おかげの大きい天照皇大神宮教

天照皇大神宮教では、この教えは人間直ししであり、おかげいただきの信仰ではないと強調される。しかし実はおかげが大きい。天声376号(紀元21年4月21日のご説法)などを読めばよく分かる。

①神行して、自分を直し向上させると、相手の立場・境遇に心が向くようになる。すると徳が積めるようになる。すると「運は天にあり・ぼた餅は棚にあり」ということで運が向いてくる。ラッキーなことが多くなる。神行して幸運を拾った、つまりこの神行はおかげが大きい。

②「人間は悪いことをしていなければ信仰する必要はない」と多くの人が信じているが、これは誤り。自分の信じる正しい生活をしているだけでは、悪霊・生霊に祟られて人生を全うできない。これに気づかない。普通に生活していると、隣人・同僚・取引先・家族など様々な人と日々ぶつかることがあるのは避けられない。この軋轢から恨み・嫉妬などを受けてしまい、これが生霊となって自分に事故・病気・災難などを呼び寄せてしまう。 今の世は悪霊が充満しており生霊の働きが強いためだ。

しかし神行することで法力ある名妙法連結経のお祈りを授かり、それを日々唱えていると、生霊・悪霊を知らないうちに払える。これで病気が軽く済んだり、災難を小難で済ませてもらったりする。この神行をしておかげがあったことになる。神行が進むと、悪霊を救うこともできる。悪霊とは地獄の霊であり、地獄の苦しみを絶え間なく受けている霊である。それを救って天国に送ってあげると、霊は苦しみを逃れて大変喜び感謝する。救われた霊は、ご恩返しに、救ってくれた人に恩恵を持ってくる。つまり、おかげが来る。難病が直ったりする。

③神様におかげをいただこうと祈るだけでは、おかげはない。自分を直し徳を積まないといけない。「おかげ」とは「お陰」のことで元々善行の陰としてもたらされる神の恩寵の意味である。善行がなければ陰はない。

④神様におかげをいただこうと、金や物を出して祈るのはおかげがない。500円払って野菜を買うという態度で、おかげを神様から買おうとしても、売ってくれる神様はいない。しかし、神様の大聖業に協力して、真心からお金や物・労力を出すのは、徳が積まれることで、「運は天にあり・ぼた餅は棚にあり」ということで結果的におかげがある。

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