自分とは

自分とは何かという問いに対して、答えられない人が多い。しかしよく問い詰めてみると、利己の「己れ」、即ち諸欲の主体が自分だと思っている人が多いことに気付かされる。美味しい物を食べたい自分、金が欲しい自分、出世したい自分、美しく見られたい自分等々の自分である。
諸欲のもとは本能であり、それは盲目的に生きる意欲であり、肉体を維持する機能で、肉体と共にあるものである。従ってほとんどの人は肉体が自分と思い込んでいるのである。この人たちは必ず死を恐れる。それは死は自分に無をもたらすものであると信ずるようになるからである。それで「生きている間が花よ」と好き勝手に人生を楽しもうということにもなる。このような自分を小我とか自我と言い、それは幻想としての自分でしかない。この「自分」は起きて意識がある間だけ存在する「自分」であり、死後はなくなる「自分」である。自分の脳が無意識で作り出した架空の存在でしかない。本能からくる欲望を肥大させ、それを達成することを「自分」とし、「利己」のみを「自分」と考えている。「捨てておくれよ己の利己を」「自分を捨てなきゃ救われない」と教えられるのは、この「利己」であり「自分」である。この意識が作り出した「自分」は、その人生のみの自分であるが、人間にはもう一段上に「本当の自分」がある。これが魂である。魂は霊界という異次元に存在する。理論物理では、すべての事物は11次元空間に存在していて、目にする3次元、体感する「時間」を加えた4次元時空以外に7次元もあるという。この他次元のどこかに「魂」はあるのだろう。従い時間を超越しており、死後も存在、次の生に輪廻して引き継がれる。この魂こそ「本当の自分」真我である。真の喜びとは魂の喜びであり、魂が天国に住める喜びである。人間の苦しみとは魂が地獄にいる苦しみであり、自分のなした悪の報いの苦しみである。これがわかると、悪を避け善に勤め、本能の欲望を肥大させないよう制御する大切さがわかる。これを教えてくれるのが真の宗教である。これに気づかせてくれるのが真の宗教である。しかしそれを妨害するのが「利己の自分」とこれまでに積んできた悪である。古来宗教はこの自我を捨て無我となり、真我に目覚めることを教えている。この真我こそ八百万の神としての人間の主宰者であり、意識以上のところから自分を支配しているものである。
無我になると今世の自分と来生の自分とを同一視できるようになり、生も死も無い境地になるそうである。この小我・真我を解りやすく図示しているのがブラッバッキー「シークレット・ドクトリン 」中にでている。本当の無我が良く実感できるのは大神様の最晩年の一連のご説法であろう。ここでは肚の神様は一切の食事を取らなくされた。紀元22年11月4日からである。大神様は当然やせられ続け、死が目前に迫りきつつあることを意識されている。(魂の鏡である顔だけは最後まで神々しく、やせたりやつれたりされなかったようだ)しかし説法は以前と同じく12月27日まで連日続けられ、迫る死に対して何の揺らぎもないことをご説法で示され続けた。
大神様の23年間は生も死も超越した日々であられたのは、多くの同志が見聞きしているが、誰でもご説法を聞くだけで実感できるのは最後の日々のご説法であると思う。
(注)無我になった人間に「自分」がなくなるのか、死後に「自分」がなくなるのか、という問題が昔から論じられてきた。天声265号の中山公威氏の記事にも書かれている。「自分」の魂・自分の「天の写真帳」(因縁因果)という「自分」は死後もある。この「自分」は輪廻により次生に出てくる。例えば赤垣さんのように霊能が優れて死後の「自分」を実感した人もいる。赤垣さんは生涯を通して多数の霊体験があり、天声16,199(手記),239,343,369,405,409,419,427,489号(手記)、広島北地区史、に書いている。これ以外にも書ききれない程多数の体験がある。4・5歳ぐらいから霊が見えることがあった。また火事が起こる3日前にはっきりとした霊視があり最後に火柱が倒れた方向に火事が起こった。何度もあたって村の評判になり、警察は放火を疑い厳しく取り調べた程であった。ある時火事の予言をした時村中の人が家財を持って避難し、消防はホースをつないで3日間、予告された付近で寝ずの警戒をしたが火事は出なかった。村人が帰って、消防も引き上げた4日目の深夜、予告された付近で火事を出した家があり、十数軒も燃えた。警察はお菓子を持って謝りに来て、今後も予告があれば教えてくれと頼みにきた。火事の因縁はつきまとい、大道場建設中の紀元19年5月1日、清水建設飯場が作業員の寝タバコで全焼した時、自分の工具を取りに行き、警察に捕まり厳しい取り調べを受けた。大神様は無実の罪で監獄に入り死ぬ因縁がこれで切れた。おめでとう。と言われた。
10歳の時あまりの貧しさ(父親の工場が火事で全焼して破産・家出した故の貧しさ)で医師にかかれず病気が手遅れになり黄疸が出て意識不明で死にかけた。その夜夢枕に白髭で白衣の老人が現れ「北の医者に行け」と何度も指示され母に伝えた。母が早朝連れて行くと(その医者は高齢で病院は閉鎖されていた)その朝は医者は真新しい白衣を着て何度も玄関に出て誰かを待っており、「おおよく来た」といい、直ぐに治療してくれた。投薬を20日続けて助かったが、その治療費のために、家は無一文になった。最後に10日分の薬を恵んでくれたが、その晩医者は死んだ。入教後大神様は赤垣さんに言われた「その医者は、6ヶ月前に寿命がなくなっていたが、(お前を助けるために)生かされており、それで(お前を助けたことで)、彼も救われた。お前の見た白衣の老人は皇大神だった」。最初の道場参りの最終日のお祈りの時、大神様の所に皇大神を見、目を開くと大神様がおられ、目をつぶると皇大神がおられるという体験もされた。大神様に申し上げると、にっこり微笑まれた。大神様に宇宙絶対神が降臨されていることを、初めからはっきりと見ていた。
2013-11-28 絶体絶命 の記事で赤垣さんの腎臓・肝臓がんから救われた奇跡を紹介したが、この時彼は40日間意識不明40度ー43度の高熱で寝たきりだった。しかし夢では大神様からのご指導を受け続けており、臨死体験そのもので、寝ている自分を3mの高さから見下ろしている「自分」、大神様より「ここが三途の川で参道の川と書く。死後49日をすぎるとここに来て、天国・精霊界・地獄界に自分で行く」などと教えられている「自分」、大神様の周りにいる即身成仏できた古い同志の方々、など多くを見聞きしてから行き戻るという体験をされた。多くの体験から「神の国という別世界は確かに実在する。救われた嬉ゅうて楽しゅうてならない喜びの世界が確かにある。自分はその実態を知らせたい。」と度々話された。
大神様はご説法で話されたことがある。(同志は)お祈りの時目をつむれば、金色の天照大神、白髪の皇大神、目を開ければ大神様が見えることがある。