仏教信者の入教

天照皇大神宮教に入教した仏教信者は多い。日々般若心経を唱えていた娘さんが極初期に入教して、大神様から”神の国になったら、神に仕える者には赤白の十二単衣、仏に仕える者には紫の十二単衣、官庁に仕える者には柄物の十二単衣を着せてやる”と言われた。これは神の国に住む仏教関係者が多いことも示している。また”熱心にやっている者に強く薦めなくてもよい。死ねば同じ所にくるから”とも説き、”名妙法連結”は神仏一体の経とも言われている。
熱心な法華経の行者だった山口日畎氏は、大神様に会った翌日には長年肌身離さず持っていた数珠、日蓮曼荼羅などの法具、毎日お祈りしていた法華経などの経一切を差し出し、それらを大神様がお祈りしてから燃したそうだ。山口氏は仏教修行の結果、病人の患部(内臓すら)を透視したり、お祈りで治したりできる超能力を得るまでになっていた。不思議だったのは何故、これ程熱心に日々やってきたものを、こうもアッサリ捨てられたかだ。最近明らかにされた、その場に居合わせた人の証言によると、山口氏は大神様を見た時、その両脇に日蓮上人と春日大明神がいるのが見えたそうで、それで一も二もなく大神様を信じたそうだ。春日大明神は仏教の守護神である。仏教の戒律が衰え、真の戒律を求めて、神社にこもって必死で祈った僧に春日大明神は現れ、鑑真の律が正しいとか、10善戒が正しいとか教えたことが鎌倉時代と秀吉の頃(明忍)と2回は有ったようだ。山口氏は自分に帰依していた人たちも天照皇大神宮教に入教させている。ちょうど釈尊が有名な仙人カーシャバと弟子たちを入信させ、一切の法具を捨てさせた事績と似ている。
他に入教して間もない青年にお祈りをし、その青年が法悦状態になった時、これが日蓮が到達できた状態であると大神様は説明している。
般若心経の写経を日々行い、2200巻も書いていた会社員が、天照皇大神宮教に触れて、日々お祈りをしていると、それまで長年仏教を学んできたのに、自己の人格改良がどうしてもできなかったのが、不思議に改良されてきたのに気付き入教したりしている。(仏教では因縁が切れなかった)
ナイチンゲールに憧れ病人看護に全人生を捧げていた女性は、しばしば観音様を夢に見て、霊示を受けていた。彼女は晩年に大神様を知り訪ねて行くと、(旧)道場で「今日は真心持ちが来る」と言って待っていた。これまでの彼女の仁慈の業を褒め、こちらに来て一緒に住もうと薦めた。しばらくして、彼女は宿舎に入り、一生をそこで過ごしたようだ。
大師様(真言宗)からいろいろ霊験あらたかを受けてきて、その恩義の為に天照皇大神宮教に入教できない人に対しては「女房が大きい贈り物をする時には、亭主に相談するだろう。大師が霊験を与える時には、宇宙絶対神の許可をとっている。だから宇宙絶対神の教えである天照皇大神宮教に入るのは問題ない」という趣旨の説法をした。
とにかく真面目に仏教をやってきた人、正しいキリスト教を求めてきた人などは天照皇大神宮教に惹かれて入るケースが多い。長年キリスト教を真面目にやってきた人が「今まで指導してくれた牧師を裏切るようで、入りづらい」と言うと、大神様は「大学に進学しようとする時、高校の先生が好きだからと言って進学しないのか」と指導した。
シカゴで会った真言宗の僧(政光秀美:女性)に”10よりうちの幼子が賽の河原に塔を積み、一つ積んでは父の為、2つ積んでは母の為、日の暮れあいの寂しさに地獄の鬼が現れて、積んだる塔を突き崩し、またつめつめと急き立てる”と書いてあるのがわかるかと問い、”わかりません”と答えられると、”あんたらは法の道からいうたら10じゃない。3つ子でもないよ。それが朝から晩まで自分のことのみに、ああしてこうしてもうけて、子供のために、親のために、兄弟のために、他人のためにとは思うまい。一生懸命自分を中心に焦りあがくのを、”地獄の鬼(自分の欲望)が現れて、積んだる塔を突き崩し”という。我利我利で焦って取ったと思っても、取られている(失敗)。また色々やろうとする。これが”またつめつめと急き立てる(自分を責める)”
またお寺で説法した時は「坊さん庫裏で寝てごじゃる。仏さんお堂で泣いてごじゃる。」と金のことのみに囚われて真の仏道を離れてしまっている現代の「仏教」を批判した。
(注)日本人が普通唱えたり写経している般若心経は不完全なお経だ。サンスクリットの般若心経を中国語に翻訳する時、翻訳者が鳩摩羅什という破戒で有名な僧であったため、勝手にお経の前部分、後ろ部分を省略してしまったためである。
(注)浄土真宗を作った親鸞が頼りにしたお経、無量寿経(コウソウガイ訳)はずさんな翻訳で、18本願文「どんな悪人でも念仏すれば往生させよう」は原典にはないものである。この誤訳経典を根拠に悪人正機などという仏教常識(世間常識)に反するものを唱えた。当時の聖人明恵は幕府に進言して、邪教であるとして弾圧させた。江戸時代の聖人慈雲尊者は、「これをしも仏法というなら仏法程悪い法はない」と説いた。河口慧海は「在家仏教」で詳しく徹底して批判した。大神様が最初の頃、親鸞は地獄にいる、悪人で天国に行ったのはいない、悪人正機は大嘘、真宗の信者と坊主は地獄に多い、と説かれたのは当然ながら正しい。一般には日本の知識人として有名な人ですら親鸞の本質を知らないことは驚くべき現象だ。普通人の常識(悪いことはしてはいけない)のほうがよくわかっているようだ。
(注)日本の仏教信者は釈迦如来を直接拝まないで、阿弥陀、観音、不動、稲荷、親鸞日蓮空海などを「お陰いただき」のために拝む。仏教の戒律を守って自分を善人に直し、仏になろうと努力する「真の仏教徒」は少ない。このためエホバ(宇宙絶対神)と一体のキリストを拝んできた外人に比して、宇宙絶対神と一体である大神様と認識することが遅い。これを「わしは、目色毛色の変わったのが釈迦の再来、キリストの再来が今現れちょると寄って来るのを待っている。日本人の馬鹿は相手にしない。」と大神様は時々説かれた。
(注)信者(同志)が何かやろうとすると(例えば結婚、就職、土地の売買、XXの商売をはじめる、病気の手術等々)大神様にはすべてその結末が見えている。そこで助言をしたことが多い。神様と深く信じ素直に聞いて非常の幸運を得た人が極めて多い。一方素直に聞かなかった例も多い。(大神様はなにげない一言で助言を言うが決して命令はしない。本人の自由にまかせる。)例えば順調にいっている商売をダメといわれても中々従えない。ところがまもなく思わぬ大雨とか津波とか景気変動などで商売は失敗し、素直に聞いていれば良かったと後悔する。すると次からは素直に従おうと決心できる。ここまでもお見通し。自我がひとつ取れる。このように神行していけば、またつめつめと急き立てるにならない。