幸福な死

死亡時に人生の総決算が行われる。人生の勝ち組とは天国に入ることで、負け組は地獄に入ることである。天国に入れた明確な証拠のひとつが、死後硬直が出ないことであるようだ。
死の時、肉体が停止してゆくと、自己の霊が現れ、自覚できるようになる。死ねばすべてがお仕舞いで、楽になると誤解していた人は、死後も自分が生きていて,知覚でき驚くそうだ。自分が死んでいることを理解できない霊も多いらしい。天照皇大神宮教の初期には、信者(同志)に先祖の霊、知人の霊が現れ、霊界での自分の状況を話したり、同志のお祈りで自分が救われつつある様子などを詳しく話した事例が多数ある。スウェーデンボルグの本にも、多数事例が出ている。仏教でも、河口慧海「生死自在」に大涅槃経からの引用が紹介されている(臨終と中間連続的生命と出生)。死後の霊の歩むコースは3通りといわれている。
1.最高度の善人は、天国に直行する。「生きた閻魔(大神様)の前が通れたら、死んで閻魔の前は素通りよ。」これは「即身成仏」できたといわれるコースである。一般世界では、極極稀である。死んだ人の霊は天使に取り囲まれ祝福される。この天使は強い芳香を放つているため、その場の人々は芳香をかげる。(玄奘明恵上人など大聖人の葬儀で起こったことがある)。天照皇大神宮教の葬儀では、かなりの頻度で、この現象が今も起こっているようだ。この死者は、幸福感に包まれて死亡する。そのため、死後硬直がおきない。さらに、死後も血色良く、神の愛に包まれているため、温かいままだったりするようだ。病気で死ぬ時でも、病気自体は直前には完治していて(完全な身体となり)、寿命で死ぬという不思議な現象がおこったりもする。維摩経にいう不思議遷移の死とは、この成仏なのだろう。
マタイによる福音書9.6 「人の子(キリスト)は地上で罪をゆるす権威をもっている」と書かれているが、大神様も同じで人の懺悔を受け、人の罪を許す権限を持たれていた。大神様に懺悔が届くと、罪が消され、死後に天国に行ける。このため同志に即身成仏した人が多数でたのだろう。
(注)大神様は昭和20年より芳香がたちこめだした。大神様の下着を洗濯した女性は、下着からの強い芳香をかいだ。海外巡教でウィーンの同志(ホレイニア)宅に泊まったが、大神様の寝たベッドからはその後長年、芳香がしたし、ノイローゼの人を寝せると治った。
2.最高度の悪人は地獄に直行する。地獄の鬼に囲まれるため、死者の霊は恐怖で慄き、こわばり、苦痛に歪む。これは現代では、普遍的に多い。
3.その他大部分の人は、天国でもなく、地獄でもない中間の予備的な状態(精霊界、中有)に置かれ、審査が行われる。審査は死者の手の指先から初まるという話もある。この状態は49日以内という。スウェーデンボルグが49日という数字をいい、仏教儀式でも49日という。審査を経て天国か地獄に振り分けられる。「貧乏人は持っている物も剥ぎ取られる。」という聖書の言葉は、「悪人は持っている正しい知識やわずかの善行の功徳も凍結され剥ぎ取られるように見える。根っからの悪人になって地獄に行く。」ということを表しているらしい。「足らない所は足してやり、余る所はぶちもいで」というように善人は悪と誤った教義を凍結され真理を足されて完全な善人にされて天国に行くらしい。天国・地獄に行った霊は、機会があると、やり直し・アゲインのコースに入るらしい。多分、人や動物に生まれ変わるのだろう。
審査は神様と対面することで行われる。「神は鏡。自分が映る」醜い自分に恐怖し死後硬直する。悪人程、神様に恐怖を感じるらしい。古代エジプトの図に、心臓と鳥の羽を秤にかけ、地獄、天国を振り分けている図がある。心臓は自分の愛を示し、自己中心であると重い。利他的であると軽い。「自己を捨てなきゃ神の国(天国)にはいかれない。」という大神様の神言と同じ意味である。この重い・軽いは死後の霊の心臓の重さを言うだけでなく、その人の罪悪の量を示し、さらに生きている時は、現実の肉体の「重さ」でもあると加藤泰山は書いている。大神様を背負った人はその軽さに驚き天声に記事を書いた。また木から降りる大神様を受けた同志も鳥の羽のように軽かったと書いている。さらに鳥のように「瞬間移動」した大神様を見た同志も複数いた。
