千年の古狐

天声を読んでいると、大神様の直接のご指導として、「狐が15匹憑いちょる」「狸がついちょった」とか、同志がお祈りしていると狐が飛び出した、夢で見たとかいう体験が多く出てくる。ご説法にもあれには千年の古狐が憑いていたとかいう表現もある。たいていは悪霊の一種ではある筈だが、善霊の狐もあるようだ。哲学院(加藤泰山)で、終戦前、副院長だった霊能で有名な同志(君国陽陰)に、お前には伊勢神宮で神の使いをしていた銀狐が憑いていると大神様はいわれた。何で「狐」なのだろうか?狐という動物が修業して霊能力を強化することなどありうるのだろうか?呪文学習にはげむなどありうることなのか、と私はかねてより疑問に思ってきた。しかし大神様に間違いは絶対ない。
一つのヒントは古代中国に同じ表現があることだ。そこでは狐・狸でなく狐・イタチというようだ。封神演義Wikiにも紂王の后「妲己」が千年の古狐に憑かれた美女であったとされている。古代中国の絶対的な女神は「女・(女偏に渦)」」と呼ばれていたようだ。中国では長らく道教が盛んであったが、道教の公開経典は老子の道徳経しかない。(道蔵経、丹経というのもあるようだが日本ではあまり知られていない。)内容は抜群だが非常に文字数の少ない本で5000文字ぐらいだろう。それなのに何故道教がかくも中国で盛んに伝承されてきたのだろうと疑問に思っていた。どうも道教の本質は秘密修行法であるらしい。そこでは師は弟子を2,3人しか取らず、(自分の眼鏡にかなう人物だけを弟子にする)最高秘密法の伝授は一人にしかしない、という伝統らしい。多くの隠れた隠者・聖人がいて世に出ること無く続いて来たというらしい。老子の教は「世に出るな・自分の才能や光を外に漏らすな。馬鹿のふりをしろ」ということだから、当然こうなる。彼らがその地方の悪霊済度を多少でもすることで平和があったのかもしれない。ブラバッキー(神智学会創設者)の著書にもその一端が出てくる。河口慧海チベット旅行記にも、白巖窟の聖人(仏教の秘密修行者)が出てきて慧海が眼鏡にかない秘密法の伝授を受けたことが書かれている。空海も唐の西安で恵果から密教の最高秘密法の伝授を受けている。日本の神道も同じような性格なのかもしれない。
仏教も道教も秘密修行となると大差ないようだ。このような秘密修行の聖人(典型はミラレッパ)は多数いるようで、仏教では「独覚」と呼ばれている。独覚の紹介はhttp://www.bukkyouoshie.com/budda/dokkaku.htmlに出ている。
大神様の世界御巡教では「神の臨在」を魂の水準の高い人々に示され、それだけで同志になった人々がいた。彼らに神智学会関係者が多数いたようだが、彼らは「独覚」系の勉強や啓示を受けていた人々のようだ。
このような人々の書の中にも狐・狸(イタチ)などが何故強力な霊体に育つかが書かれている。
日本で考えると、ある人が金持ちになりたいと渇望していて日々祈っているとする。その心に、偶然少しの霊力を得た狐が近づき、望みを叶えてやるように手助けする。彼は大金持ちの事業家として成功し、家にも会社にも狐像の廟を作り拝むようになる。彼の成功を見て大勢の欲深い人々が、あやかろうと熱心にそこに祈りにくるようになる。狐像にいる狐の霊体は人々のどす黒い欲念を日々吸収しつづけて、段々強力になる。
ある日、心の悪い修験者が、その像に「自分も世間で成功したい、有名になりたい、」と祈ると狐の霊は乗り移る。その修験者は人間であるから修行ができ、呪文なども覚えられるため、彼を使って狐は「修業」できてしまう。彼は悪の霊能者になる。魂は狐に食い尽くされ捨てられる。このことが繰り返されて、千年の古狐という強力な悪霊が出来る。このように説明している人もいる。
教訓:お祈りする場所と対象は素性正しい神・仏でないといけない。正しいお祈りでないといけない。自己中心の欲念が野放しになっていないか日々反省懺悔し6魂清浄を目指す。人間の道を踏んでいるかと常に心を緩めない。これが大事。この人間道を守るという一点が正教と邪教を分ける。
大神様はこの頃は神社や寺は(霊的には)狐の巣になっていると言われたが、その通りであるようだ。紀元元年(昭和21年)本部にきた女性に300年の狐がついていたが、あの狐は娘が女学校の修学旅行中に京都の清水寺で弁当に玉子焼きがあったので付いてきた。と大神様は言われた。清水寺地主神社)には恨み杉という霊の本場スポットがある。
(注)神様の神力と悪霊の霊力はもちろん比較にもならない程神力が大きい。しかし凡人には悪霊の力も十分強力で、そのことが良く分からない人も多い。そのため神通競争がされたことがあるようだ。
旧約聖書出エジプト記7.1ー14.29
釈迦一代記(河口慧海):神通競争 p150−168
天照皇大神宮教でも所々に痕跡の記述はある。興味のある人は天声を調べれば多く発見できるだろう。名妙法連結経のお祈りの強力さが良く分かる。
(注)神智学会の主唱者はブラバッキーで協力者はオルコット大佐である。オルコットは明治22年に日本にきて講演しており、当時日本にいたフェノロサやドイツ人医師ベルツとも会っていた。ベルツの日記(明治22年3月7日)にその記録がある。これは博学で有名な(最近閉鎖された)ブログに紹介されていた。オルコットは指に3個のダイヤのついた大きな金の指輪をつけていたが、その由来を彼は語った。「オルコットの眼前で、ブラバッキーがバラの花から金の指輪を作り、オルコットの妹の掌に握らせ、その上からある動作をして、手を開くと3個のダイヤがついていた」と。ベルツはオルコットが立派な紳士なのに、このような事を熱く語ったのにあきれたようだ。しかしこれはブラバッキーの霊力の一端の記録なのだろう。
ブラバッキーの亡くなった後の神智学会の指導者はアニー・ベサントとダンマパーラーである。ダンマパーラーは仏教復興の聖人として有名で、日本にも来て各地で講演している。河口慧海チベット潜入時には仏舎利の入った銀の小塔をダライ・ラマに届けて欲しいと託している。河口慧海がインドに戻った時、神智学会は「チベット旅行記」を英訳出版している。「Three Years in Tibet 」。ダンマパーラーはスリランカ(セイロン)独立の父としても崇拝されている。ナイジェリアで大神様に導かれたグループの中心の一人はエサンであるが、彼はそれまで、アニー・ベサントの霊の指導を長くうけてきていたと書いている。(天声206号P85)
ブラバッキーの解説で秀逸なのがルドルフ・シュタイナーの著作集である。(霊的宇宙論など)大神様がハワイ巡教中、ハワイ島の噴火中の火山の流れる溶岩を見て「溶岩の上で火の霊が波乗りして遊んでいる。彼らは天狗のように鼻が高く、魂は人間より清い」(大神様海外ご巡教第1巻P153)と言われたが、シュタイナーの著作を読むと初めて理解できた。
神智学会は仏教、キリスト教イスラム教、ヒンズー教などの特定の宗教を信じてはいても凝り固まっていない、しかし宇宙の真理、人間の謎、神様、霊界などに興味を持つ人の集まりである。このため大神様世界ご巡教で、カルカッタ(インド)、トリエステ(イタリア)、モンテビデオウルグアイ)、マイアミなどのように現地の神智学協会で説法されたケースもある。またシンガポールのように後年、神智学会内部で神教が受け継がれていたケースもある。