貧者の一灯

仏教で有名な話に「貧者の一灯」がある。プラセーナジット王が仏を7日間供養した時、多くの人々が祇園精舎に集まり、初日の夜に1万の燈明を灯す支度をした。そこに乞食の老女がきて、私も是非参加させてくれと頼み、方々の家々を回って少しずつ油をもらって燈明を作り、釈尊に礼拝してから灯してもらった。その時の誓願は「自分も、お釈迦様のように、末法の時代に生まれ変わって、仏になって人々を救いたい」。
王は沢山献灯したので「自分は将来仏になれるだろう」と慢心したが仏に叱られて反省。夜半にすべての燈火は燃え尽きたが、唯一灯、貧者の乞食が上げた燈明だけは消えなかった。アーナンダが消そうとしても消えない。そこに釈尊がきて、「それは信心の火だから暴風雨が来ても消えない。これを供えた貧女は将来仏として現れ人々を救済する」と予言した。(河口慧海 釈迦一代記よりの抜粋)
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天照皇大神宮教で同じ現象が起きたようだ。インドの信者(同志)、H.ナンジュリア氏は1968年9月某日、夜の9時半から妻とローソクの明かりで天照皇大神宮教のお祈りをしたところ、10時半に寝るときにも明かりがあり、翌朝5時半に起きた時にもローソクは夜と同じように燃えていて、あまりに不思議なので妻を起こしてみていると2,3分さらに燃えて消えた。このローソクは普通10分しかもたないもので、8時間同じ炎の大きさで燃え続けたことは彼に解けぬ謎として残った。(天声194号)(注)H.ナンジュリア氏の兄M.B.ナンジュリア氏は天照皇大神宮教カンプール支部長。技術者で事業家。3年に及ぶ政府の工事代金の支払い凍結(たぶん賄賂を支払わなかった為と推測される)で一時破産しかけた。菜食(非肉食)を宗教上から実行するような真面目なヒンズー教徒だったが、天照皇大神宮教を知り、名妙法連結経のお祈りをした所、すぐに支払い凍結が解除になり苦境を脱した。後に大規模ダムの建設工事の一部を受託し完成間近にその地方で未曾有の大洪水が発生。大被害になりそうな時、名妙法連結経のお祈りをした所、豪雨がやみ、みるみる水位が下がり被害をまぬがれた。数千人のその場にいた人々を驚嘆させた。お祈りの威力をよく示した一人である。(他にも極めて多数いる)彼は多くの人に伝道した。後年天照皇大神宮教本部の中山公威氏がインド巡教した節には、インド大統領官邸で茶会が持たれたほどの広がりがあった。また大神様の説法を良く知るには日本語の知識が必要であるから、自分の子息を3年以上日本に送り日本語を習得させるまでしている。傑出した同志の一人である。彼を天照皇大神宮教に導いたのはチトリー博士である。チトリー博士が英語圏での神教紹介で良く使われる小冊子「幸福の処方箋」を書いた。