6波羅蜜多−1

在家仏教の上級編では6波羅蜜多行が修業の指針である。これを成就して菩薩(在家の仏)になるとされる。6波羅蜜多行とは布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧 の各行を言う。
①布施行
財施の例:大神様は神様になられる前、貧家の子供に学費を出してやり、教育を受けさせた。これは4人いるそうだ。お金がなくて嫁入り支度ができない娘にお金を負担して嫁入り支度をさせた。これは3人いる。この一人が貞子さんである。嫁入り支度までしてやった人が、後に婚家先が破産しかけている時には500円(今の500万円)も援助したりした。葬儀費用を負担してやり墓まで建ててあげた人も何人もある。自分が作る野菜を出荷した売上はすべて預金しておき、神社や寺、村の行事の時に寄付した。国防献金も村一番。市場では仲買人の権利も持っており、豊作で暴落した野菜があると、それをわざわざ通常価格ですべて買い上げ、その野菜は非農家に無料で配るなどすることに金を使った。バザーなどでも自宅の米や味噌など多く提供し、調理も行った。多くの人びとに、食料、お菓子、などをあげていた。しかし無判断にあげていたのではない。怠け者や放蕩者には援助しないで、働けと言われた。大神様は自分の善行を人に言わずに、隠れてしていたが、神様になられた後、人間道を教えるために、自らのご足迹を説法で話された。
大神様になられた後も、大勢の人に援助している。直接お金や米をもらった人は多数いるし、潰れかけた店を援助(金融支援)してもらった人も多数いる。(例:昭和26年倒産寸前で未払金や未納税金を某商店に130万円立替ている。当時から賃金で見ると現在は40倍、物価指数では7倍である。賃金現在価値で5千万円、物価で見れば1千万円である。この借入は後年、店が再建され返済された。)天声に多くの人が大神様にしていただいた援助の体験を書いている。対象が同志に限定されていないのも特筆される。肚の神様が指示されるとうりにされた。人の生きる道をつけてやるのが神様と言われた。人は各自、陰徳があれば、知らない所で神様に助けられ、守られているわけだが、大神様は機が熟した時に神様が助けるということを具体的に示された。自宅や不動産はすべて教団に寄付もされている。
法施の例:大神様は46時中、会う人毎に神教を説かれた。これは昇天されるまで絶えることはなかった。ご説法はどんな大変な時にも欠かさず行われた。肋骨7本骨折の自動車事故に遭われた夜も通常どうり1時間のご説法をされたし、ご昇天前、絶食が60日ちかくなり、座ることさえ困難の状況でも昼・夜1時間のご説法はされた。ご説法をされていない時間でも一挙手一動はすべてその場にいる人への教えであった。
一般同志では伝道が法施の典型例である。
無畏施の例:社会奉仕やご奉仕、座席を譲るなど、利他の行為である。
布施の最上は自分の与えた物・金・行為に執着を持たず、自分が与えた相手に執着をもたず、自分が布施した記憶にも執着しない。これを3無の布施と言う。大道場が出来た時、大神様が、皆は自分がこれだけ醵金した、ここをご奉仕したというようなことはすべて忘れてくれ。そうでないと天に積んだ徳を崩すから。とご注意されたのはこの意味である。伝道でもあの人は私が伝道したとこだわったり誇ったりしていては布施の功徳は減ってしまう。お金や物を寄付したり、人にあげる時でも、見栄・付き合いでして、内心嫌々でしたのは布施にならない。あげた後で後悔し、心で盗み返していると大神様はいわれたように、功徳にもならない。
一方で大神様は特別良く尽くしてくれた人に対し真心のお礼をされている。大道場建設で内装チーク材加工・内装ブロック作成などを長期間指導的立場で無料奉仕でしてきた大工Sさんに道場完成時、最初に一人で寝よ、と仰せられた。詰所(宿泊施設)完成時にもSさんに「最初に一人で寝よ」と命じられた。
現代で最も重要な布施行は、自分の職業を誠心誠意実行することであると、河口慧海は説いている。現職奉公であり、職場に神の国を作ることである。一流の腕を磨き私心なく実行することで社会に貢献し、社会を良くし浄化する。大神様も良く説かれている。
仏教では布施の功徳が強調される。現世では財産運が良くなり、いろいろ幸運が多くなり、幸福な人生が歩める。死後も天国に生まれ、来生では金持ちの子に生まれる。自分の財産に対する執着が薄れることで、魂が清められる。欲しい・惜しいの世界を離れられる。すると感謝が湧くようになる。大神様も「神はただ使いはせぬ」と言われた。醵金や伝道に金を使うと、(健康になって)病気治療費が無くなる。と指導されたこともある。自分がお陰を求めて布施をするとお陰は逃げるが、求めないとお陰は大きい。
(注)大神様は「求める者には与えない。求めない者に与える」と説き、イエス・キリストは「求めよ。さらば与えられん」と説いた。これらの文には主語・目的語がない。これを補うと相互に矛盾がないことが分かる。(神は対価を)求める者には(お陰を)与えない。求めない者にはいらないと言っても与える。(真理を神に)求めよ。さらば与えられん。(生きる道を、天国を神に)求めよ。さらば(自己心中に天国を)与えん。天国は外に求める物ではなく、自らの心の中にある。キリストの「求めよ。さらば与えられん」を大神様は「四方八方36方塞がっていても、神行、神に行く道だけは開かれている。」と説かれた。徳を積み,祈り、神言(教義・戒律)で自己反省をすると、神に近づく。すると天国住まいが実感される。天国住まいは心の持ちようであるため、名誉財産地位などとは無関係である。
(例)終戦直後外地から引き揚げてきたお婆さん(A)が、知人(B)に「天国住まいをさせていただいています」と手紙で書いた。Bさんは同じ外地でAさんと親しくしていて、引揚げ時全財産を没収されて、その日暮らしの最低生活の日々であった。不思議に思い訪ねると、Aさんは40才ぐらいの娘との2人暮らし。娘の夫は病死、Aの息子は戦死していて、娘は日雇い人夫で極貧の生活。ぼろ家に家財道具は殆ど無く、お茶碗2つという生活であった。Aさんは、何でも有り難いと言っての感謝住まいで神教を説いた。Aさんが初めに大神様にお会いした時、大神様は「皆、これの顔を見てみい。こんな真心持ちはいない。即身成仏だ」と言われた。大神様は「魂を磨くのが人間の本分。肉体があるから4分食べ、6分は精神で生きる」と言われた。仏教の本来の僧侶は私有財産を一切持たない。私有が許されたのは、托鉢を受ける鉢、3枚の衣、のみであった。一切の執着を断つ修行のため、各地を旅して回る僧を雲水(雲と水を友とする)と言ったが、その生活の厳しさは想像を絶する。西行法師の歌の背後にはこの生き方が感じられる。