死んでから天国に行こうとしても行かれない。生きている内に正しい人生・人間道を歩み、自分の心を改良しておく必要がある。「そちらへ行けば生き地獄。こちらに来れば天国と、道教えしているのが神様。どっちに行くかは自分で決める。神様は正しい道を示すのみ」と説かれた。
4.これらのコースに入らない例外的な人もいるらしい。「天魔」とよばれて、現実世界に執着し続ける霊で、人につき、悪さをするらしい(これをお祈りで済度するのが世界平和のためにも重要らしい)。
(注)ハワイの葬儀屋は、天照皇大神宮教関係者の死体に死後硬直が出ていないのが多数あり、あまりにすごいので、わざわざ大神様の所に言いに行った。これが天照皇大神宮教が本物である、強い客観的証拠のひとつである。(日本でも多数の事例がある。)ハワイは大神様が最も集中的に布教した所である。最初6ヶ月各島を周り、中核的な人を拾い上げた。その後2度のアメリカ布教の行き帰りでの各島巡教、カワイ道場開設のための各島巡教、最後の世界巡教の帰途と7度延約12ヶ月の各島巡教がされた。狭い地域の限られた人数に、濃密な個人指導が行われた。従い凄い神行経験をした人々が多数いた。アメリカが世界平和の鍵であり、アメリカへの布教の橋がハワイであると神様が計画したのだろう。
(注)天照皇大神宮教では、死亡時に考えられない程、嬉しそうに死ぬ人がいるそうだ。幼児を残し、病気で若くして死んでいく母親が、至福の表情で何故死ねるのか、回りが驚いたこともあるそうだ。同じような状況で、若い人が至福で死ぬ。年齢にかかわらず、死ぬ時、神様が迎えに来て、幸福感の中で死ぬのだろう。死後も、「神の国」霊界で働き続けることがわかるのだろう。
(注)天国に行けるかどうかは、心の掃除がどれだけされたかにかかっている。神様はすべての人を天国に住まわせたいと願っている。しかし汚れた魂の霊は、天国の、清浄な、相互が利他心で想い合う世界が苦痛で逃げ出し、地獄の不潔な、汚穢な(飲み屋もある、競馬もある、合コンもある)、自利、自己中心の世界にたどり着いてホッとし、始めて生きている実感を持つ。生きていた時がそうであったため。違うのは肉体というクッションがなく、表面を繕うという事がないストレートな、むき出しの霊の世界であることだ。そこで、他人の物が欲しいと思うと、直ちに強盗になり、相手が憎むと直ちに殺されたような苦痛を味わう。殺し殺され、奪い合い、姦淫の限りを尽くし罰せられ続け、食べ続けても満腹にならず食べ続け、しかし霊だから死なずに、これが永遠に繰り返される愚かな情けない世界。これを地獄という。
心の掃除、心の掃除と大神様が繰り返し強調するのは、そうしないと我々は神の国(天国)に住めないからだ。。
(注)生きている時の魂には有機的なベース(脳のシナプス回路を中心とする体全体)があり、時間をかけて改良して行かないと、綺麗にできない。「死ぬ時、行を取り返そうとしても、できない。」と言われた。(瞬間的な改良は不可能である。)一種の習慣として、利他的に思考ができる、真に自己より公共(神)の利益を考えられる、言葉と思考が逆になる詐欺的な偽りの習慣を捨てる、言葉と行為が一致する、これらができるようになることが天国住まいできる必要条件であるようだ。さらに、その向上への道の障害となっている、自分のこれまでの、悪い行為、他人に悪影響を及ぼした言葉、自分や他人の心を汚してきた悪い思い、これらを反省懺悔して、消し薄めていく必要がある。さらにこの反省懺悔をする心の後押しをしてくれる力が必要である。それが、「良い事をする」という功徳である。この功徳と正しい祈りにより、神が後押しの力を与えてくれるようだ。