冷たい人

Aさん(女性)はひとり子で育った。大神様に初めてお参りした時、思いっきり悪口を言われた。
「男か女かわからん女だ。冷たい女だ。心の冷たい女だ。日陰のスイカみたいな味もそっけもない。とても冷たい女だ。冷蔵庫の底みたいに冷たい冷たい。」
帰りには悲しくなったが、周りの人々は「大神様にお言葉をかけていただけたのは、天女の袖に触れるようにありがたいことです」と羨んだ。事実、Aさんは人生の最後まで神教から落ちなかった。お参りした時、特に選んで悪口を言われた人達は、”水準の高い、見込みのある”人達であったようだ。便所の汚水をかき回した、糞の付いた棒に、素手では触れないが、水洗いして、まあまあ綺麗になれば、素手で触れる。大神様が悪口を言われるのは、その人の魂に素手で触るようなことらしい。言われた人の魂は神の目に留まるだけ綺麗であったようだ。
天声の記事で、初心者が最初に間違うのがこの辺である。「この人はこんなに大神様から度々お叱りを受けたのだから、よっぽど問題児で、どうしようも無い人だったようだ。」と考えるのは大間違いということである。大変真心持ちで見込みがあり、大神様が何とかして真人間に導き、救ってやろうと愛情を多くかけ続けた、とても因縁の良い、運の良い人達なのである。
お叱りは自分にも、その傾向があるのではないかと、反省する機会と捉える。
心が冷たいのは、自己中心だということだ。自分の事をまず考えるから、他人と真正面から向き合うことが少ない。頭が良くて計算が早いとこうなり易い。頭と言葉を反射的に折り返すと冷たくなりやすい。苦労したことがないと、他人の痛みに気づきにくい。同病相憐れむ。苦労は心を暖かくする効果もあるようだ。
Aさんは、後には、この頃はよくなった。と褒められるようになった。
大神様の晩年のご説法には、神教初期の頃から熱心にやってきた古くからの有名な同志に対する、「口を極めての」非難、お叱りがしばしば織り込まれている。これを聞く我々が、あの人は大神様からダメ出しされた可哀想な人だと思うと間違いである。本当は、その同志に越えがたい程の大試練が迫っており、その原因である罪(前世も含めた)を真に懺悔しない限り、乗り越えられないが、当人はそれに気づけない、従い懺悔が神に届かない。この時、大神様がご説法で当人に「赤っ恥」をかかせるという試練により罪を許し、大試練を乗り越えさせ命を救う。罪が生きている間に許されたことで、死後に即身成仏できる、このように想像できるケースが多数ある。同時に皆の慢心を戒められたようだ。神でこそできる、蹴り落とすでない、蹴りあげる、慈悲の神業である。これは皆は真似をするなとも言われた。