神教Q/A

天声には昔Question/Answerの欄があって、皆が疑問に思うことが答えられている。答えは天声係が書く場合もあるが、天声係がわからない箇所は大神様に直接お聞きしてから答えを書いている。
Q1.神教と世間の慣行との矛盾についてはある程度の妥協は許されるのでしょうか?例えば位牌の廃棄など抵抗が大きいのですが。
A.神教は決して外面的法則や戒律を強要するものではありません。神行はあくまで魂の問題であります。それ故神教をよく聞いて神行していけば、自然に偶像もいらなくなるし女性なら化粧も嫌になる筈であります。
魂がよそに行っていたのでは如何に外面的につとめてもこれでは問題になりません。家族全員で神行していない場合、偶像の廃棄は困難でしょう。自分はあくまで動かぬ神の肚に合わせておいて、時を(家族が神行を理解し入るのを)待たれるのが良いでしょう。しかしそれは決して世俗との妥協ではありません。時を待つだけです。
Q2.神教を伝道しようと思うのですが、実行が出来ていないので、受け売りのような気がして積極的になれないのですが。
A,神教の実行ができてから神教を説かせていただこうというのでは一生涯伝道は出来ないでしょう。勿論自分が実行も出来ないことを、出来たふりして説くことは絶対いけませんが、大神様のご存在を伝え、そのお説きになることを、そのまま神言として伝えさせていただくことは少しも差し支えありません。そして出来ないながらも一生懸命やらせていただく自分の行も、そのまま伝えさせていただけば良いでしょう。大神様のご出現や神教を伝えさせていただくことも私たちに神から与えられた自分の行であることを忘れてはなりません。
Q3,家でしっかりお祈りして神教を実行しておれば、支部の磨きの会に行かずともよいのでしょうか。
A,自分では神行していると思っていても、いつの間にか腰を下ろしたり間違った方向に進んでいるものです。再々神教に接し、すり合わせをさせていただくためにも、磨きの会に出るべきです。
大神様は「支部の磨きの会に出席し、支部を盛りたてて行くことが大きなご奉公だ。神へのご奉公を忘れて行ける道ではない。」とお説き下さいます。
Q4.お祈りの詞に「我が身は六魂清浄なり」とありますが、この祈りは六魂の穢れた凡夫には唱えられないのではと外部から指摘されました。
A.この祈りの詞は我々人間が作ったものではありません。絶対神御自ら私たちにこの祈りを祈って、魂磨いて行じて来いとお授け下さったありがたいお祈りです。それを「ハイ」と素直に祈って行じて行く所に行かれる天国なのです。
Q5.お人好しの馬鹿になるなというご指導はどんな意味ですか。
A。終戦後政府に山林を買収された同志Cがいた。その山にDが植林して木は大きくなった頃政府が元の所有者Cに払い下げした。DがCに植林にかかった実費を請求してきた。Cが大神様にお伺いすると「神教だから言うが、皆が人よし馬鹿にならんことよ。人よしになって、ええ、ええと何でも我慢して、それが神教と思いなさんなよ。肚はすぐ『馬鹿、払うことは要らん。泥棒するのを手伝うちゃるのと同じじゃ。植林を頼んだ者に請求せい、と言うてやれ』といいよった。その土地に人まで雇うて植林するというのは、植えちょいたら何時のまにか自分のものになろうという下心があるからよ。蛆の世界の法律でも泥棒の手伝いをしたら、泥棒したと同じような罪になるよ。わしが獄屋の行をする時、隣に入っておったおばさんは『泥棒が盗んだ物を買うてくれ、と泣きついてきたから、親戚で引き揚げてきて困っちょった者がおったので、買うてやったら罪になって監獄に入れられた』と言うておったよ」
神教により、自分が今まで自己中心で罪を重ねて来たと反省ができ、自己中心でなく利他に生きようと努力するあまり、「自分は損をしてもいい。他人に良くさえすればよい。これが神教だ。」と単純に考えている同志が多い。しかし場合により神教の冒涜になってしまう。これが「お人好しの馬鹿になるな」というケース。
利己を捨てても神のみ心に沿わない場合がある。相手に同情して、人の悪事を赦したり、人の利己を増大させる行いなど。悪には譲歩しないで戦うことも同志に求められているわけです。