真心と真心の通じ合う世界

真心と真心が通じ合うのが神の国。2人の人間がいて、共に神の国に住めていると、真心と真心は通じ合う。しかし片方が神の国にいないと、この真心尽くしが異なる様相になることもある。
相手に真実の救いの道を教えてあげようと、真心でしたと自分が思っている事が、相手によっては違う受け止め方をされているケースは多々ある。自分を騙そうとしているのではと気持ち悪がられたり、迷惑に受け止められたりしているケースすらある。伝道の時に良く起こる現象である。逆にいろいろの場面で、相手の真心を自分が誤解・曲解してしまうこともある。
相手の真心を素直に受け止められないのは、自分の心の回路が歪んでしまっているためだ。自分が持って生まれた性向と積み重ねてきた悪い習性が、決定的な間違った回路を脳内に作ってしまう。すると相手の真心が大きく純粋であれば有るほど、その浸透力は大きく、自身の回路誤りにより、間違った解釈の元、自分の悪心が強く刺激されてしまう。すると良心との葛藤が大きくなり苦しむことになる。
地獄の霊が天界に連れてこられると、回りの善霊からの流入により苦しみ始め自分自らを地獄に投げ落とす。とスウェーデンボルグが書いているのは、まさにこれだ。
反省懺悔と正しいお祈りが、自分の不正回路を教えてくれる。神の国に住まうという究極は、成仏すると同義語。成仏とは殺賊(自己心中の賊、悪魔、邪神を滅ぼす。自心の外の悪魔を殺すのではない。)
邪神は自分の邪念じゃで。出てくる邪念を打ち払い打ち払い死ぬまでかかろうとかまやせぬ。神行、神に行く。という神言もある。