高橋是清随想録 私の見た不思議な夢

わしは夢を見た__。

昨年(昭和6年)3月1日の夜であったが、身は、いつか岩屋の洞窟の前に立っていた。奥の方があかるくて、そこには、一人の御僧が端厳な形で、禅定に入っている。

はてな

すると耳元に、あれは蓮恵上人だと云うささやきがあった。

蓮恵上人さまというのは、まだ聞いたことがない名前だがと思っていると、これはいかに何処からともなく、大蛇が現れ出て、巨きな口を開いて、パクリと、此の上人を呑んでしまった。

大蛇はやがて、千年の秘密をたたえているような大きな池の中へ、そのままどぶりと身を沈めた。わしは、どうなることだろうと、其の池の面をじっと見つめていると、やがて此の大蛇が又頭をもちあげた。

そして大きな口を開くと、今度はそこから雪のように真白な雲が、すーーッと吐き出された。層々又層々、雲はつずいて吐き出されたが、よく見ると、其の雲の中から、燃えるような真紅の法衣をまとった御僧が現れ出た。

「あッ!」

さっき呑まれた蓮恵上人だ。

ニッコリと笑いかけて、白雲の中に御姿を没して了った。

わしは、そこで目がさめた。

今迄、夢は見ても、こんなにハッキリと覚えているものはない。

どうも不思議だと思うて、蓮恵上人のはなしを、他に訪ねてみるが、そんな名僧知識は居らないと言うことである。しかし歴史上の人物でないとしても、これには、何等かの啓示があるに相違ない、どういう次第であろうかと、実は自ら工夫し、自ら省察して居たが、此頃になって、ようやく説得できるようになった。

洞窟に端座して居られた上人は、吾々人間が、修養に志して居る姿である。しかしじゃ、吾々が只心を練り神を養うというてもいかん。大苦難、大難事に出会わねばいかん。大蛇は、この苦難、苦患のルツボである。これに一旦のまれて、これに鍛冶されて、さてそれから後に本当の、人間が出来上る。云うて見るならば「艱難汝を玉にす」という諺がある。それに当てはまる。わしがまだそんな風に考えていた心持が、寓話の形をとって、夢の中に現れたものであろうと、こう信じておる。