牛も聞く

大神様(北村サヨ)がインドのカンプールで説法した時、1頭の雌牛が聞きに来た。重い鉄の扉をこじ開けて入ってきて、追い払おうとしても出ていかず説法を静かに聞いた。2日も続けてそうした。3日めには人々は扉を開けてやった。隅で静かに聞いていた。大神様が次の地に移り、説法がその家でされなくなっても、その牛は門のところまでしばしば来ていたそうだ。また大神様は虫とも話をしたという話もある。九州の歯科医(小河清里)は大神様が泊りがけで治療に見えるというので、家中を大掃除して磨き上げ、天井の蛍光灯のカバーまで磨きあげていた。翌朝大神様が昨夜は蛍光灯の所のヤモリと話したといわれ、自分がセットした時いなかった筈と思ったが、蛍光灯のカバーをはずすとちゃんといた。また虫と話すともいわれた。
他の例では、北村家の田植えを手伝い(ご奉仕)にきた農婦(同志)がヒルに足を吸い付かれたが、大神様が田に入られるとヒルは来なくなった経験を書いている。
別例では、養蜂をしていた斉藤忠雄の納屋の巣箱から蜂が逃げ出した。大神様に申し上げると「喧嘩蜂が逃げた。もっといいのが戻ってくる」と言われた。そこで蜂箱をそのまま納屋においておいたら、翌年日本ミツバチの群れが蜂箱に入ってきた。大神様が動物を支配されていることに気付いた。
大神様になる以前の昭和19年にもすでに動物を支配していたようだ。以前から北村サヨ家の稲の苗代にはカラスが来ずに、近くの藤井家の苗代にはカラスが餌を取りに来て歩き回っていた。「藤井は心が綺麗になってきたから、カラスはよそへやろう」と隣の奥さんにしゃべつていたら、不思議に藤井家の苗代にカラスがこなくなった。
大神様のハワイ巡教を支援していた中司氏は大規模な漁業者だったが、大神様がお祈りしてあげ、漁に出るとハワイの記録になるような大漁であった。一網で3トンも穫れた。大アジの大群が静かにぐるぐる回っているだけで暴れず網も破れなかった。同じような奇跡は地元室積でも起こっていた。昭和32年−35年頃の天声の写真には大神様が同志を連れて海遊びに行かれた写真がある。40CM程の鯛を手にされた大神様や、50CM程の黒鯛が背びれ胸鰭を一杯に開いたものを手に掲げた大神様のお写真がある。これらの魚は採れたてで元気な魚であった。少しでも暴れれば怪我をする危ない魚であるが、大神様はさっと素手で掴まれて高く掲げて写真を取られたそうだ。きっと魚に言い聞かせられていたのだろう。
海外では、レベルの高い人は、大神様の説法が日本語であり、日本語を知らないにもかかわらず、良くわかった。インドのチトリー博士は、日本語を全く知らないのに、カンプールでの説法をヒンズー語に同時通訳した。別の人は説法の終わった夜に夢をみた。日本語がわからないというと3時間にわたって現地語で説法を聞いた。(夢の中で)同じ体験をした人は複数いる。(天声443号)大神様の世界巡教中、アメリカでもヨーロッパでもアフリカでも南米、中米でも「魂で聞けた」人はかなりの数にのぼった。
スウェーデンボルグは人の魂のレベルにより、人間の認識法が違うことを書いている。最高は、内なる神に直接教えられる。何でも直ぐに分かる。次はインスピレーションによる認識ができる。つまり「魂で聞ける」。次が普通の人で、書物などを読んで理解し、言葉を理解して初めて分かるレベル。
動物が帰依したり、動物に説法したというのは仏教にもある。猿がお釈迦さまに蜂蜜を差し上げたり、デーヴァダッタにより酒を飲まされ釈尊を殺そうとして叱られた象がいる。これらは「ジャータカ(仏教説話)」にでてくる話である。
大神様のご説法には多くの種類の逸話が盛りこまれている。大神様に接した人々も多くの奇跡を経験、見聞きしてそれを記録に残している。これらの話がそれぞれ伝えられ「お経」になり、後世まとめられたとすると「新ジャータカ物語」が誕生するだろう。大神様の逸話はすべて真実で神様が起こした奇跡と人間道の教えに裏打ちされている。神様とはこうよと人間に教えられている。ここから仏教のジャータカも真実で、元の出どころは釈尊のご説法や当時の人々の経験した出来事だったと想像される。
人間には目・耳・口・舌・鼻・皮膚などの感覚器官があり、それで音を聞いたり、物を見たりできる。自然界の刺激が多すぎるため、人間は見たり、聞いたりするのは、これらに限られると思っている。しかし霊界にある人間の魂にも、耳や目などの感覚器官があるという。通常これらは閉じられている。しかし、宗教に深く入り、修業するとこれらの感覚器官は開かれ、霊界の声や音を聞いたり、霊を見たりすることができるようになる。魂で聞くとは、魂の耳の開いた人の言うことである。大神様は神力により、必要な人には魂の耳を開かせたのだと推察される。完全に開くと、大神様の事例のように、虫や動物、植物とも話ができ、火鉢とも話せるようになる。ルドルフ・シュタイナーによると、これら霊能を開く修行の方法は各種存在するが、最も安全で確実なのは、道徳を守り、慈悲心を養い、悪癖を直し、反省懺悔をし、徳を積む、つまり仏教の8正道の実行であり、神教でいう真人間の道を踏むことであると書いている。大神様が「真人間になれ」と言われるのは、正しい霊能者になるための最も確実な早道でもあった。
そこまで行けなくても、正しい人間の道を踏めば踏むほど、大神様の言われることに納得し承認できるようになる。耳で聞いて、内容を理解し、合意・承認をしないと、話された事は心に入らないし、魂までも届かない。魂で聞ける人は大神様を神様と承知・承認している人でもある。