奇跡の一端

(紀元14年11月23日のご説法の一部である。)
この間外務省の沢田廉三が「わしの所へ台風行け、行け言うちゃるのに、いっそ行かん」ちゅうて言う。わしが来やへんのいやちゅうて。山口県中心ちゅうて風が吹きよる。みんなが「雨戸へ釘を打とうか」「いや、来やへん、心配せんな」来やへんちゅうたら、本当に来んよ。遠慮する。
ほいで稲をこぎよるのに、ドベに漬かった稲をこぐのに、ゴミがどんどん道場のほうに吹き込むから、「ああきたない。戸をたて」言うたら、「ばか、風に変われち言えや」ちゅうて、風に変われちゅうて言うたら、スーと反対に吹き出した。当番(川村夫人)が道場の前の方の戸をたてようと思うて急ぎよったのに、風に変われち言え、「風変われ」ちゅうたらのう、さーっと。(変わった)
そしたら皆が自我で祈ったけえいうてつまらん。そりゃ神様使うの。神様が「風変われ」ちゅうて言うたんじゃから、神様の命令じゃけえ、風が変わったのいやちゅう。
ほいで山陰を回った時に、わしが三原で泊まっちょって(紀元5年10月4日福岡宅)、わしゃ2階が好きなんじゃ。2階に寝ちょった。そしたら、ちょうど4軒めぐらいの所に、2階のない家の煙突がこう、ほいじゃけえ、わしの入り口の通りくらいに、それがスウスウわしの部屋に風が入るんじゃ。あの煙突の煙が入ってくるから、「ええいくそ。立て」「立ていでもええいや。風の方向を変えりゃええじゃないか。どっちへやるか、見いよ」
そしたら煙突の口がここじゃったら、こう風が来よったの。くるーっとこう煙が絵に書いたように回って(から)、また、(吹き込んだ)わしの肚が「ほらほら、どこでええか言わんけえ、また入らあ」ち言いやがるのよ。それから「今度言えよ。どこで(曲がれば)ええか」「うん」ちゅうて。だからわしは罪を作りゃせんよ。それが無我よ。子供といっしょ。それから今度また煙がクルーと回って、「よし」ちゅうたらスーと向こうへ行き始めた。
「これが神の手品の一巻の終わり」ちゅうてやっちょる。罪を作らずに、わし、無我を説かすんじゃから。(中略)風も悪霊の作用ちゅうこと、わしも初めて知ったよ。
ルース台風の時でも別府へ連れていくちゅう。みーんな寝ちょる。「おサヨ、もう25分せたら風変わらしちゃるけえ、皆にも祈らしちゃれ」ちゅうて、わしに1時間半ほど祈らしてからのう、それから「皆起きて祈れ。皆自分かたの家がこけんようにいうて祈るんじゃないど。世界平和のために、悪霊済度の祈りを祈れよ」皆祈らして25分したらピシャっと風の方向が変わった。(中略)
神の国は美妙な世界ちゅう。去年室積の海に来い来い言うから言ったら、同志の者がわしに網引かしょううと思うて、網元に網借りに行ったの。「外の人じゃったら4000円じゃが、神様じゃけえ、2000円でええ」ちゅうて言うたちゅう。「値切りもせんのに、まけたんなら、お前ら(魚)とるのが商売じゃけえ、とらしちゃろう。1週間が間に大漁があるぞ」ちゅうて、わしがお祈りせておいちゃった。ほいたら、その晩に、10貫(40KG)より以上、その網に”あいばち”ちゅう魚、かかったこともない、”あいばち”いうのは鯛と同じような値がする、そのええ魚が80貫か90貫かかってね。それから「もう一遍取らしちゃる」ちゅうて、1週間が間に2回取らすちゅう。4日の晩にまた大漁せてね。いよいよ盆前で、網にかからんから、本当に困っていたんじゃが、大神様のおかげで、お盆をさせてもらう、ちゅうてから喜んじょった。
昔に生書ができたときに、ある同志が差し押さえ食うて、泣く泣く来たから、崎山に行っちゃれちゅうたら、「おサヨ、われ行け」ちゅうて、わしゃ紀元節で皆が来ちょったのに、そんなら行こうと思うて、毎日新聞の記者とカメラマンが来ちょったけえ、行かんかちゅうたら、喜んで付いて来て、わしゃ、自転車でとんで行ったら「大神様がみえた」ちゅうて、その同志宅にいっちょる者がいうたら、おかしいの。映画でも芝居でも、あの執達吏ちゅうのが来たら、家の者が恐れて逃げるちゅうのはあるが、その執達吏と差し押さえせちょる奴が跳んで出やがる。「待ちやがれ、くそ」ちゅうて言うたらどんどん走って逃げやがっての。ほいから駐在所に飛び込みやがったけえ、しばらく娑婆から姿消したわしが、娑婆に出たんじゃ。昔にゃ皆、気違いちゅうて騒ぎよったが、悪口いうたらやられるんじゃ、不思議に。やられるちゅうて、わしがやるんじゃない。神様から直接やられるからの。そいでだれもええ騒がんの。駐在所の中飛び込んで「ここ乞食が入ったろうがや」ちゅうて言うの。ほんなら中におりやがる。ほいたらえっと町の奴がどんどん駐在所の前に黒山のように来る。巡査が「あっち行っちょれ、あっち行っちょてくれ」ちゅうて。見りゃ応接間におって。「おいどれら、人を殺して生きようと思うんじゃったらのう、取れ。おらが吾(おまえ)のあの嬶(妻)の葬式金にしちゃるけえ取れ。おどれら」ちゅうてやったら。「脅迫じゃなあか」「なにが脅迫か。おらが本当を言うちゃるぞ」ちゅうて。「人を殺して自分が生きいでものう。己も生きてから人を生かしちゃどうか」ちゅうて、ほいで「わしは日頃から(同志に)金をくれちゅうちょらんから、わしが貸せちゅうたら誰でも貸すちゅう。1週間程待て。おらが払うちゃるけえ」ちゅうて1週間程待たしてから、わしが払いに行っちゃたよ。山口に払いに行ったら、わしが監獄に行った時に、今あっこにおる渡辺がわしの公判やった時の裁判所の者は皆、気違いと思うちょるから、始めにゃ笑いよりやったが、しまいにゃ泣きだしたがの。神様ちゅうのが判り始めて。
