豊饒の大地 著名海外同志

正しい宗教であれば、どの宗派でも人を救う力はある。命がけで、神一筋で人生すべてを取り組めば、人格完成にいたる。仏教では、河口慧海先生や土光敏夫先生、白洲正子さんの例がある。キリスト教では新渡戸稲造博士や、小倉昌男氏などの例がある。しかし天照皇大神宮教では例示出来ない程多数の人々が輩出している。何千人以上もいそうだ。その特徴は、家族ぐるみとか一家そろってという例が多数ある。祖父母、両親、子供、孫、妻の両親、兄弟、姉妹という広がりで、その中に、聖人のような人が何人も輩出するという驚くべき現象が起こってきている。
一体これはなんだろう。
釈尊は大仙人とよばれた。天照皇大神宮教の教祖、大神様(北村サヨ)も大仙人であった。瀬戸内海のある地方の潮の流れを一時止めたこともあれば、台風の進路を変えたり、そのスケールは調べれば調べる程想像を絶する。しかも多くの証言者が存在している。ガンなどをたちまち消滅させたり、結核を瞬時に治したりと、また布教の妨害者に死の予告をすると、本当にすぐに死んだりと、大仙人の例は満ち満ち満ち満ちている。
大神様は釈迦・キリストの再来というのが認識できた水準の高い人が、海外から多く引き寄せられた。
(例1)カーメン・ブラッカー。イギリス人女性で語学の天才。「源氏物語」をケンブリッジ大で原語で講義するような人であった。古代日本語、中世日本語現代日本語、を含む多くの言語に通達していた。昭和33年に東京で開催された世界宗教者会議にイギリス代表で参加し、そこで見た英文パンフレットにより天照皇大神宮教を知り、昭和34年夏季休暇を利用して田布施の本部まで訪ねてきた。大神様の説法も聞き取れ大神様より指導も受け一泊して帰った。その後も田布施に何回か訪問しており、姫神様(北村清和氏)のケンブリッジ大の留学にも尽力された。美しい彼女の写真は天声70号にでている。
(例2)ジェロームポーランドアメリカ人でGM自動車販売会社社長の富豪。自動車事故の後遺症から宗教指導者を求めて世界中を旅し、日本にも西式気功の修業に来たこともあった。昭和36年カルフォルニアに大神様が巡教中の新聞記事を見てサクラメントに大神様を訪ね当てた。昭和37年ご本部に来て6ヶ月大神様から個人指導を多く受けた。昭和39年−40年の大神様世界巡教の準備にヨーロッパなどを回り、世界巡教にはお供として同行した。日本でも何度も講演している。(天声103号、105号、107号、237号)
(例3)ランコフ。ドイツ系アメリカ人で、両親も有力な宗教指導者。ハワイで昭和36年ジェロームにさそわれ大神様にあう。大神様の世界巡教の具体化に貢献。下準備に世界を回り、巡教のお供もした。以後36年間度々(22回)世界各地を回り大神様・天照皇大神宮教を伝え回ることだけに人生を捧げた。何度も訪日し本部に来ている。(天声237号、371号、576号、577号)
(例4)ピアス女史。霊能に秀でたアメリカの整体医。天声408号
(例5)ウースター夫人。エスペラント語普及活動をしていたイギリス人。大神様が世界巡教のため神戸のウルグアイ大使館を訪問した時、大使が真心持ちのため、英文生書を贈呈した。大使は友人のウースター夫人に昭和40年この本を紹介し、夫人は入教した。霊能に秀でた女性。
(例6)ナイト夫妻。イギリスの名門貴族で会社社長。大戦中はイギリス空軍大佐。夫人の病気治療がきっかけで引き寄せられる。
(例7)アービン・オルズ 祖父が同志社大学創立に関係した牧師。日本で育ちハワイ大学で学び北カルフォルニアに在住。大神様の昭和29−30年アメリカ巡教で会い、昭和35年田布施まで来て指導を受ける。ハワイ・サンフランシスコなどで多数のキリスト教関係者に大神様のことを紹介した。交通事故(脊髄損傷)後遺症に長年苦しむ友人を連れてきて、大神様が治されるのを見て、キリストの再来を確信した。
