下がる行
Aさん(女性)は晩年(死の2ヶ月前)の大神様に個人指導を受けた。「一生懸命やらせていただきます。」と言うと
「一生懸命やると言うてものう、下りきらんにゃそれがやれんので。お前には家族が何人あるか」
「5人でございます」
「その5人の中でも一番下がりきるというのはつらいんで。馬鹿になって下がりきること程、この世界につらいことはないが、下がりきらんと皆はついて来ん。1にも下がり、2にも下がり、本当に下がりきらんことには神行、神に行く道を行かれん。下がりきって真心で行く以外、神の国も開けんので」
Aさんは平身低頭して「大神様やらせていただきます」と申し上げると
「今お前の下げたのは肉体の頭を下げただけじゃが、本当に下がるというのは、宇宙絶対神のみ心にかなうよう、魂が下がりきることなんで。魂が下がり切って魂が合正の姿になって祈る所に初めて法力が与えられる。神心にかなうように下がりきらんにゃ、何ぼ祈っても法力はないんよ。下がっちゃ、反省しちゃ、懺悔しちゃ、やっておくれよ。下がりきることはつらいことじゃが、つらいとこで終わっちゃだめなんで。喜びの世界の下がりきるんでなきゃ、行かれん世界じゃけえ」
「一生涯下がり切ったら、馬鹿みたいに思わんか?さえんのうと思うじゃろうが。違うんで。下がりきって最後の最後に宇宙絶対神様から、ぱっと引き上げられるど。これまで行かにゃだめぞ。”八百万の神とは人間なのよ。”と言う。その八百万の神の器になるまで下がりきらんにゃならん。神の国を作るには一人一人が神の子にならんにゃいけん。それでなくちゃ神の国は開けん。お前も一生涯下がりきってやってくれいのう。」
Aさんは「必ずやらせて頂きます」と誓った。
(注)Aさんは入教当初は家族に隠れての神行であった。広島に住んでいて、夕方の汽車で田布施に行き、駆け足で道場に行き、20分お祈りを皆とともにすると直ぐに田布施駅に戻り、汽車で家に帰るというお参りを度々していた人である。
(注)自尊心・自負心これがスウェーデンボルグのいう悪魔の王、自己愛の発露である。これを反省しては懺悔して、減らし、削り、封じ込め、習慣となるまで閉じ込める。これが下がる行。自己愛の根絶は不可能なほど困難である。仏教の最高到達点である、成仏の悟りとは、自己愛の制圧の実証のことである。大神様は繰り返しさまざまな表現で、自己愛の制圧を説かれた。憎い・かわいいを清浄にせよ。自我を捨てよ。利己を捨てよ。自分を捨てよ。増上慢になるな。下がる行をせよ。偉い人になるな。腹立てをやめよ。判ったと思ったら落ちている。
自己愛が減ると、すべてに感謝がわき、敵・味方という精神の緊張から開放され、嬉しくて楽しい感謝の世界に住めるようになるという。損・得、勝った・負けたの優越感・劣等感、羨望・卑下、これらの負の感情からも開放される。無我とは、我(I,my,me,mine 自分(一人称)の単数)が無いことであり、自己愛が克服された状態である。
下がる行の本質は、この自己愛との戦いである。自己主張をしない。得意にならない。自分が偉いと思わない。相手が悪い、自分が正しい。こう思った時は、いやいや自分が悪いと誰に対しても思わないといけない。理性は棄てずに馬鹿になる。馬鹿とは自分を見ない、自分の損得を重視しないことである。一切合切は神様の支配下に繰り広げられている事象である。嫌な相手、理不尽な事、不当なことを押し付けてくるのも、自分の因縁により、神様が出してこられる。嫌な相手の後ろに神の摂理(因果と、自分の悪癖改良の機会)を見る。だから感謝で受ける。何がでても、起こっても、これも自分の行、これも自分の行と感謝で受ければしめたもの。自己愛とは悪魔であり、神と相反する。自己愛の世界と神教の世界とは共存不能の世界である。利己こそは悪の根源であると大神様は言われた。
この利己・自我を否応なく自覚させる典型的な境遇が、子連れの人との結婚、それ以降の家庭生活だろう。大神様の出現は世界大戦直後であったから、夫・妻を亡くした人は多数いた。彼らが同志になると、彼らに配偶者を世話されたケースが多くあった。自分の実子、配偶者の連れ子、配偶者との結婚生活には、死亡したかっての配偶者の記憶・それへの嫉妬を克服する深刻な行があった筈。相手を自分の所有物と思う自我を克服し、相手を厳しい境遇を克服してきた立派な人間として同情・尊重・尊敬できるまでなって初めて家庭の平和ができる。すると、この境遇に自己愛を減らす行ができてありがたいと感謝がわく。
悪魔の世界、地獄さえも、後ろでは神様が支配している。これはスウェーデンボルグが詳しく述べ、大神様も説法で等しく説かれている。地獄で悪霊集団に苦しみを下して地獄の秩序を守らせ支配している特殊な天使がいる。これが大神様が「官職」につけるといわれている霊なのだろう。(参考:天声559号P111)詳しくはスウェーデンボルグ 天界と地獄。仏教では閻魔大王の部下・獄卒などのことを「官職」についた地獄の天使という。
(注)Bさんが帰ろうとしていると、大神様から同じ支部のCはどうしているかと聞かれた。「その方は一生懸命行じておられます」と申し上げると
「行じよる。行じよると思うても、自転車に乗って前の自動車ばかり見ていたら、どこに落ち込むかわからん。また高い山の上に空車を押し上げても何の役にもたたんじゃろうが」
というご注意を頂き、Cさんに伝言した。人対象の行でなく、肚を崩さず真心で向き合う神対象の行をする。心の掃除ができないと神の国では役立たない。また徳を積まないと役に立たない。と言われたのだろう。
(注)飼い犬は家族間の力関係に正直に反応すると言われている。力上位の人間の命令は良く聞くが、下位の人間は無始する。下がる行に徹した時、飼い犬の反応がどうなるかは、興味深い点だ。犬が良く聞くようになれば、犬は霊的力関係を見ていることになるし、聞かなくなれば、犬は現象界の力関係を見ていることがわかる。