座談会

天照皇大神宮教の草創期の雰囲気が感じられる座談会の記録がある。その一部である。
司会:最初に神教に入られた動機について。
A 私は病気を治していただいて。大神様は「医者は結核だと言おうが」とおっしゃいましたが、それこそ「火箸に紙をまきつけた」ほどやせ細っていました。最近は良く太っています。(神田静雄さん)
B 僕も結局病気。。というより病身であったことが、動機です。子供の時川で泳いでいて、耳に水が入り中耳炎を起こし、30年間膿が出ていました。医者に行ったり、「人の道」教団に行ったり、「生長の家」の本を読んだりしたが、効果がなかった。本教に入って治った。(青木要先生)
耳の病気が治るとか治らないか、そんなことはすっかり忘れて神教を聞かせていただいていたのですが、不思議ですね。因縁が切れたのでしょうか?しかし今から考えますと、やはり中耳炎があったからこそ宗教に心引かれて、とうとう神教に導かれたと。今まで両親を恨んでいたことを懺悔しています。
司会:病気治しではない。人間治しじゃと大神様は良く言われますが、魂が救われると病気も自然に治っていかれた例は、ここにおられる皆様には多いことだと思います。
C おそらくそれは数え切れないでしょう。(笑声)
司会:それでは他の動機で入られた方。
D 私はこれまでいろいろ宗教をかじって来ましたが、どうも霊界のことが信じられないで、かねがね霊の現象を体験したいと思っていました。友人から大神様の神力の偉大なことを聞いて、好奇心にかられて本部道場にお参りしました。昭和22年の正月です。(蓮田昇さん)
E あの頃は本部道場では良く憑霊現象がみられましたね。女の同志にいろいろの霊が出て、歌ったりしゃべったり、問答したり。
D 私が一番驚いたのは外霊の歌でした。(注:外人の霊:英語の歌、スペイン語の歌、ドイツ語の歌、中国語の歌、ベトナム語の歌、サンスクリット語の歌などという意味。歌っている人に外国語の知識はない)
F 今ごろは外霊はでないのですか?
E 僕達の支部では時々、女の方に出ます。
D 霊界がわからないと、宗教は道徳と違わなくなりましょう。観念論にすぎない。。。
A 観念論では人は救われませんね。
C 皆様の中で「何とかして真人間になりたい。世界平和に役立ちたい」という純粋な気持ちで道を求めて入られた方はありませんか?
E 「利己で崩れた乞食の世界。利己を捨てなきゃ救われない」と大神様がご説法をなさいますように、私達はこの神教に入るまでも利己でしたし、神教に入る動機も利己でした。今でも利己心と一生懸命戦っておるのです。
B とにかく何かに行き当たって困りぬき何とかして救われたいと思って入教したことに違いないでしょう。しかしその動機は何でにせよ、神教によって正しい神行ーー真人間の道を教えられて、みんな世界平和のために立ち上がったと言えるのではないですか。
D そうです。大神様のご説法を聞かしていただいている間に、いつとはなく、神国建設の筋金が入ったのですよ。
司会:この教えに入った頃のことを話してください。
B 神様に「高い 高い」をせられていた頃のことですね。
A 半死半生の病気は治るし、不思議な霊の体験はさせていただけるし、今までの世界と全く違った天国暮らしの生活をして、毎日のように人に神教の話をしていました。
C 世界中のことが何もかもわかったような気になって、しゃべり歩いていたものですよ。
D お互いに皆経験のあることですね。今思うと冷や汗が出ますよ。
E 急に偉い者になった。増上慢ですね。私どもがあの頃のように有頂天になっていたら今ごろは邪神のおもちゃになってしまっているでしょうね。
F 大神様は神行とは病気を治すことでもなく、霊眼や神眼が開けて不思議な世界を見ることでもない。魂を磨いて神に行くことだとお説きになりますので、私のようなものも増上慢にならずにすんだのでしょう。
G 私は今もって皆様みたいな霊眼も神眼も開けないのですが。
C 前世の行が皆違うので神眼の早く開ける人もあれば、私みたいにいつまでたっても開けない馬鹿もおります。
A いや馬鹿が一番良いのですよ。
司会:皆さんは辻説法など何百回、何千回もやられたでしょうが、その反響はどうでしたか。
B 1,2回ではだめですね。何度も根気強くやっていると、本当にわかって入教せられる人もでてくる。はじめは見世物でも見るように好奇心が半分以上でしょう。誰か中心になって熱心にやっている人があると、そこから芽が出ます。
C 大神様がおいでになると、たちまち発展しますが、私共は実行ができていないので叫ぶ割に相手の人に響かぬのだと、いつも反省しています。
D お互いにそうです。神行と伝道とは車の両輪のようなものではないでしょうか。
司会:皆様の家庭や職場での行についてお話いただきたいと思います。
H 私の所には子供が沢山いて親の言うことは聞かないし、金を持ちだしてはつまらぬ物を買っては、今までずいぶん悩みました。しかしこれも私どもが通らなければならない行だったのですね。親がやってきた通りを子供が繰り返すことが反省してみれば、恐ろしい程良く判ります。ですから親の反省懺悔がでないうちは、いくら子供を責めても絶対に良くなりません。ただ反感を起こすだけです。
