のくらむような大学で講演してもいる。この意味を一番理解し喜んだのが当時の国連大使、沢田 廉三氏であった。(天声4号−27号巡教だより)
3,昭和36年1月15日ー9月23日 ハワイ各島、カルフォルニア各地、シアトル、ボストン、シカゴ、ワシントン、ニューヨーク、等 人種を超えて深く浸透。GM販売会社社長ジェロームが訪ねてきて入教。彼は友人ランコフを誘い、共に後に大神様世界巡教の下準備をした。大神様は、この2,3年以前より死線を4つ超えたという程体調不良で、肚の神様からは、このアメリカ巡教が終われば死ぬ。と言われていた。そのため、日本出発前に、身辺整理を済ませた。アメリカでは寸暇を惜しんで説法した。お付:崎山了知、石原(音森)澄江(天声86号−94号巡教だより)
4.昭和38年6月10日ー7月16日 カワイ道場開設記念行事をとり行うため。ハワイ各島 お付:崎山了知、宮田幸子 肋骨7本折れる自動車事故の重体を物ともせずに乗り越え、神様であることをわかりやすく皆に示した。(天声115号−116号巡教だより)
5.昭和39年11月1日ー昭和40年7月17日 台北、香港、バンコクボンベイ、プーナ、ニューデリー、カンプール、カルカッタマドラス、トリバンドラム、バンガロール、ハイデラバード、テヘランベイルートアテネ、ローマ、トリエステチューリッヒミュンヘンザルツブルク、ウィーン、ベルリン、フランクフルト、ハイデルベルクコペンハーゲンアムステルダム、ロンドン、マドリードラスパルマス、アクラ、ラゴス、オニチャ、リオデジャネイロサンパウロモンテビデオブエノスアイレス、サンチャゴ、リマ、キトー、カリ、パナマグアテマラメキシコシティ、マイアミ、ニューヨーク、シカゴ、シアトル、カルフォルニア各地、ハワイ各島等5大陸36カ国77都市を手足が不自由でよぼよぼ、階段も手すりにつかまり1段ずつやっと登るほど、、血圧230の重体で説法してお祈りして個人指導して、説法してお祈りして個人指導して、徹夜につぐ徹夜で回った。ご説法は133会場でされた。誰が見ても、もはや人間ではない。帰国時同志が気軽に声を掛けることを許されなかった。世界各地に支部ができた。各国の受け入れ組織や人はランコフ・ジェロームが開拓しセットし大神様が選択した。心の眼が開いた人のいるグループであった。説法中に瞬きせずに聞く人が多かった。仏教のお経でも釈尊の説法を人々が瞬きせずに聞くとある。お付:崎山了知、川口みどり、園田ジュン、ジェローム、ランコフ。ランコフは先発して会場・宿泊場所の確認・現地キーマンとの連絡をし、ジェロームは各所で英語で神教の前座の紹介をした。直前に完成した大道場の写真やスライドは布教に役だった。(天声132号−140号巡教だより)
大神様の説法期間 昭和20年7月22日ー昭和42年12月27日 中 約49ヶ月(説法期間の18%)が海外説法。うち42ヶ月はアメリカ。如何に神様は世界平和のためにアメリカを重視していたか分かる。その結果ハワイ‥アメリカに多数の同志が生まれた。大道場建設醵金の約半分はこれら海外同志からのものであったらしい。
また多数の同志を日本からハワイ・アメリカに養子・婚姻などで送り、現地の神教の中心人物とし、神教の定着をはかった。大神様の指導に無条件で従い、世界平和のために「神の国の特攻隊」としての人生を歩まれた大勢の立派な人々がいたことも特筆される。
このアメリカ重視は当時の日本の2大政治指導者、吉田茂岸信介と共通している。彼らは対米従属と非難されると、対米従属大いに結構。まだ足らないぐらいだ。と言って日米友好の重要さを強調した。岸首相がアイゼンハワー大統領を訪問した時は、すぐにゴルフに誘われ、シャワー室では裸の付き合いをする程の歓待を受けた。小泉‥ブッシュに優るとも劣らない程の蜜月。これがあって日本は復興できた。
他の記事:神様が人を強制して使う時:http://d.hatena.ne.jp/Newshirogarasu/20120209/
金剛身:http://d.hatena.ne.jp/Newshirogarasu/20130523/
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