正しい宗教の基準(曽野綾子)

曽野綾子氏が産経新聞に書かれていた、正しい宗教の基準というのはなかなか面白い。

1.入信・寄付の強制をしない。

2.教祖・布教者が質素な生活をしている。

3.生まれ変わりといわない。

4.病気が治ると保証しない。

天照皇大神宮教が本物の正しい宗教であることは言うまでもないが、この曽野綾子氏の基準でみてどうか

1.入信・寄付の強制をしない.

天照皇大神宮教では、入信の強要どころか、信者「同志」になることさえ敷居が高い。よほど緣がないと教団に触れることさえ困難である。信者や氏子を増やすのが布教の目的でなく、人間が正しい道に立ち返るように、又何が正しい道かを教えるのが布教の目的であると大神様は良く説いた。

天照皇大神宮教程お金に清い団体はないのではなかろうか。

寄付を割り当てるような教団になってしまうなら、お参りする必要はないと大神様は説き、寄付を持ってきた信者に対し、寄付の目的と、本人に無理な額かなどを瞬時に見て、ある時は受けず。ある時は受けた。場合によっては、大神様は金を信者に援助したことも多い。

日本国内の布教はすべて自費自弁を貫き、海外布教でさえできるだけ自費を貫いた。従い、使用するホテルや列車、食事は、極々貧弱な安いものに限られ、お付きの者のなかには音を上げる時すらあった。

世界平和のために、緣ある者を救おうという熱意と真心だけで、苦行そのものような、あらゆる自己犠牲を厭わない、海外布教を度々行った。釈尊とその直弟子、キリストの直弟子と同じでかそれ以上である。

賽銭箱は教団施設にないようだ。本来、お金もすべて神様の物で、人間が地べたに放り投げる金を欲しがる神様などいない。家の外側にいる人が(神の)自宅に侵入してきて、神の金庫を勝手に開けて、お金を出し、これを差し上げますと家の主人(神様)に言うようなものだ。という趣旨の説明をしたこともある。

神様が取るのは人間の真心だけ。
ただで習い、ただで教え,ただで救われる。(学習に費用はかからず、わかったら自費で伝道する、その神の国に尽くした徳により神様が救う)
これが教団の基本のようだ。

2.教祖・布教者が質素な生活をしている。

教団には専属の布教者はいないようだ。何らかの職業を持ち、自活することが前提である。大神様は本来は豪農であり、お金に困ったことはない。教祖になる前から、他人の娘の嫁入りの資金援助や、貧しい家の子供の進学資金援助を何人にもしている。戦時の国防献金も村一番であったようだ。教祖になってからの生活は質素の極みである。自宅用の服はボロボロのつぎあてだらけ。(釈尊の糞掃衣と同じ:形の世界・形の宗教をぶち壊すため行った一連の行動の1つでもある)式典や説法のときはきちっとした服装をした。周りの人にも華美でないきちっとした服装をするように指導した。食べるものも少量で、まず傷みかけたもの、前日の食べ残しなどから食べる。傷んだもので当らないことを、自分は豚みたいに当たらないといっていた。(釈尊も乞食で、人々がお椀に入れたものをそのまま食べた。これと同じ)

物に感謝を忘れず、一物たりともムダにするなと説き、まず自分が徹底して実践した。

この伝統は今も続いているようだ。

3.生まれ変わりといわない。

大神様は自分は人間であり神様ではない。神様が自分を使っている。神様が自分を使えるように、自分は人間の道を踏み日々怠らず、死ぬまで怠らずに行を続ける。というような趣旨の精進三昧のような事をいわれ、実行して人々に見せた。神人にあり。人神にあり。神人合一。この状態にあることを示した。ただ自分や、周りの中心的な人々は、偶然の産物ではないとも言っている。大神様の出現は日本史そのものともいえる絶妙さで、日本の敗戦、戦後復興時の幸運など味が深い点が多々満ちている。(後続)