その同志が「払わあでもええのに、あんとうに弁護士がせた。せた」ちゅうて。また裁判所の中でも払わあでもすむのに、なんたらかんたら言うけえ、わしがついて行っちょるもんじゃから、裁判所の者も恐れて、大きな台帳のようなのを出して、
「あんたがこうして弁護士に委任状に判ついちょるけえ、こうなって、こうなって払わにゃいけんようになっちょる」ちゅうて詳しゅうに話す。わしは同志の頬ぺた、ピシャピシャしばきあげてから「ばかたれ、払わんにゃいけんようになっちょるけえ、払うちゃれちゅうて、おら肚が言うから来たんじゃけ、いらんことぬかしやがるな。くそ」ちゅうてから、しばいたら、裁判所の連中が皆シャーと10何人おったの皆気をつけの姿勢せてのう。(中略)
ほいであの同志の金払うちゃって、わしが「かかあの葬式金にせちゃるけえ」ちゅうたら、差し押さえた者も執達吏も本当に死んで、葬式金になってのう。
(後略)
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(注)大神様が自然を支配される様を同志にしばしば見せられた。風を変えたり、台風の進路を変えたり、雨や晴れを変えたりされた。これは同志に北村サヨ様が神様というのを教えるために行われたようだ。神様ということを知り信じることが、救われることと直結している。(神教)信じたればこそ救われたるなり。(キリスト教)信じる者は救われる。(仏教)信をもって能入する。この神様と信じる能力が神行の一番重要なポイントで、これを肚という人もいる。
大漁にしたり不漁にしたりも度々見せられている。一部の紹介は
正しい宗教の基準(曽野綾子)http://d.hatena.ne.jp/Newshirogarasu/20120607/
室積支部史に詳細に書かれている。
果木の性質を変える奇跡も多く行われている。大神様がお祈りされると、
(1)それまで10年以上一度も咲かなかった金木犀が、次年度からは毎年良く咲くようになった。
(2)硬い小さい梅しか付けなかった梅の古木が、翌年からは、大きな柔らかい実を多く実らせるようになった。(室積)
(3)年に1回少数の実しか付けなかったマンゴーの木が、翌年からは、年中多くの実をつけるようになった。(ハワイ・ワヒアワ 涼しくマンゴーに不適な場所)
などなど多数の事例がある。畑にお祈りすると豊作になり、商店にお祈りすると繁盛している。
(注)後半は某下駄屋の話である。戦後に潰れかけていた後家の下駄屋さんに大神様が援助して立ち直らせ、何人もの同志を雇わせたりしていた。その一人はなんと太平洋戦争開始のラジオ放送『大本営発表、帝国陸海軍は今8日未明、西太平洋上において米英軍と戦闘状態に入れり』をした元陸軍高官の妻である。この声に不思議に精神の純粋さを感じたが、やはり大神様にその後救われていた。この下駄屋(同志)の世話になった同志は他にも何人もいて天声にもでている。この下駄屋さんが、今で言う商工ローン(高利貸し)に手を出し破産した。その差し押さえ現場に大神様と同志、新聞記者まで駆けつけて、非道な商売を戒め、天罰が下ることを予告された。そしてそれは実現した。(配当金が届いた時に執達吏が死に、差し押さえ人の妻も死んだ。)光支部史に詳しくでている。不義の強欲は身を滅ぼす教えでもある。
同じような話で、(1)四国の同志Aさんの自宅が、相続により兄のBのものになった。Bは大阪に住んでいたが、四国に来てAさんを追い出し、直ぐに売却。その金を持って大阪に帰る船中で、食物を喉に詰まらせ急死した。
(2)同志Cさんは保証人になったことから、高利貸しに財産を差し押さえられた。その判決文を懐にもって、大神様の説法をきいていた。高利貸しとて恐れることはない。と説法で話されたが、その同時刻ごろ、遠く離れた所でその高利貸しは心臓麻痺で急死した。
(3)同志Dさんは友人に騙されて権利証を預け、自宅等を知らないうちに担保にされてしまった。裁判で全く勝ち目はなかったが、判決直前、債権者が火事で全焼。証拠書類が全て消失したため裁判は簡単にDさんの勝訴になった。
(4)同志Eさんは自分が作ってきた財産を相続紛争で取られそうになった。裁判所の調停員はEさんに不利な方に決めようとしていた。調停員が急に変更になったが、それは以前の調停員が急死したためだった。Eさんの正当な権利は守られた。
仏教で、人が注意を払うべきものは「毒蛇、王子、沙弥」というのがある。小さいからとなめて、不注意に接すると命取りになる。沙弥とは見習いの青年僧侶のことである。後ろに仏がいて、仏罰が怖いという意味である。現代の沙弥は同志である。同志は神様に守られてもいるが、それは神の国に役立つためであることを常に忘れてはならない。