E 子は親の鏡。神の子を作るにはまず神の子の親を作れとご説法くださいますが、全くその通りだと思います。
H 誰でも持っているだけの本性を全部さらけ出してしまわないと、行の道は進まれないのですね。
C 本性を出しては、反省懺悔してそれをもぎ取って行くより外はないのでしょう。
E 醜い本性を出すまいとしていても、神様から試験問題を出されると、つい引っかかって本性丸出しです。こんな本性を人に知られたくない、体裁が悪いと表面を飾ろうとする悪い本性を持っていることに気付かされます。
B それがわかっていても、なかなか直すのはむずかしい。
A 見栄体裁をつくろう気持ちが一番いけないのですね。
C 私は神行生活というものは、明るいのんきな面がなくてはならないと思うのですがどうでしょう。
D 反省懺悔と明朗とは同じものでしょう。真の反省懺悔が出てこそ心の重荷もおりて自然に明朗になれるのではないでしょうか。
E 反省懺悔の方はそっとしておいて、表面を明朗にするというのは嘘ですね。
B それは喜劇役者と同じでしょう。舞台の上では面白いことばかり言って、家に帰ると柿の渋を飲んだように難しい顔をして。。。
D 私もその一人です。人に対しては朗らかだが、家庭では苦虫を潰したようだと、よく家内に言われます。
G 一般に日本人は亭主関白が多いようですね。主人は自分が偉い者だと思って奥さんばかりを責める。奥さんは心の中では主人を恨んでいるが、言えばごたごたするから黙っていて、その反動を子供に回す。子供は年中叱られてばかりいて、冷たい家庭が嫌になって親の目を盗んで悪いことをする。
H 私共は大人になった途端に、子供の時を忘れてしまうのですね。近頃子供を叱っていると、何十年も前に犯したことが、まざまざと心に浮かんで来て、自分で自分を叱っている気になることが多いですね。あれも神様に突出されているのですね。
D お前はこんなこともしただろう。天の写真帳には皆ついておるぞ。とね。
C 神の前には大人も子供もない。皆が同じように行をしているのですね。お互いに偉い者は一人もない。お互いこの世に生かされている間に、皆が欠点を直し合って、仲良くやっていかなければならないということが、良くわかります。
(注)外霊については生書1巻P312,406 天声18号、天声126号P87などに詳しく書かれている。例:同志古谷郁彦(津村)さんの外霊体験。
神教をいただいてから、私は日本人の不成仏が次々に救われていくのを目撃した。しかし宇宙絶対神が降臨された以上世界各国の霊も救われなければなるまいと密かに思っていた。すると昭和21年11月頃、大神様はある同志を前に出されて舞わされた。お歌説法の途中、「外霊よ、入れ」と叫ばれた。彼女は支那語を喋り始めた。満州に17年いた私は支那語を知っていたが、その流暢な発音に全く驚いた。又他の女性には欧米語が聞かれた。そして2人は互いに語り合った。霊に憑かれて異国の言葉をしゃべる人の背後にカゲロウのような者がたちこめていた。霊はカゲロウのように、高級な霊ほど神々しい色に包まれ敬虔な気持ちを抱かせる。昭和22年1月私に米人の霊が憑き、女学生にフランス人の霊が憑いた。私の口を借りて喋る英語・女学生の口をついて出るフランス語、いずれも流暢そのものであった。それらの霊はクリスチャンであった。外霊は自分の国の知人や友人の霊を連れてくる。生きた人間と同じく、一時も早く成仏させてもらおうと、我先に来るようだ。その外霊が救われると、彼らは私達を愉快にしてくれる。温かい慰みとあふれる喜び、そして力強い勇気をくれる。東洋人の霊は沈鬱だが、欧米人の霊は快活である。彼らは独特のリズミカルな歌に合わせて人を舞わせ、地上最高の幸福な境地を味わわせてくれる。しかし歌に自我が入った途端、退屈感が起きる。肉体は霊の受信所、因縁ある外霊しか宿らないのだろう。その外霊たちは悟った段階で説法した。三原の森本氏の外霊は全くすばらしい。外霊の説法は私らの語学力では解せない。しかし高級霊の言葉は、一々の意味は解らなくても魂に響く。大神様のご説法が外人の魂に響くと言われるのもうなずける。救われた外霊は寝床に休む私達の耳に、うっとりする美しい歌を聴かしてくれた。大神様も「その通りだ」とおおせられた。霊界は誠に美妙な世界だ。成仏した霊の顔は柔和である。神になられた霊の顔は、なんとも言えない威厳がある。私達の知らなかったこの霊界に世界平和の糸口があり、また結びがあることを悟らしていただける。外霊たちは各国人種であるが世俗の国に囚われていない。これは嬉しい。人種の差別のない、国境のない真の世界の平和な建設は、こうした霊界の掃除から行われると確信する。
(注)悪霊済度・世界平和の法力あるお祈り。この意味がよくわかる記事(天声18号)である。同志の中には、外霊がつき毎日でてくるので、いい機会だと思い、大神様とはどういうお方ですかと、外霊に質問した人もいた。「宇宙の絶対神です」と聞き、それから本気で神行を始めた人もいた。(清石清子:天声85号)