ただで習って、ただで教える

ただで習って、ただで教え、ただで救う。これが天照皇大神宮教の他宗と際立って異なる点である。教えを聞くのはすべて無料である。入場料を取るような大会や講演会は教団の歴史70年で一度もない。
また信者(同志)が伝道するのは、すべて自費自弁である。例えば東京在住の人が、長野や岩手などに布教活動するときも、一切の費用はすべて、布教者の個人負担である。それを知ると、自然に頭が下がる。
こういう自発的な奉仕は、徳を積む。その結果として、救われることになる。神様がただで救う。
つまり、ただで習って、ただで教え、ただで救うという表現は正しい順序を持っていることがわかる。
大神様の説法は、なにげない一句でもよく考えると、深い意味があるようだ。
キリスト教にも同じような所がある。マタイによる福音書10章に弟子に伝道を命じて、その時の注意事項をキリストが指示している。10.8病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。