(例8)ハリー・トムセン デンマークの牧師。日本に教会から派遣されてきて大神様にあいキリストの再来とわかり帰依。多くの人に大神様のことを紹介した。
(例9)ニコルス。ハーバード大卒のアメリカ外交官。代々キリスト教の名門牧師。占領軍の宗教調査係として大神様を調べ、キリストの再来とわかり帰依。生書英訳の最終校正を1年かけて行った。
(例10)ラスボン夫妻・フィットン夫妻など。スタンフォード大を中心としたキリスト教グループ「Jesus as Teacher]の指導者。正しい生活。行為、実践、瞑想と集団討論により神を知り神に近付こうという趣旨のグループ。昭和36年大神様に会い、キリストの再来とわかり、大感激した。
(例11)レオ・カーライル・メイ博士。人類学者で東アジアの宗教研究で昭和27年田布施に来る。大神様が釈迦・キリストの再来とわかり帰依。昭和29−30年大神様アメリカ巡教に多大の貢献をした。彼の学術論文(大神様はキリストの再来)が米国大学関係者に広く読まれ、ハーバード大、シカゴ大、コロンビア大など超一流大学での大神様講演の引き金になった。彼の兄夫婦は入教して妻エレナは熱心な同志として有名。
コロンビア大学のデバリー博士は大神様のハーバード大での講演会を聞き、コロンビア大学で大神様を招き開催、日本語習得の必要性を痛感して、日本語を学び数年後田布施に来た時は通訳不要であった。その後も彼らは米社会に大きな影響を及ぼした。カリフォルニア大のオルソン博士、ノーベック博士も神教がよくわかった。
(例12)チトリー博士。インドの名門に生まれた天才。5才で母が死亡。7才で座禅。19才で修士号、結婚、大学教授。妻が早く死亡し4人の子供を育てる。大神様世界巡教時、パンフレットのみで大神様の苦行を察知し劇を作り、大神様が涙された。傑出した人物で体験も多く天声に多くの記録を残した。(138,152,153,154,158,164,169,171,172,174,176,194,200,205,208,260,263,266,282,290,306,320,326,380,423,425(娘),440号)高い山は高地からみないと良く見えないのと同じで、大神様は高い精神性を持つ人程よく分かる。貴重な記録である。インドは霊性の高い国であるため神様がわかる多数の人々がいた。イラニ、デサイ、スワミ、ナンゲリア、ハルケニーなどの一家が代表的。
(例13)ハウスラー。ドイツ系オーストリア人。青年時代マヌーセンに学ぶ。ブラジルに渡り歯科医になる。霊能に秀でる。帰国後ナチの迫害にあう。老年であったが感応により大神様巡教への協力を命令される。ヨーロッパドイツ語圏の天照皇大神宮教の代表的人物(天声263号)。他にホレイニア夫人が有名。(140,152,232,263,307,311,321,493,509,554号)
(例14)エサン。ナイジェリアの霊能者。(206号)他にンドクエ(137,199号)、オサクエ(351号)など。オルサミヤは夢でご説法を聞き、日本語がわかりません、と言うと、大神様はヨルバ語で説法、非常によくわかった。(140号)
(例15)アレンカー。多くの言語に堪能なブラジル人。大神様南米巡教で通訳を務める。昭和41年から4年本部に来て大神様から指導を受ける。当時65才ぐらい。生書をドイツ語、スペイン語などに翻訳。南米の伝道に活躍した。
(例16)ヘンデルコット。父方はドイツ系・母方はスペイン系のガテマラ人。青少年時代ドイツで育ち帰国後大戦中ドイツ協力者として収容され捕虜交換でドイツに。終戦で捕虜になり、帰国までに大変苦労を重ねた。大神様のガテマラ巡教時通訳をした。長年中南米の神教の中心人物として活躍した。(260号)イスラエル・ベラスケスもガテマラでは有名。
彼らは一例であり、世界各地に多く大神様に引き寄せられた人々がいた。