家の掃除と心の掃除
自宅が綺麗に掃除されていることと、その住人の心が掃除されていることは、無関係ではない。自宅が汚れ、散らかり放題の人で、心が清らかということはない。心の清らかな人は自宅や周囲の掃除・整頓に精を出すはず。しかし自宅が掃除され尽くしているからといって、心が掃除されているとは限らない。こういう、心(霊界:実相界にある)と自宅(現実:現象界にある)との関係が相応。実相界で(心が)綺麗なら、現象界でも(自宅が)綺麗になる。これを現象界は実相界の陰であると表現する。逆に現象界で綺麗だからといって、実相界できれいとは限らない。現象界が実相界を決定できないためである。
心の掃除というのは天照皇大神宮教のキモである。「やっておくれよ神国のために。神国のために何をやる。おのれの心の掃除が第一よ。」「神行とは神に行く。自分の心の掃除より外にゃない。」と大神様は常に説かれた。しかし「心の掃除」というのは直ぐにはわからない。法華経に火宅の人の比喩がある。心の風景を描写している。ゴミが散乱し,ドアは破れ、台所は水浸し。毒虫・毒蛇はうろうろ、野犬・野獣まで住み込み、糞をし放題。そこに火事が起こる。云々。自宅の掃除では、ゴミを見つけ、汚れを見つけ、掃除する。そして普段の生活で汚さないように気をつける。掃除のコツは、一気にはできないことを知って、気づいた少しの所を毎日掃除することから初め、段々習慣となり工夫を重ね、広い範囲を掃除できるようにする。すると掃除が楽しくなる。心の掃除も似ている。「凡事徹底」という本に良く書かれている。
自分で気づくちょっとした悪い癖を治そうと努力する。パチンコ好きを治す。食べ過ぎる癖を治す。浮気癖を治す。これらに努力すると、心が落ち着いてくる。人間本来の心が出てくる。生まれ育った家庭環境、学校・会社・社会での悔しい経験、家族間の葛藤・自負心と劣等感、強すぎる欲望、心の傷・トラウマ・ひがみ、などを反省して意識する。すると、これまでに犯してしまった、人にかけた迷惑・生き物にかけた迷惑・物の無駄遣い、神仏に対する嘘と冒涜などが懺悔できるようになる。すると結局、大本の原因が、自我であり、因縁であることまで分かるようになる。
「心の掃除」のキーアイテムは名妙法連結経のお祈りである。悪い癖に染まると悪霊がつく。「邪神は己の邪念」と説かれた。例えば、盗心が強く盗み続けていると、石川五右衛門などの霊がつき盗人の達人になる。どんどん深みに沈む。この悪霊を取らないと正常な心に戻れない。悪霊済度のお祈りが必須である。祈りと反省懺悔を続けて、正常な人間の心、真人間の心に自分を直し続ける、これが神行。名妙法連結経のお祈りがないと、自力だけで掃除するのは不可能であり、これを「名妙法連結経でないと救われない」と言われた。「心の掃除」が進んで自我の克服・因縁を切る段階まで近づくと、非常に困難になってくる。「心の掃除は大変厳しい行だ。これに人間は気づいていない。」と言われた。自分の習慣・習性・癖・発想の根本を直す。自分の楽しさの根源を理性で捨てる。これはいかに困難か想像できる。これを直さないと生きられないという所まで追い詰められて初めて直そうという決心ができる。相当痛い目に合わないと直せない。
行の相手の行為・言葉が自分の魂から突き出た悪癖を刺激する。これで悪癖が良く自覚できる。悪癖が多すぎ深刻すぎると、ひかかりが多すぎて進めない。大神様は綿の着物を着て森の中を歩けまい。と表現された。余る悪癖・利己心をぶちもいで、足らない仁慈の心と勇気を継ぎ足して神に近づく努力を死ぬまで続けるのが神行。
家の掃除は人に頼んでもやれるが、心の掃除は自分の肚でしかできなし、人から言われてもできない。人に注意してその人を直そうとしてもできない。神様は実に要点をついて教えられている。
「己己の心の掃除は、己の肚でやらなけりゃ、人から言われちゃやれません。」
また一気にできず、毎日の積み重ねでしかできない。人の心はゼンマイが巻いたように曲がりくねっているから、ちょっとずつ伸ばしていかないと真っ直ぐにならないとも教えられた。
参照:2013-08-14 心の掃除
http://d.hatena.ne.jp/Newshirogarasu/20130814/