神教が個性になる

「神教が個性になるまで行じよ」という神言がある。これが良くわからなかったが、天声の子供欄の記事でヒントが得られた。大要は、
1.電車や車が急ブレーキをかけると乗客の体はのめる。これは慣性の法則である。これを惰性ともいう。我々の生活もひとつの運動のようなもので、知らず知らずの内に惰性で習慣ができ、癖となる。毎日酒を飲んでいれば飲酒癖になる。人に頼ってばかりいると、人に甘える癖ができる。
2.癖に気づき直そうと決心することを、肚を作るともいう。
3.この決心は1回だけでは癖は直らない。癖は何回も何回も出てくるので、その都度やめようと決心することが必要。
4.この決心が毎回できることを「神教が個性になる」という。こうして悪癖が直り、正しい行が自然にできて、真人間の道が目つんぶりでも歩けるようになる。
(注)理想的には、「神言が良心に染み込み、時に応じて自然に神言のままに行動できるようになる。」これが神教が個性になった状態である。ここからも毎日ご説法を聞いたり、読んだり、神教出版物を読んだりすることの重要性が出て来る。単に知るだけでなく、自分の心に適用する応用が大切。
スウェーデンボルグの解説するキリスト教にも繰り返し同じ事が書かれている。例えば「天界の秘儀2巻」P267には「真の良心は主により信仰の諸真理から形作られるものである。人間がこれを与えられた時は、彼はこれに反して行動することを恐れる」。これを神教に翻訳すると、「真の良心は大神様により、その神言から形成されるものである。これを与えられると人間はこの良心に反することを行わないように気をつけるようになる」。奉答歌に「大神様のみことばは人生行路の羅針盤」とこれが歌われている。
「肚を作る」の究極は「神様を信じることが深く、自分を含めすべてを、神様に委ねる。ここまで信じられること」と言う人もいる。職場での立場や利害、地域社会での評判を超えて神教の使命感で行動した人達の言葉である。
別の人は「どんな困難にも立ち向かい乗り越えようとする強い意志と勇気が肚だ。」と言う。中国医学では丹田というツボがある。ここを普通「肚」という。神歌の時手を置くように指導されている場所だ。これは丹を育てる場所(田)という意味だ。丹とは主意識(自分本来の神から分派した魂)らしい。この本来の自分を良く説明しているのが天声152号子供欄「我をとる」という記事だ。肚練とは道教の錬丹術からきたのかもしれない。肚を作るとはこの場合、「気をしっかり持つ」ということになる。璽光尊に大神様が注意された言葉だ。自分の邪念に誘惑されない強い正しい心を持つことだろう。「神の国はどこにある。神教実行する人のおのれの心に生まれて、肚で育つ。」
(注)神教に救われると、嬉しくて楽しくてならない世界に住める。霊界の天国を神様が作られていて、そこに人の魂が到達すると、自然に嬉しくて楽しくてならなくなる。そこでは人の自我利己が克服されていて、悪をなそうという欲求がなくなり、あらゆる善行に励み、人には自然に真心を尽くす。すると因果の理法により、良いこと、幸運が増え、悪運や悩みが来なくなる。すると次の日も、次の日も嬉しくて楽しくてならない、感謝の日々で暮らせるようになる。これを「神教が個性になった」という。これが幸福な運命を作る。
フランク・アウトローは面白いことを書いている。
自分の考えに気をつけよう  それは言葉になる。
自分の言葉に気をつけよう それは行動になる。
自分の行動に気をつけよう それは習慣になる。
自分の習慣に気をつけよう それは人格になる。
自分の人格に気をつけよう それは運命になる。