肚の神様は自分が使った人間は釈迦、キリスト、おサヨだけと言った。

4.病気が治ると保証しない。

自分は病気治しではない。人間治しであると説いた。キリストは自分が神である証をするように、死者を生き返らせたり、病気治しの奇跡を行った。

大神様も同じで、大奇跡は至る所、至る時に起こっている。因果律にあうように、治して良い人、良い時にだけ、治して良い程度まで測ってお祈りして治したようだ。

ある人には人間としての自分は治してやりたいが、肚の神は祈るなと言っている。ということで治さない。また神の国建設に命がけでやってきて、今もやっている人には、お前の望はすべてかなえてやろう。と約束もし、事実どんな病気や事故でもすぐに祈って治してもいる。
神罰”とか”天罰”を下したこともかなりある。神に敵対した悪人に対して、死とか破産などが起こされている。
公開説法で何千人とか、何万人とかいるところで、しつこく妨害した者、又大神様に直接の暴力を振るった者などには霊力でぐったりさせ、、一ヶ月とか、7日とか、3日とか様々な期限をつけて死ぬと予告。それがすべて実現しているが、35〜100人以上はいそう。船が沈んで予告された者だけ死亡し、その他は助かったり、予告された人物が発狂して自殺したり、交通事故にあったりとか様々であるが、すべて実現したようだ。(昭和36年大神様一行の空港利用で何か問題を起こした?)ロス空港の税関長など幹部職員2名にも予告がされ、それが実現してアメリカの信者は驚嘆した。熱心な信者を破産させようとした高利貸しも、信者に心配するなと言ったその時刻に遠方で心臓麻痺で急死したりした。この種のことはかなりの数起きている。
また善人の信者が末期の病気で死期が迫っている時、その家族にお祈りしてあげたりすると、しばらくして病人が楽に死ぬということも多い。
信者の出産日を大神様は支配したこともある。”早く絞り出してやろう”とかいうと、予定日より前でも出産している。
人の生死、福、貧乏、災難、幸運、病気など、これらすべてを神様が支配していることを、わかりやすく、”神の口”である大神様が支配していることを機縁が熟した時に示した。
この支配は自然にも及ぶことも示した。キリストが、イチジクの木に枯れよと命じると、すぐに枯れ、嵐に収まれと命じると、収まったのと同じようなことも起こしている。
(例) 大水につかった泥だらけの籾の脱穀を庭でしていて、説法中の大神様の部屋にゴミが吹き込んだことがあった。「風よ変われ」というと風向きが変わり、入ってこなく成った。(その時の道場当番:川村夫人が籾殻が入らないように戸を閉めようとした時に示された奇跡)
(例)大神様一行が2階の民家にいて、窓を開けていた所、近くの家の煙突から煙が流れてきた。「風よ変われ」というと風向きが変わり、煙は方向を変えたがぐるっと回って再びはいってきた。「向こうに行け」というと煙は入ってこなく成った。(山本千枝さんなど広島県北・島根巡教の同行者多数が見ている。昭和25年10月4日三原の福岡家に宿泊した時であった。天声203号のご説法)
(例)大島郡に大神様は宿舎建設をした信者(同志)200人を連れて海遊びに行くことを約束していた。当日は台風が直撃し大荒れ。船も1隻もでていなかった。お祈りをして、特別に貸してくれた船3隻で出て行くと、波がないできて、海遊びの島までいく頃には晴れてきて大漁。帰り着くと再び海は荒れた。地元の漁師たちは、驚き呆れた。これは昭和24年8月16日の出来事。台風はジュディス台風http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report/1949/19490813/19490813.htmlで日本接近時960ヘクトパスカル。16,17日の進路や動き方は妙なところがある。一時停滞したり。
他にもルース台風http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report/1951/19511010/19511010.htmlという大きな台風が直撃した時、別府巡教に大勢の同志を連れて出かけている。付いて行った同志(350人)の家には被害が全くなかった。神様が自分の存在を皆に示した。昭和26年10月8日23時25分最低気圧966.5mbを防府で記録、この頃大神様はお祈りを初め、「予報より30分早く来ている。早く祈れ。」と翌日の巡教にお供するため泊まりこんでいた350人の同志を起こし共に20分祈らせた。その結果、台風は「ジャンプ」(中心が消滅し、遠方に新たに中心が出現)田布施に被害がでなかった。翌朝には別府巡教を実施。
(例)第1回若人修練会の最終日(昭和33年7月26日)、室積に大神様は修練会参加者を連れて海遊びに行くというので、地元の漁師は(室積西の浜:14時30分から:当日干潮11:22 満潮18:15 月齢9.4)地引網をしかけて待っていた。出発直前、新聞記者が大神様を訪ねてきて、取材が長引いた。そのため到着は1時間も遅れた。網の場所は瀬戸内海の潮流が激しい所で、6分方潮は満ちてきていて、漁師は流されてしまうとやきもきしていたが、網は流れず潮はずっと止まったままだった。潮の途中で潮が止まったことは古老も例がないと驚いた。大神様に報告すると「宇宙絶対神じゃからそれくらいのことはあるいや」と事も無げにいわれた。その日は2網引いて、いずれも大漁。お帰りになる時、「おれの魚をいっぱい取ったがそれ以上に魚を室積の海に入れちょいちゃるけい心配するな」と言われた。この時網代2000円を漁師が遠慮して受け取らなかった。「今頃2000円くらいの金はなんということはないが、その真心だけはわしが取っちゃろう。一週間がうちに大漁を2回さいちゃる。」と言われ、その晩その漁師は良くて4000円しか取れないのに10万円もの水揚げがあった。この大漁は1週間も続いて部落のものにうらやましがられた。(室積支部:大神様のご足跡 紀元40年(昭和60年)発行に詳しい)
(注)大道場ができた頃、大神様が田布施にいると台風がこないが、大神様が海外巡教などで不在だと田布施に台風が来ることに気づいた人がいた。そのことを申し上げると、これからはこないようにする。と言われた。それ以後、豊後水道を北上して田布施を直撃する台風は、今に至るまでないようだ。
(注)昭和35年11月九州の歯科医小河清里さん宅に大神様は泊まられた。夕方清里さんを縁側に呼び、「雨が降ったら前の道路から庭に雨水がなかれこむんじゃないか」と言われ、清里さんが「いいえ、道路から水は逆流しません」と答えると、まもなく空が曇り、大雨が降り出し夜通し降り続いた。朝清里さんを呼び、庭をご覧になり「お前は昨日、道路から庭に水が逆流してくることはないと言うたのう。庭を見てみろ」庭は水浸しで道路から12cmぐらいの高さで濁流が流れこんできていた。「お前が昨日逆流せんというたので、肚の神が証拠を見せてやると言うて、一晩中大雨を降らせたんよ。」小河さんはその後直ぐに庭を地上げし後々大利益を得ることができた。(天声248号)
(注)昭和38年山口国体の時、橋本知事は大神様に招待状を送り、晴れるように頼んだ。大神様は知事が神様と知って頼んだことをよしとして、当時の全種目開催期間30日全部を”晴れ”にした。期間中、雨は夜や早朝に降らし、競技開催中は降らないようにされた。