神の国の葬儀

天照皇大神宮教の葬儀は簡素である。それは大神様の神教によるからで、大神様自ら同志の葬儀を取り仕切られたことがある。それが模範になっている。
人間が死ぬと魂は肉体から離れ、魂は生前の業に従い、業が良く神のみ肚に合えば天国に行き、天使として神の国のために働き続ける。業が悪く、み肚に合わないと地獄に落ちたり、天魔となって彷徨う。同志の法力のあるお祈りで救われるケースもあるようだ。遺体は抜け殻にすぎないから、遺骨を墓に入れて祀ったり、拝んだりしても無意味である。現代では遺骨は坊主のオモチャにすぎないと大神様は言われた。このため天照皇大神宮教の純粋な同志は先祖の墓・位牌を持たず、自分や家族の戒名、墓・位牌も持たない。遺骨は焼却後(自治体で許されれば)一切引き取らない。従い何回忌というような、煩わしい法事もない。死者の魂は天照皇大神宮教とともに居るから、いつも自分とともにいる。これを実感する明瞭な体験を持つ同志も多い。お祈りや大神様の説法を聞いている時、不意に遺族が生前の元気な姿で現れ、嬉しそうに手を振り、消えていく体験をする人は今でもかなりいる。霊界の天国にいる遺族を実感するため、格別に形として遺影・位牌を拝んだりする必要はない。
また天照皇大神宮教では冠婚葬祭・一般的集会を始めとして同志同士の金品・物品の受け渡しは厳禁であるため、一切の香典の受け取り・お返し・食事や酒・ジュースなどの接待・御土産はない。このため葬儀は非常に簡素になる。葬儀に参列する人と司会をする同志がいて故人を偲び、お祈りと関係者の挨拶だけで終わる。焼香などもない。故人と同志以外の人との個人関係で香典・お返しがやり取りされることまでは禁じられていないようだ。困窮している親しい遺族に陰で援助することはかまわないようだ。大神様は個人間のことまで世話はやかないと言われ、思いやりをなくすと冷たくなるとも注意され、黙認されたことがある。
これを慣れ親しんだ旧来の葬儀と較べて奇異に感じる一般の人もいる。しかし仏教のことを多少でも勉強した人間には、奇異でなく、当然に映る。そもそも釈尊の時代の葬儀はこうであったから。釈尊が取り仕切った葬儀でも、お祈りして遺体をジャングルに捨てて、お終いというようなのもある。(例:耆婆の妹の葬儀)。遺体を燃して、遺骨は墓場やジャングルに捨てる。というのもある。お経で墓に入れて祀ったというのを読んだことがない。
チベット仏教でも、良い人の葬儀は、遺体を切り刻んで、骨も砕き、岩の上に置き、ハゲワシに食べさせる。(鳥葬)。墓はなし。それ程良くない人は土に埋める。しかし墓など建てない。悪い人間は遺体を刻んで魚に食べやすくして川に流してしまう。墓はない。大神様はお墓や位牌の不要なことを説法されている。「墓もいらん世になるぞ。墓は昔神代の時代にはなかったんじゃが、人間が腐りだし死んで幽霊になるようになって、墓を立てだしたんじゃ。今度又神の世になって、祖先は成仏し自分も即身成仏できるようになったら、墓も位牌もいりゃしない。成仏した霊は位牌や墓のような窮屈な所に留まっておりゃしない。死骸は魂の抜け殻で、遺骨など単なる物質じゃから、焼こうが埋めようが川に流そうが、どこに捨てようがかまやしない。」
スウェーデンボルグも仏教(例:シャーンティデーブ著入菩薩行)も教義では、死亡すると、魂と肉体は分離して、遺体はゴミに過ぎないと教えている。魂こそが不滅で輪廻する。生きている内に磨いて置く必要がある。
葬式仏教 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%AC%E5%BC%8F%E4%BB%8F%E6%95%99
に良くまとめられている。日本の「遺体」「遺骨」「墓」と大騒ぎする風習は、江戸時代に戸籍制度を寺院が維持していた名残で、人々が神仏に無知で疎いからにすぎない。真の仏教本来の葬儀があるとすれば、それは天照皇大神宮教の葬儀なのだろう。
最近「家族葬」や「散骨」がブームになってきたが、神の国の葬儀に一般が近づいてきているともいえよう。常識ある人間には、この方がまともな正しい葬儀と感じ取れるからだろう。
(注)神の国の葬儀の行事の運び方(天声39号神行相談より抜粋:紀元12年3月なので現在では変化している部分もあるかもしれない)
①場所は原則自宅で行う。
②以下のことは行わない。「お通夜、飲み食い、棺を飾る、供物をする、香典・花輪等をもらう。」
③式は同志の真心からなるお祈りが主なものである。お祈りは支部長または代理の拍手で始め、その拍手で終わる。その後支部長または他の同志の挨拶(または無我の歌)をする。同志以外の出席者がおられれば、神教や、神の国のお葬式について話すのもよい。
通夜の晩に、通夜でなく、集まって共磨きなどするのもよい。(現在では葬儀と同様な式を行うことが多いようだ。遠方よりの参列者もおり、通夜と葬儀どちらかしか出られない人もいるためと考えられる)
④式の終わりに喪主がお礼の挨拶をする。
⑤納棺、焼却場までの運搬は同志がお世話する。同志が少ない所では隣組・親族にしてもらう。ハワイ・アメリカでは葬儀屋にまかせる。(現在の日本でも葬儀屋に任せることが多いと思われる。)
⑥焼き場でもお祈りをする。
⑦遺体に着せる着物は新しく作る必要はなく、故人の有り合わせの着物でよい。